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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「キリストが与えるもの―ラブ・ソナタが与えるものー」 ​ 【聖書個所】 ヨハネ6章:26節~27節 ​ 【導入】 イエス様は、カペナウムを中心にガリラヤ地方で伝道されていたが、ある時、弟子たちが伝道活動をして帰って来たので、彼らを休ませるためにガリラヤ湖を渡り、ルカ9:10によるならばベッサイダという町に退いたと言う。つまり、休息をとるために静かな場所に行ったわけです。 ​ ところが折角の休みにも拘わらず、そこに多くの人々がイエス様の話を聞き、また癒しを受けようと、人々が徒歩で追いかけて来た。マルコ6:33では、「先に着いてしまった。」とある。 ​ それでイエス様はそんな彼らを憐れみ、教え始められたり、癒しのわざを為された。その内に陽が落ちて暗くなり始めたので、弟子たちは彼らを解散させて近くの村や部落で宿をとらせて食事が出来るようにさせようとイエス様に話すと、イエス様は彼らに、「あなたがたで、あの人たちに何か食べるものを上げなさい。」と言った。(マルコ6:37) ​ この後は私たちもよく知っている5千人の給食の奇跡の出来事である。その内容は4つの福音書に共通して記されている。しかし、4つの福音書に共通して記されているイエス様に関することは実はそれほど多くなく、164(ある本では250)ある出来事のうちの15(12)しかない。5千人の給食はその中の一つ。だからそれは重要なことであるということを示す。 ​ 今日開いた聖書個所は、そんな重要な出来事が起きたあとのイエス様が語られたところである。何故イエス様はこのことを語られたのか?―その語られた背景を少し説明すると; ​

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「小預言書(26)ホセア書⑬―それでも主は救われる。ー」 ​ 【聖書個所】 ホセア13章:1節~16節 ​ 【本論】 V1:「エフライムが震えながら語ったとき、主はイスラエルの中であがめられた。しかし、エフライムは、バアルにより罪を犯して死んだ。」 ​ 「震えながら」とは「恐れおののきながら」ということ。ここに、神と人との関係において何が無くてはならないか、そして、それが無いと神と人との関係はどうなるのかが語られている。神と人との関係において、人の側に神に対する恐れが無いと、人はバアル(偶像)に走り、その罪のために死ぬことになる。パスカルは、「人間の心には、神しか埋めることが出来ない空洞がある。」と言った。作家の三浦綾子さんは、「夫といて なおも淋しきこの夕べ 聖句幾つか胸に浮かび来。」と詠った。愛する伴侶の愛でさえも埋めることが出来ない空洞があるのである。その空洞を神以外のもので埋めようとしても、虚しさは残るのである。イスラエルの民は、それをバアルに求めた。その偶像礼拝の様子とその虚しさが、V2~V3で語られている。 ​ V2~V3:「彼らは今も罪を重ね、銀で鋳物の像を造り、自分の考えで偶像を造った。これはみな、職人の造った物。彼らはこれについて言う。『いけにえをささげる者は子牛に口づけせよ。』と。それゆえ、彼らは朝もやのように、朝早く消え去る露のように、打ち場から吹き散らされるもみがらのように、また、窓から出て行く煙のようになる。」 ​ この偶像は、人の手で作った偶像である。そんな民に神はご自身を明らかにする。 ​ V4~V5:「しかし、わたしは、エジプトの国

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「家族の救いと信仰の継承(7)―救いは主のものー」 ​ 【聖書個所】 Ⅰコリント7章:15節~17節 ​ 【導入】 この個所は、パウロがコリント教会の結婚している兄姉、それも片方がノン・クリスチャンである夫婦の兄姉に対し、どちらかから離婚の申し出があった場合への対応を、パウロ自身の教えとして教えているところ。「次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。」(V12)とある通りです。 ​ 今日は教会内の離婚問題についてのメッセージではなく、この個所から、今年の教会の第一のテーマである「家族の救いと信仰の継承」に関する重要なメッセージを受け取って行きたい。 ​ 【本論】 家族の救い、特に夫または妻がまだ救われていない兄姉にとっては、子供の救いと共に、夫や妻の救いは何よりも大きな願いではないだろうかと思うが、そのことについて聖書は何と言っているだろうか。 ​ V16:「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」 ​ ショッキングな言葉だが、何故パウロはこのようなことを言ったのか。それは、まさにこの時のコリントの兄姉たちも、私たちと同じ思いを持っていたからである。つまり、彼らも「何とかして自分の夫や妻が救われてほしい。」という思いから、「何としてでも自分は自分の夫を、或いは自分の妻を救うんだ。」と言う思いを強く持っていたからである。しかし、聖書ははっきりとこう言うのです。「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなた

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