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主日感謝礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 「数え切れぬ恵み」​​ ​ 【聖書個所】 創世記15:5~7 ​ 【導入】 神様は12章のアブラハム契約の中で、アブラハムに子孫が与えられ、 その子孫の祝福と、その子孫を通してのすべての民族の祝福を約束をさ れた。しかし、この時点では未だアブラハムには子供が与えられていな かったので、「私の家の奴隷が、私の後取りになるのでしょう?」(Ⅴ3) と言うと、神様はアブラハムに、「…。ただ、あなた自身から生まれ出 て来る者が、あなたの後を継がなければならない。」(Ⅴ4)と言われ、 そして、今日のこのみことばが語られた。 ​ 今日はこの、神様からアブラハムに語られたみことばの中から、「数え切れない神様の恵みの中の2つのポイント」に目を留めて、そして神様をあがめて行きたいと思う。 ​ 【本論】 (1)神様の、私たちの「選びに関する恵み」は数えきれない。 ​ 神様はアブラハムをカルデヤ、現在のイラクがある地域のユーフラテス川沿いにあるウルという町から連れ出したとある。 ​ Ⅴ7:「また彼に仰せられた。『わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した【主】である。』」 ​ 聖書ではこれを、アブラハム、アブラハムに続くイスラエル民族、そして、イスラエル民族を通して神様の祝福に預かる、私たちを含めたすべての人々に対する「神の選び」と言っている。 ​ イザヤ41:8~9:「しかし、わたしのしもべ、イスラエルよ。わたしが選んだヤコブ、わたしの友、アブラハムのすえよ。41:9 わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなた

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「クリスマスイブの恵み(2)」 ​ 【聖書個所】 ルカ1:67~79 ​ 【本論】 (1)生まれる前から聖霊に満たされていた。 ​ Ⅴ76:「幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。」 ルカの福音書にしても、マタイ、マルコ、ヨハネの福音書にしても、 舞台は旧約聖書の時代である。教会の時代の今日では、誰でもイエス様 を信じ従って行く者には聖霊の満たしがあるが、旧約の時代では、神様 の働きをする一部の人にしか聖霊の満たしはなかった。神様は御自身の 御心を示すために、しばしばご自身の霊を注いで預言者を起こし、神の 御心を語らせたのである。このバプテスマのヨハネも、「いと高き方」 =「神」の預言者の最後として聖霊に満たされて、その働きを始めて行 ったのである。しかし、彼の場合はⅤ15にあるように、「まだ母の胎 内にあるときから聖霊に満たされ」ていたとあるように、特別な人であった。だからイエス様も彼のことをこのように言った。 ​ マタイ11:11a~b:「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」 ​ ※しかし、これほどすごい特別な存在のヨハネではあっても、私たちはイエス様の贖いのゆえに、それよりもはるかに偉大な者なのである。 ​ マタイ11:11c:「しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」 「天の御国の一番小さい者」とは、主の恵みにより天国に入れられた私たちのことである。 ​ (2)ヨハネは使命を持って生まれて来た。 ヨハネの誕生のことを聞いた人々は、余りにもそれが普通のことで

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「クリスマスイブの恵み(1)」 ​ 【聖書個所】 ルカ1:5~25 ​ 【本論】 (1)それでも神様の御心は実現する。 祭司ザカリヤは神殿で香をたく奉仕に当たることになり、そんな中、神殿で奉仕をしていると、彼のところに御使いガブリエルが現れ、彼とエリザベツとの間に彼らが願っていた子供の与えられることが告げられた。イスラエルの家族にとって、子供がいるかいないかは大変な問題だった。だから、その知らせを受け取ったザカリヤは大喜びをするだろうと思ったら、彼の反応はどうだっただろうか? ​ Ⅴ18:「そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」 ​ 大喜びどころか、「どうしてそんなことがある?」と疑った。不思議です。―Ⅴ13:「御使いは彼に言った。『こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。』」とあるように、彼らは願っていたとあるのに! ​ ◎こんなことはあるのだろうか?―願っていたのに、それがいざ実現すると、信じなかったりするようなことが…。 ​ そのような一例:ペテロが、ヘロデ王に捕らえられていた牢屋から御使いによって助け出され、弟子たちが集まって祈っていたところに行った時の弟子たちの反応。 ​ 使徒12:12~16:「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】 「家族の救いと信仰の継承(12)―信仰と希望と愛をもって」 ​ 【聖書個所】 ガラテヤ6:9~10 ​ 【本論】 聖書は私たちに対し、霊的原則として、神との関係の中での私たちの「在り方」と「行い」について、また人間としてのお互いの関係の中での「在り方」と「行い」について教えている。その例として、「十戒」の中の第1戒から第4戒と、律法学者のイエス様に対する質問「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」に対して答えられた答え=「先ず心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛すること」が、私たちと神との関係の中での教えであり、「十戒」の第5戒~第10戒、またイエス様の律法学者に対する答え:「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という隣人に対する愛が、お互いの間、今日のメッセージでいうならば、家族の中での教えである。 ​ それと同様に、今日の箇所でも、聖書は「私たちと神との関係」と、「家族の中での関係」というところに視点を置いて、私たちの「在り方」と「行い」が教えられている。 ​ (1)家族の中での関係において:「善を行なうのに飽いてはならない。」 ​ Ⅴ9:「善を行うのに飽いてはいけません。」 「飽いてはいけません」というのは、「諦めてはいけない。どんなことがあってもギヴアップしてはいけない。」ということ。そして、私たちクリスチャンにとっての「善」とは? ​ ①みことばを宣べ伝えること。証しをすること。福音を語ること。何故なら、それによって信じる人に永遠のいのち、救いを与えることが出来るからである。 ​ Ⅱテモテ3:15b:「…。聖書はあな

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