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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 「エズラ記(1)ー神の霊によってー」 ​ 【聖書個所】 エズラ1:1~11 ​ 【本論】 Ⅴ1:「ペルシヤの王クロスの第一年に、エレミヤにより告げられた【主】のことばを実現するために、【主】はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、王は王国中におふれを出し、文書にして言った。」 ​ 「ペルシヤの王クロスの第一年」とは、BC538年のこと。「エレミヤにより告げられた【主】のことば」とは、エレミヤ25:11~12:「この国は全部、廃墟となって荒れ果て、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。25:12 七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民、─【主】の御告げ─またカルデヤ人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。」また、エレミヤ29:10:「まことに、【主】はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。」とあるように、主がエレミヤによって語ったイスラエルのバビロン捕囚からの解放とエルサレムへの帰還、壊された神殿再建についての預言です。クロス王は、そのことを国中におふれとして布告したのである。何があって彼はそのことを行なったのか?それが今日の中心的メッセージである。それは、 ​ (1)「神の霊によって」である。 「【主】はペルシヤの王クロスの霊を奮い立たせたので、」とある。口語訳では、「主は、ペルシャの王クロスの心を感動されたので」とある。人は何かを為そうとする時、そこには先ず心動くことがあるものである。クロスは何によって心が奮い立った

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 「御霊の実(1)―愛の実―」 ​ 【聖書個所】 ガラテヤ5:22~23 ​ 【本論】 パウロはガラテヤの兄姉に、救われたクリスチャンには2つの生き方があると言っている。一つは、「肉によって歩む生き方」、もう一つは「御霊によって歩む生き方」である。 ​ ガラテヤ5:13~16:「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」 ​ パウロがこのことを言っているのは、この手紙が書かれた背景と深く関わりがあるので、その背景を簡単に説明する。パウロは、第1回の宣教旅行で小アジア(現在のトルコ)に行き、ガラテヤ地方に教会を建て上げて行った。(使徒14:19~21)しかし、彼のその宣教旅行の実(信仰によってのみ救われるという信仰義認の実)を摘み取るかのように、律法主義者的ユダヤ人クリスチャンがやって来、「信仰だけでは駄目で、私たちと同じように割礼を受け、律法を守らなければ救われないのだ。」と言う教えの種を蒔き、折角「律法を守らなければ救われない」という教えから人々を自由にしたのに、再び古い生き方に戻らせ、また自ら戻ってしまう人々が現れたので、パウロは緊急な思いでこの手紙を書いた。また、戻ってしまうだけでは

主日新年礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 創世記1:26~27 【タイトル】 「神のかたち(2)―われわれに似るようにー」 ​ 【聖書個所】 創世記1:26~27 ​ 【導入】 今朝は、元旦礼拝の中で触れた、神様が私たちを「かたち」造って くれた2つのこと、①「存在」、「在り方」と、②「使命」、「役割」 の内の、①「存在」、「在り方」についてメッセージを取り次ぐ。私 たちは「神様のかたち」として造られた者として、どのような「存在」 なのであろうか。 ​ 【本論】 今日のポイントはただ一点、私たちは「一体」という「存在」として 造られたのであるということ。 ​ Ⅴ26:「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。」 どうして唯一なる神様が、「われわれに似るように」と言って、「われわれ」と言う言葉を使われたのだろう?―それは、神は「三位一体」の神様(父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位、三つの人格をもつ神様ということ)だからである。そして、 ​ 創世記1:27b:「神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」 とあるように、「彼」という単数でありながら「男と女とに彼らを創造された。」というように、私たち人をも複数に造られたのである。ここに、私たちは神様と同じような「存在」として造られたことが分かる。それだけではなく、 ​ 創世記2:23~24:「人は言った。『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』2:24 それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」とあるように、 私たちは、神様のように「一体」な

元旦礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】「神様の事始め」 【聖書個所】創世記1:27「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」 【本論】「一年の計は元旦にあり」とあるが、私たちは新年を迎えると、新しい一年の計画をいろいろ思いめぐらす。そして、それを実行して行く。神様も同じで、何か事を始めるに当たり、先ず神様も心の中で事を始める何かを思い巡らし、思いの内に思い浮かび上がらせ、そしてそれを形にして実行して行く。まさに、今日のみことばがそれを語っている。 Ⅴ27:「神はこのように、…。」 ◎「このように」とは?―Ⅴ26:「そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。」 ここに2カ所、「何々しよう。」、「何々させよう。」という、明確な意志を示す言葉が出て来る。そのように神様は、私たちの創造に関して、御自身の明確な意志を持って私たちを造られた。それも、ただ「こうしよう。」と思いを心に抱いただけではなく、それを「仰せられた。」とあるように、口にそれを言葉として載せられ、そして語って、私たちを造られたのである。 実際、私たちの場合だけではなく、創世記の1:3から見れば分かるように、「光」、つまり「昼」、「大空」つまり「天」、「地」、「海」、植物、動物、ありとあらゆるものを、御自身の心の中で、「こうしよう。」という明確な意思をもって、その思いを抱き、そして口に上らせ、口で語り、そして造られたのである。それが、Ⅴ3~Ⅴ25の、第5日目までの創造というわざの事始めとして記されている。そし

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