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主日礼拝メッセージ:ウィリアム・ウッド師

【聖書個所】 Ⅰペテロ4:12~19: ​ 【タイトル】 キリストの苦しみに預かる人々 ​ ※ビデオメッセージの準備が出来次第、アップします。暫くお待ちください。 ​ ​ ​ ​ ​ ​ ​

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 エズラ記4:1~24: ​ 【タイトル】 困難に打ち勝ち、教会を建て上げる神の民 ​ 【本論】 バビロン捕囚から解放され、神殿再建命令を受けてエルサレムに帰って来たイスラエルの民は、BC536年に神殿の礎を据える工事を開始した。ところがそれも束の間、エルサレムにいた人々、「ユダとベニヤミンの敵たち」(Ⅴ1)と言われているサマリヤ人たちに工事の妨害をされ、結局「ペルシャの王ダリヨスの治世の第2年」(Ⅴ24)BC520年までの16年の間、工事は中断を止む無くされた。今日はこのサマリヤ人の妨害によって神殿建設工事が中断されたという出来事から、私たちの教会建設(霊のからだである教会形成)にとって無くてはならないメッセージを聞いて行きたいと思う。何故なら、私たちの教会建設にもしばしばこのような問題が起こるからである。どうすればそのような問題に勝利し、教会建設を進めることが出来るだろうか?―今日のポイントは一つだけだが、その前に先ず2つのことを掴んでおこう。 ​ ①私たちは自分という教会を建てているということ、 ②それは容易ではないということ の2つである。 ​ (1)私たちは自分という教会を建てている。 ​ 教会形成というと、それは牧師とか役員、重荷のある人がやることであって、私とは関係ないと思う人がいるかもしれないが、そうではない。それは自分のことなのである。 ​ エペソ2:20~22:「あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリス

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 キリストの純粋な花嫁としての信仰生活 ​ 【聖書個所】 Ⅱコリント11:1~15 【序論】 パウロは第2回伝道旅行の中で、アクラとプリスキラと共にコリント教会を開拓した。(使徒18章)。コリントは、その町があったアカヤ地方の代表的な町で、商業が栄え、それだけではなく、町にはアフロディトという偶像の女神を祭る大きな神殿もあって、そこでは千人を超える神殿娼婦が不品行な礼拝をささげていた。それで、この町は経済的には繁栄していたが、霊的には非常に退廃した町だった。そのため、その教会の中には偶像礼拝や不品行、信者間の裁き合いや訴訟、分裂分派や御霊の賜物に関する問題などさまざまな霊的問題があり、パウロは第3回伝道旅行で訪れたエペソの教会から、それらの問題を指摘し、第1の手紙を書き送った。しかしそれでも解決しないので、パウロはコリント教会に立ち寄り(使徒20章)、その後、この第2の手紙を書く前に、幻の第2の手紙を書き送って厳しく悔い改めを迫った。 ​ ところが、罪というものはしぶといもので、全員が悔い改めたわけではなかった。今なおパウロが使徒であることを受け入れず、パウロを軽んじて、パウロ以外の言葉巧みな働き人、実は彼らは偽使徒で、耳に聞こえのよい異なる福音を宣べ伝え、コリントのクリスチャンたちをキリストから引き離そうとしていたのだが、彼らはその声に耳を傾け、偽りに乗せられてしまった。その有様をパウロは、Ⅴ4:「というわけは、ある人が来て、私たちの宣べ伝えなかった別のイエスを宣べ伝えたり、あるいはあなたがたが、前に受けたことのない異なった霊を受けたり、受け入れたことのない異なっ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 「驚くべき信仰、驚くべき神の愛と恵み」 ​ 【聖書個所】 ルカ18:35~43 ​ 【本論】 Ⅴ35:「イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。」 ​ この個所で不思議なことは、この人は盲人なのに、イエス様が通られると聞くと「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と叫んだという。それもイエス様に付いていた人たちからたしなめられても、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。これは実に驚くべきことです。―なぜなら、「ダビデの子」という言葉は、旧約聖書で預言されているメシヤ・救い主キリストを表わす言葉だからです。 ​ イザヤ9:6~7:「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。万軍の【主】の熱心がこれを成し遂げる。」 ​ このダビデの王座に着く「ひとりのみどりご、ひとりの男の子」が「ダビデの子」であり救い主イエス・キリストのことですが、この盲人がそれを知っていて、イエス様に向かって叫び求めていたと言うのは、当時の盲人の立場からすると驚くべきことなのである。というのは、盲人はユダヤの社会では呪われた者として社会から疎外され、シナゴーグに行って教えを聞いたり礼拝したりすることが出来ない人たちだったからである。それなのに、こ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】 「神のかたちの完成目指して(8)―交わりの喪失と回復―」 ​ 【聖書個所】 創世記3:8~13 ​ 【本論】 この個所に、神様が世界を造られた後に、世界で一番最初に発せられた「問い」がある。「問い」というより、「叫び」のような「問い」がある。それは、「あなたは、どこにいるのか?」(Ⅴ9)である。 ​ どうして神様がこの問いを発せられたのか、それは、人がこの神様の問いに答えているように、神様が、取って食べてはならないと命じておいた木からその実をとって食べてしまった結果、善悪を知るようになり、自分の犯した罪の重さに気付き、裸の部分をいちじくの葉で隠すだけではなく、自分自身を神様の目から隠そうとしたからです。 ​ ここに、罪というものがどういうものであるか、罪がもたらすものが何であるかがよく示されている。罪というものは、「神との断絶のこと」という風に言うが、それは、「神との交わりを失ってしまった状態」と言っていい。 ​ 人は罪を犯すまでは、「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である【主】の声を聞いた。」(Ⅴ8)とあるように、彼らは「そよ風の吹くころ」、「園を歩き回られる神」(園の所有者であることを示す言葉)といつも交わっていた。神様をキリスト、私たちをキリストの花嫁とするならば、神様とデートをしていたというわけである。 ​ 脚注:「そよ風」=「日の風」=「一日の始まりの頃に吹く風」のこと。しかしこれは、私たちの一日の始まり、太陽が昇る朝に吹く風のことではなく、日が沈む夕方の頃に吹く風のことである。(ユダヤでは、一日の始まりは私たちの時間の午後6時である。)英語の

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