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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 ​エズラ7:11~28 ​ 【タイトル】 エズラ記(9)「エズラの賛美に見る信仰者の賛美」 ​ 【序論】 この箇所は大きく2つに分かれる。V12~V26:エズラに与えたアルタシャスタ王の手紙の部分と、V27~V28:エズラの神への賛美の部分である。今日は、特にこのエズラが神にささげた賛美の箇所から、私たちがささげるべき神への賛美の姿を学んで行きたいと思う。 ​ 【本論】 7章前半に帰るが、エズラはアルタシャスタ王の第7年、BC458年に、8章に記されている1,514名の者と一緒にエルサレムに帰還した。その目的は、V10:「エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていたからである。」とあるように、彼は祭司であったが、律法の教えに通じている学者、教師でもあったので、これより80年前、BC538年にクロス王の帰還命令によってエルサレムに帰還し、神殿再建を成し遂げた人々にとって必要なのは神の御言葉だと確信をもっていたので、それを教えようと心に定めていたというのである。そして、それを実行に移した。 ​ 「幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。」(箴言29:18)とあるように、「これをしよう。」と心の中で定め、それを持っていること、幻を持っていることは幸いです。空しく過ごすことがないからです。しかしそれだけではなく、心の中に幻を持っていて、それを実行することが出来ることは尚のこと幸いです。種を撒けば、収穫があると期待することが出来るからです。「人は種を撒けば、その刈り取りもすることになりま

  憐れみ深いカウンセラー

A Compassionate Counselor 「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13) 私はよく神学校の学生たちに訊く質問が2つある。一つは、「深刻な個人的問題を分かち合う場合、どんな人柄の人が相手であれば、それをすることができると思うか」という質問と、もう一つは、「そういう相手であれば、信頼してどんなことでも打ち明けることができると思うか」という質問である。 クリスチャンカウンセラーとして欠くことのできない要件は、クライアントが、今そして過去に抱えていたどんな問題であっても、それらをカウンセラーに話しても、絶対に大丈夫だという信頼があるかどうかである。クリスチャンカウンセラーには特にアカデミックな資格が求められているわけではないが、聖書に基づいた訓練を受けることは大いに助けになるだろう。講壇の席に座る者であっても会衆席に座る者であっても、クリニックのデスクの前にいる者であっても台所の食卓の前にいる者であっても、神は憐れみの心を持つ者を用いられるのである。 クライアントの語る話を真実に聞く耳を持つ者でなければ、人を助けることなどできないだろうし、クライアントの信頼に足る者でなければ、人の語る話を聞くこともできないだろう。助けを求める人は、カウンセラーにどれだけ知識があるかというより、カウンセラーがどこまで親身になって聞いてくれているのかを見ているのです。憐れみは、カウンセリング技術の問題ではなく、クリスチャンとしての人格と愛の問題なので

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 マタイ6:10b:「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」 ​【タイトル】 主の祈り(4)「みこころが行なわれますように」 【序論】 私たちは今、主の祈りをマタイの福音書から学んでいるが、ルカの福音書にも主の祈りの箇所が出て来る。そこにはマタイの福音書とは違う点がある。それは、弟子の一人がイエス様に祈りについて教えを請い、そしてその願いに答えて、イエス様が弟子たちに教えておられるいうことです。 「祈りについて」には2つの意味がある。一つは、祈りとはどういうものかという祈りの定義のようなもの。もう一つは、どう祈ったらよいのかという祈り方についてです。事実、聖書を読み比べてみると、新改訳聖書のようにどちらにも採れる訳し方の聖書と、現代訳聖書のように、明らかに祈り方について訊き、それに対して答えているようにみえるものがある。 現代訳(ルカ11:1~2):「イエスがある所で祈っておられると、その祈りが終わった時、弟子の一人がイエスに言った。『主イエス様。バプテスマのヨハネがその弟子たちに祈祷文を教えたように、私たちにもどのように祈ったらよいのか、教えてください。』そこで、イエスは彼らに言われた。『このように祈ったらよいでしょう。』」と、そして、主の祈りが続く。 ​ ​ このように、確かに2つの捉え方があるが、肝心な点は、イエス様が「だから、こう祈りなさい。」(マタイ6:9)、また「祈るときには、こう言いなさい。」(ルカ11:2)と言われている通りに祈ることです。今日もそういう意味で、イエス様は私たちに、どのような祈りを、どのように祈ったらよいのかと教えてい

  子供たちのための最大の防御

A CHILD'S BEST DEFENSE DEFENSE 「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」 (マタイ19:14) しばしば私が幼児に関して受ける質問がある。それは、幼い子供でも悪霊の攻撃を受けることがあるかどうかという質問です。答えは「はい」である。新学校での私のクラスの中の3人の学生が、彼らの子供たちに起きる奇妙な行動について話をしてくれた。これらの子供たちはそれぞれ、時々常軌を逸したような行動を取り、どんな躾も役に立ちそうではないと言うのである。私はこれらの学生たちに、「そんな時、自分の思いに反して、そのような行動を取る思いが湧いて来るのかどうか?」と自分の子供に思い切って尋ねてみるように勧めた。すると、その答えは、どの場合も「そうだ」であった。そこで彼ら親たちは、その子供たちの行動ではなく、その欺かれた思いに取り組んだ時、躾の問題は効を奏して解消したのである。 ​ ある一人の子供の場合、嘘を言って親から物を盗む衝動に駆られていたが、その子供が父親に言うには、「お父さん、そんな時ぼくはしなければならないんだ。何故なら、そうしなければ悪魔がお父さんを殺すぞというからなんだよ。」ということだった。その子の父親が私に語ってくれたが、「もし私がアンダーソン先生の話を聞いていなかったら、きっと私は我が子を、その悪い行動を責めて、きつく罰していたでしょう。しかし、私はその代わりに彼をきつく抱きしめ、敵である悪魔の偽りに立ち向かい、彼を悪魔の攻撃から救いだすことが出来た。」と。それ以来、その子供の

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 Ⅰテサロニケ5:16~18: ​【タイトル】 「主に在る私たちに神が望むこと」 【序論】 今日のみことばは、私たちにとって馴染みのあるみことばです。「い つも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」と、暗唱出来るほど、また、♪いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことを感謝しよう♪と賛美出来るほど良く知られているみことばです。しかしこのみことばは、ただ「良く知っています。」、「賛美してます。」とかいう程度のみことばではなく、このみことばに込められている、この書簡を書いたパウロの思い、また、「これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられること(これは「キリスト・イエスに在る私たちに神が望んでいること」ということ)です。」(V18)とあるように、「キリスト・イエスにある私たち」つまり「主にある私たち」に対して神が望んでおられることを本当に知るならば、このみことばは、重要なみことばなのだということが分かる。 ​ では、パウロはこの手紙をどんな思いをもって書いたのか、また、神は主に在る私たちにどのような望みを持っているのか、この手紙の背景に触れながら、メッセージに入って行こう。 【本論】 パウロは、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」というように、3つのことを命じている。そして、そこには共通しているものがある。それは何か?―それは、「無条件で」ということです。 ・「いつも」:(ギ)パントーテ=「パン(あらゆる)」+「トーテ(その時)」。⇒「あらゆる時に、すべての時に、どんな時にでも」というよ

何を信じているかを変えるなら   

A CHANGE OF BELIEFS しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、…。(エペソ2:4~5) 23歳のジェニーは見た目には快活で可愛いいクリスチャン女性です。彼女は両親から 愛され、良い教会にも通っていたが、しかし彼女の内面は綻んでおり、鬱積された感情で 一杯であった。彼女は大学を卒業し切ることが出来そうにもなく、また現在の仕事もまさ に失いかける状態であった。それだけではなく、彼女は数年間続いている摂食障害の中に あり、それに対する医療的治療も何の効も奏さない状態だった。 私はちょうどその時、ゼミの学生のための1ヶ月の修養会を計画していて、彼女はゼミ の学生ではなかったが、何故か彼女はそこに参加することが必要であるという感じを持っ た。そこで私は彼女に参加を呼びかけたところ、意外なことに、彼女はそれに同意してく れたのである。 修養会の場所に着くと、暫くして私は彼女を招き、こう言った。「ジェニー、私は君の 言動を変えるためにここに招いたのではないよ。君の言動に何か問題があるからではない からだよ。」すると彼女は、「私はいつも私の言動に問題があると言われ続けていたの に。」と言って、私の言葉に驚いたようだった。 「私は君の言動にはそんなに心配はしていない。私が気にかかるのは、君の信念、君が 何を信じているかということについてだよ。私は君が、神と君自身がキリストにあってど ういう者であるのかということについて、君が思いを変えられるようにと祈って来たん だ。君は駄目な者なんかでは

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