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【聖書箇所】 ネヘミヤ3:1~32 【タイトル】 ネヘミヤ記(6)「城壁再建工事は私たちの働き」 【本論】 今日はこのところより、「城壁再建工事は私たちの働き」と題してメ ッセージを取り次ぐ。城壁再建工事は、教会という霊的建物の建て上げ とその働きに深く関係している。いつものように3つのポイントで語る。 第1のポイントは、今読んでもらって分かったように、この工事は、ネ ヘミヤに与えられたビジョンから始まったが、実際の工事はいろいろな 立場、いろいろな職業、また、エルサレムだけではなく、他の場所に住 んでいる人、例えば、「エリコの人々」(Ⅴ2)や、「ギブオンとミツ パの人々」(Ⅴ7)のように、いろいろな所からの人々が工事に加わって いるということである。そして、それぞれに任された場所があって、その場所の工事に当たっているということである。言うならば、(1)いろいろな人による分担作業だったということ。2つ目のポイントは、その作業はそのように分担された作業だったが、決してバラバラに行われたものではなく、(2)調和がとれた作業だったということ。第3のポイントは、有名無名に関わらず、(3)確実に人が参加して実現したということ。この3つのポイントを見ることが出来る。 ​ (1)いろいろな人による分担作業だった。 この時のエルサレムは、東西に約800~900m、南北に約1kmの広さを有する町だった。だから城壁の長さは約4kmほどになるが、これだけの長さの城壁をバラバラにやったのではとてもではないが完成することは出来ない。物事には優先順位というものがある。だから、先ずどこから始めるかという順番

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書箇所】 ヨハネ19:28 【タイトル】 十字架上の主の7つの言葉(5)「わたしは渇く。」 【本論】 「この後」とは、ここで言うなら、Ⅴ26とV27のイエス様の十字架上の3番目の言葉、「女の方、そこに、あなたの息子がいます。」そして、「そこに、あなたの母がいます。」と言われた、その後のことを指すだろうが、時間的には、前回のマタイ27:46「エリ、エリ、レマサバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)」と、暗闇の中で叫ばれた4番目の主の十字架上の言葉の後のことである。この言葉は、私たち罪人のすべての罪を身代わりに被り、十字架の上で裁きを受けられた罪人としてのイエス様の叫びの言葉であったということ、そして、それと同時に、そのイエス様に対する断罪により、私たちの罪の贖いが完成したことを意味する叫びの言葉でもあったと、前回のメッセージで語った。 ​ パウロは、このイエス様の贖いのみわざのことを次のように言っている。 ​ Ⅱコリント5:21:「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためで す。」 ​ このみことばが表しているように、イエス様の十字架による私たちの罪の贖いは、イエス様が罪人として十字架に付けられたとき、神様は御子であるイエス様から義の衣を剥ぎ取り、そして、私たち罪人から罪の衣を剥ぎ取って、義の衣と罪の衣を交換されたということである。それが、イエス様の十字架の上における贖いの実体です。私たちはそのようにして救われたのです。だから私たちはイエス様に、神様に感謝したいと思う。この恵みを

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【聖書個所】 Ⅰテモテ4:7b~8 【タイトル】 「練られた敬虔のもたらす祝福」 【序論】 前回、私たちは「聖い生き方をする敬虔な者」とされたのだから、そのような者として生きて行こうということを語った。皆さんはどうだろうか?―この書簡を書いたパウロは、ピリピ1:20でこう言っている。 ​ ピリピ1:20:「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」 ​ パウロはローマにいる時、牢の中に捕らえられていた。しかし、そのことによってある兄姉たちは却って確信をもって福音を宣べ伝えるようになり、投獄されていたパウロの励ましになった。一方では、ある兄姉たちは党派心をもって福音を宣べ伝え、投獄されているパウロを苦しませていた。しかしパウロは、どのような動機であろうとも、結果的にはキリストが宣べ伝えられているので、そのことを喜んでいると言っている。それは、どのような形であろうとも自分の身によってキリストが宣べ伝えられ、崇められているので、それをパウロは喜ぶと言う。これこそ、敬虔な者の姿です。と言っても、私たちは敬虔な者であり続けるために、パウロのように牢獄に入らなくてもいい。しかし敬虔な者であるために、しかもより敬虔な者であるためには、私たちには経験しなければならないことがある。今日は、そのことをみことばから学んで行こう。 ​ 【本論】 パウロは、「むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束さ

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