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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 ヨハネ16:33:「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、 あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世に あっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに 世に勝ったのです。」 ​ 【タイトル】 「しかし、勇敢でありなさい。」 ​ 【前置】 今日はこの個所から、今日私たちが直面している大変な状況の中で、聖書は何を私たちに語っているか、そのメッセージを受け取って行きたい。 【本論】 聖書は、私たちが今直面しているような状況、それを患難という言葉で表現している。抄訳聖書では、試練、困苦、挫折という言葉で説明されている。聖書は、そのような患難は今の世にあって私たちには「あるのだ!」ということがはっきりと語られている。コロナウィルスに感染するのではないかという恐れ、その果ては死に対する恐れ、こんな状態がいつまで続くのかという不安、日本の国の経済や私たちの生活に対するダメージ、そんな中での精神的なストレスや困苦というものはあって欲しくないが、しかし、「あるのだ」ということが語られている。しかし一方聖書は、私たちに対して「しかし、勇敢でありなさい。」と言う。ここに第一のポイントがある。 ​ (1)世にあっては患難がある。しかし、勇敢でありなさい。 ​ この「世にあっては患難がある。しかし、勇敢でありなさい。」とはどういうことか?私たちはイエス様を信じているから患難にあわない、コロナウィルスにも罹ることはないと勇敢に思えということではなく、「あなたがたは、世にあっては患難があります。」と言っているのだから、クリスチャンでも患難にあう。

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書箇所】 ヨハネ19:30 【タイトル】 十字架上の主の7つの言葉(6)「完了した。」 【本論】 イエス様は十字架の上に架けられて6時間後、もう間もなく息が絶えようとするとき、「わたしは渇く。」と仰った。その言葉を聞き、そばにいたローマ兵は酸いぶどう酒を海綿に含ませ、ヒソプの枝に付けてイエス様の口に差し出した。 V28~Ⅴ29:「この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、『わたしは渇く。』と言われた。そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った入れ物が置いてあった。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口もとに差し出した。」 「酸いぶどう酒」とは、過度に発酵はそれを飲料水として飲んでいた。だから、これは文字通りのぶどう酒ではない。またこれは、イエス様が十字架に付けられる時に、ローマ兵がイエス様に飲ませようとした苦みを含んだ葡萄酒のことでもない。当時、刑を執行するローマ兵は、十字架に釘づけられる者に苦痛がないようにと、麻酔効果のある苦みを混ぜた葡萄酒を用いたのである。しかし、イエス様はそれを飲もうともされなかった。(マタイ27:34)イエス様は、私たちの贖いのために、罪から来る私たちが受けるべき全ての苦しみを味わって下さった。私たちはそれによって、罪の贖いを受けているのである。そのことを覚えたい。 「海綿」とはスポンジのこと。ギリシャ語では「スポンゴス」と言う。「スポンジ」という言葉の語源である。 「ヒソプの枝」は、ユダヤ人たちが祭りの時に使う植物で、イスラエル人たちがエジプトを脱出する時、彼らの家のかもいと門柱にこ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 伝道者3:11:「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」 【タイトル】 「“まさか”を支配される私たちの神」 【序論】 今、毎日コロナウィルスについてのニュースが流れる。私たちは新年を迎えるとき、まさかこんなことが起ころうとは誰も思ってもいなかっただろう。私たちの人生には、このように「まさか」と思うような出来事が起こるのである。それはよい意味でも、また悪い意味でもです。どうしてだろうか。それは、今日の聖書箇所にあるように、「神のなさることは、すべて時にかなって美しいが、また、神は人の心に永遠への思いを与えられたが、私たちはその神様が行われるみわざをすべて完全にみきわめることが出来ないから」です。人は、それが私たちにとって良いことであろうと悪いことであろうと、その起こることの初めも終わりも、それがいつ起きるのか、いつ終わるのか、何故そのことが起きるのか、何のためにそのことが起きたのか、そのような、私たちの周りで起きるすべてのことについて私たちは何も完全には分からないからです。 しかし、一つだけ分かることがある。それは、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい、完全である、素晴らしい。」ということです。だから今、私たちはどうして神様がこのコロナウィルスの脅威を私たちに許されているのかどうか、その理由、目的、意味のすべては分からないが、それは神様の美しいみわざ、素晴らしいみわざであることを先ずしっかりと受け留めたいと思う。そして聖書の中か

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書箇所】 Ⅱペテロ3:11、Ⅰテモテ6:6~12a 【タイトル】 「満ち足りた心を伴う敬虔」 【本論】 先ず、Ⅱペテロ3:11のみことばは今年の教会の年間聖句で、私たちはイエス様の贖いによって「聖い生き方をする敬虔な人」になったので、そのような者として私たちは生きていかなければならないのだということを年頭のメッセージで語った。特に、主の再臨に伴う裁きの時には、すべてのものは火で焼く尽くされ、崩れ落ちてしまうので、それらのものにすがらず、終わりの日が来ても、決して焼き尽くされることがなく、崩れ落ちることのないものにすがらなければならないのだということを語って来た。 今日はもう一度その焼く尽くされることのないもの、崩れ落ちることのないものとは何かを思い出しながら、今、私たちは新型コレラウィルスの脅威に晒されて生きているが、この脅威に脅かされることなく生きて行く生き方を聖書から探って行きたい。結論を言う。それは「満ち足りる心を伴う敬虔さを持って生きる。」ということである。 ​ Ⅰテモテ6:6:「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」 聖書は明確に、「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と言う。「敬虔」とは、「神らしさ」とか、「神を神として、神を第一にして生きて行くという生き方のことである。」と言った。だから、私たちは神を神として、神を第一にして生きて行くならば、大きな利益を受けることが出来るのです。では、その大きな利益とは何か?―それは次の個所にある。 ​ Ⅰテモテ6:7~12a:「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ

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