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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 ネヘミヤ5:1~13 ​ 【タイトル】 ネヘミヤ記(9)「内なる問題への対処」 ​ 【本論】 V1:「ときに民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声をあげた。」 ​ ネヘミヤの城壁再建工事が始まると、そこにいたサマリヤ人やアモン人たちによる妨害が始まった。だからネヘミヤたちは槍や剣を持ち、日夜見張りを立てながら、城壁再建工事をしていた。 するとその時、「民とその妻たちは、その同胞のユダヤ人たちに対して強い抗議の声をあげた。」とあるように、彼らの内部から抗議が始まったとある。つまり、彼らの内から工事の妨げになる問題が起こったのです。一体何が起こったのか? ​ V2~Ⅴ5:「ある者は、『私たちには息子や娘が大ぜいいる。私たちは、食べて生きるために、穀物を手に入れなければならない。』と言い、またある者は、『このききんに際し、穀物を手に入れるために、私たちの畑も、ぶどう畑も、家も抵当に入れなければならない。』と言った。またある者は言った。『私たちは、王に支払う税金のために、私たちの畑とぶどう畑をかたにして、金を借りなければならなかった。現に、私たちの肉は私たちの兄弟の肉と同じであり、私たちの子どもも彼らの子どもと同じなのだ。それなのに、今、私たちは自分たちの息子や娘を奴隷に売らなければならない。事実、私たちの娘で、もう奴隷にされている者もいる。しかし、私たちの畑もぶどう畑も他人の所有となっているので、私たちにはどうする力もない。』」 ​ 工事の期間、その時どうやら飢饉もあったようで、工事をしている人々の中で、ある人たちの「食物が無くて困っている。どうし

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 ヨハネ14:6 ​ 【タイトル】 「真理なるイエス様に仕える道」 ​ 【前置】 このみことばは、前回も言ったが、ただ「イエス様を信じれば天国に行けますよ。」というふうに、人を救いに導くときだけに語られるみことばではなく、「わたしを通してでなければ」、ある聖書では「わたしを離れては」とあるが、イエス様が弟子たちに、「わたしを通してでなければ(わたしを離れては)、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」 とあるように、父なる神様との関係の大切さ、イエス様との関係の大切さ、言い換えるなら、このところの何ヵ所で、「知っています。」(Ⅴ4)、「知っていたなら」、「知っていたはずです。」、「知っており」(Ⅴ7)、「知らなかったのですか。」(Ⅴ9)とあるように、イエス様と私たち、父なる神様と私たちとの関係の中で、私たちが本当にイエス様を知るということ、また父なる神様を本当に知るということの大切さを語っている言葉なのです。 ​ そういう中で、イエス様は「わたしが真理であり」と言われました。ですから今日は、このイエス様が言われた「わたしが真理であり」というところから、真理であるイエス様、真理である神様を知ることの重要性について、御一緒にみことばから考えて行きましょう。 ​ 【本論】 イエス様は、「わたしが真理です」と言われた。英語では“I am the truth”となっていて、定冠詞が付いている。つまり、他にはない唯一の真理ということです。 ​ ◎真理とは何か?―講談社の国語辞典では、①まことの道理、正しい道理、②正しい推論、正しい論理、③永遠に変わることのない、誰もが認め

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】 Ⅱペテロ3:11、ローマ12:1~2: 【タイトル】 「聖い生き方をする敬虔な者(7)―コロナ後の私たちの生き方―」 【序論】 緊急事態宣言が解除され、こうして集まって礼拝を捧げることが出来るようになった。本当に感謝である。しかし「あ、これで良かったな~。」と思ってもいいが、それで終わってはならない。何故なら、今回の問題を私たちが体験したということは、それ以上の意味がそこにあるからです。今日は、その意味について考えてみたい。コロナ後の私たちの生き方はどうあらねばならないだろうか?聖書は何と言っているだろうか。 Ⅱペテロ3:11:「このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」 この終わりの時代になると、コロナウィルスのような疫病、地震、戦争、その他、さまざまなことが起きて、やがて主の日が来ると、この世のすべてのものはくずれ落ちて無くなってしまう。だから、私たちは「どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」と言っている。これは、コロナウィルス、或いは、今後これに類するような感染病が出現した時に、それらに感染することが無いように、今回「新しい生活様式」というものが出たが、そのような「外見的な生活の様式」のことではなく、信仰者の内面的なことです。そしてこのみことばは、このようにこの世のすべてのものは崩れ落ちてしまうのだから、私たちは「もっと聖い生き方をする敬虔な者にならなければならない。」という「行ない」のことを言っているのではなく、私たちはもう既にイエ

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