憐れみ深いカウンセラー

A Compassionate Counselor


「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)


 私はよく神学校の学生たちに訊く質問が2つある。一つは、「深刻な個人的問題を分かち合う場合、どんな人柄の人が相手であれば、それをすることができると思うか」という質問と、もう一つは、「そういう相手であれば、信頼してどんなことでも打ち明けることができると思うか」という質問である。


 クリスチャンカウンセラーとして欠くことのできない要件は、クライアントが、今そして過去に抱えていたどんな問題であっても、それらをカウンセラーに話しても、絶対に大丈夫だという信頼があるかどうかである。クリスチャンカウンセラーには特にアカデミックな資格が求められているわけではないが、聖書に基づいた訓練を受けることは大いに助けになるだろう。講壇の席に座る者であっても会衆席に座る者であっても、クリニックのデスクの前にいる者であっても台所の食卓の前にいる者であっても、神は憐れみの心を持つ者を用いられるのである。


 クライアントの語る話を真実に聞く耳を持つ者でなければ、人を助けることなどできないだろうし、クライアントの信頼に足る者でなければ、人の語る話を聞くこともできないだろう。助けを求める人は、カウンセラーにどれだけ知識があるかというより、カウンセラーがどこまで親身になって聞いてくれているのかを見ているのです。憐れみは、カウンセリング技術の問題ではなく、クリスチャンとしての人格と愛の問題なのである。


 カウンセリングの目指すところは、クライアント自身が、過去に抱えている葛藤を解決し、現在の問題に対処することができるようにと助けることである。彼らが抱えている過去の葛藤というものは、多くの場合、彼らの思いの内に起きるサタンの支配による束縛と関連しているものである。人々が成長したり成熟したりできないのは、彼らが自由を失っているからである。だから、クリスチャンカウンセリングのゴールは、それが牧師によるもの、専門のカウンセラーによるもの、はたまたただの友人によるものであるかどうかに拘わらず、それによって、人々がキリストに在る自由を体験し、そうして成熟に至ることの助けとなることなのです。


 「主よ、私に憐れみを与え、人々の良きカウンセラーとなることができますように。どうぞ私が独善

 的になることがないようにお守りください。」(ニール・アンダーソン)


                       Freedom in Christ Ministries International 掲載許可

6回の閲覧

© 2015-2020 by Sunrise Christian Center Misato Yoshikawa Church

大きな幻を持ち、小さいことにも忠実に、・・・主の愛に生きる教会

 Big enough to vision and small enough to care, ...living in the love of our Lord.

  • Twitter Social Icon
  • c-facebook
This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now