2020年9月27日 主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書箇所】

ネヘミヤ7:1~4

​【タイトル】

ネヘミヤ記(12)「城壁再建工事の完成」

【序論】

Ⅴ1:「城壁が再建され、私がとびらを取りつけたとき、門衛と、歌うたいと、レビ人が任命された。」

 「私がとびらを取りつけたとき」というのは、まさにその完成を示す言葉である。壊されていた門、ここでは具体的にどこの門かについては語っていないが、ネヘミヤ3章のところで、「羊の門」から工事を始めて、扉を取り付けたと書いてあるので、12個あった門を順番に修復して扉を取り付けて行ったとすると、最後の「ミフカデの門」という門のことかもしれない。いずれにしても、そのようにして城壁の再建工事が完了した。これは私たちの教会に当てはめて言うなら、教会の形が出来たということである。これから彼らはいよいよ、その城壁内のイスラエル人の生活共同体をどのように作って行くかと言うことが彼らにとっての課題になるのであった。そういう点で、私たちもまだ、信仰の共同体という教会形成の途中にあるわけで、どういう点が重要であるのかを、これからの学びの中で学んで行こうと思う。3つのポイントがある。

【本論】

(1)門衛を任命した。(キリストの体の一致を壊すもの、妨げるものを防ぐことを示す。)

 門衛の役割は何だろう?―侵入者を防ぐこと。当時、城壁再建工事中にはトビヤ(アラム人)やサヌバラテ(ホロン人)、アラブ人ゲシェムなどが、ネヘミヤたちの再建工事妨害を図っていた。ある時は、工事に携わる人々は片手に投げ槍を持ち、反対の手には道具を持って工事に当たることがあった。(4:17)またある時は、「おまえたちの立て直しているという城壁は一体何だ。そんな程度の城壁なら、キツネ一匹がその上に上がるなら、その築き直している石垣など簡単に崩れてしまうだろう。」と嘲って、意気消沈させようとした。(4:2~3)またある時は、「ユダヤ人は城壁を築き直して、王に反逆しようとしているのだ。」と、根も葉もないうわさを立てて、恐れによって工事を止めさせようとした。(6:6)

 このように、外部の敵があらゆる手段を講じて工事を止めさせようとした。その理由は、イスラエル人たちが自立して彼らの生活共同体が出来上がり、それによって彼らがそれまでその地域で築いていた利権や利益が失われるのを防ぎたかったからである。ネヘミヤたちは工事が完成しても、これからもこういったイスラエル人に対して敵意を抱いている人たちが、どのような攻撃を仕掛けて来るかも分からないので、そういう敵からの攻撃を防ぐために門番を任命した。その門番についての詳細はⅤ3~Ⅴ4にある。まだエルサレムに住む住民の数は少なかったようで、住民自らが門番となって町を守らなければならなかった。それも、通常は日の出と共に開門し、日の入りと共に閉門するのだが、人数が少なかったため、開門している時間を狭めるため、お昼ごろに開けるようにしたようである。門番は、そのように外部からの敵の侵入者を防ぐために置かれた。それが彼らの使命だったからである。

 これを私たち教会に当てはめてみるならば、私たち信仰共同体の、神に対する信仰を破壊しようとするこの世の力からの守りであり、またその信仰における教会の一致を破壊し、奪い取ろうとするサタンの力、悪しき力からの守りです。そういう点で、10月よりNARについての学びをすることは意義があるでしょう。しかし、それと同時に重要なのは、神御自身をよく知ることです。よく聞く話だが、偽札の見分けに最も効果のあるのは、偽札について勉強することよりも、本物を学ぶことだと言う。偽札はいろいろ変わって人の目を騙すが、本物は決して変わらないからです。

箴言23:26~28、31~32:「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。彼女は強盗のように待ち伏せて、人々の間に裏切り者を多くする。」、「ぶどう酒が赤く、杯の中で輝き、なめらかにこぼれるとき、それを見てはならない。あとでは、これがのようにかみつき、まむしのように刺す。」

 この世の中にはいろいろ私たちを誘惑するものがある。神に対する信仰を奪い取ろうとする働きがある。「遊女」や「見知らぬ女」のようなもの。また「ぶどう酒」のようなもの。しかし、聖書はそれらを見てはならない、それらに目を留めてはならないと言う。何故なら、それらは私たちを誘惑し、終には私たちを滅ぼすからです。確かにNARに見られる繁栄の神学や権威主義的教えは私たちの神様に対する信仰を歪め、また教会の在り方を不健全なものにする。しかし、結果的にそうなるのは、そのような外部にある教えだけでなく、私たちの側にも原因があるのです。

ヤコブ1:14~17:「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行影はありません。」

 繁栄の神学や権威主義的教えは、それらに対する欲のある人にとっては魅力的なものです。だから「おびき寄せられて、誘惑されて、罪を生み、罪が熟して死を生む」のです。しかし、先ほどの箴言では何と言っていただろう。

箴言23:26~27:「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。」

 「深い穴」、「狭い井戸」を見たら、それを覗き込んだら、そこに落ち込む。だから、「わが子よ。あなたの心をわたしに向けよ。あなたの目は、わたしの道を見守れ。」と言う。また、

創世記4:7b:「…、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」ともある。

※先ず私たちは、私たちの門に門番を置き、自らの心を、神様に対する信仰をしっかりと守ろう。

(2)歌うたいとレビ人を任命した。(礼拝を中心とした信仰生活を大切にすることを示す。)

 完成した城壁の中の神殿での礼拝のための奉仕者を立てたということ。の民にとって一番重要なことは神を礼拝すること。そのために彼らは、先ず礼拝のためにささげられる羊の出入りに使われた羊の門から工事が始めた。そのように彼らにとって大切なことは神を礼拝することだった。

礼拝は私たちの信仰生活の要です。それは日曜のだけのことではない。毎日の生活における神中心に生きる生活が大切なのです。

ヨハネ4:23:「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」

※私たちも、これからもいつも神様を中心にして、神様を礼拝する生活を大切にしよう。

(3)エルサレムを治める者を任命した。(教会内の奉仕者、特に、役員を中心にして主だった人たちはどういう人たちでなければならないかを教えている。)

Ⅴ2:「私は、兄弟ハナニと、この城のつかさハナヌヤとに、エルサレムを治めるように命じた。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。」

 「エルサレムを治める者」といっても、政治的に治めるという意味ではない。この時点では既にネヘミヤ自身が総督として選ばれていたからである。これは、Ⅴ3:「私はふたりに言った。」とあるように、「…。『太陽が高く上って暑くなる前に、エルサレムの門をあけてはならない。…。』」と、先に任命した門衛に対し、どのように門を管理するか、その門番の管理者としてこの二人を任命したのである。「エルサレムを治める」とはそういう意味である。

 これは教会で言うならば、牧師を含め、教会内の奉仕者、特に役員を中心にした人たちのことでしょう。聖書は、そのような人たちはどのような人だと言っているだろうか?―Ⅴ3:「…。これは、ハナヌヤが誠実な人であり、多くの人にまさって神を恐れていたからである。」とあるように、誠実で、神を恐れる人なのである。初代教会の時にも、今日の役員に当たる執事たちが選ばれた。その時の基準は「御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち」(使徒6:3)ということだった。「誠実さ」と「神への恐れ」というのは、これら執事の姿と重なり合うものではないだろう。そしてこの時、重要な働きをしていたのはこの二人だけではなく、実際に門衛、警備に立つ人たちでもあった。

Ⅴ3b~Ⅴ4:「…。『そして住民が警備に立っている間に、門を閉じ、かんぬきを差しなさい。エルサレムの住民のうちから、それぞれの見張り所と自分の家の前に見張りを立てなさい。』この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。」

 この時、エルサレムの住民は少なかったので、住民自らが自らのことを守らなければならなかった。つまり、誰かが誰かに依存したり、「あとはお願いします。」というのではなく、皆が働きに加わったということです。

※私たちの教会もまだまだ少ない。これからも私たちは皆が協力し合って、教会を建て上げて行かなければならない。一部の人が頑張ればいいのではないのです。

【結論】

 今、教会は法人問題の中に置かれているが、いずれその問題は解決するでしょう。大切なのは、教会はそのような問題があろうとなかろうと、ネヘミヤたちがしたように、しっかりと城壁を築き=教会を建て上げるイエス様(礎石)に繋がり、門を取り付け、門衛を任命し=敵の侵入を防ぎ=信仰の創始者であり完成者であるイエス様から目を離さず、歌うたいとレビ人を任命し=神を礼拝することを第一にすることです。

―祈り―



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