革新的な内なる変革 A Radical, Inner Transformation

「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(Ⅰコリン15:10)


 もしあなたが部分的に光であり部分的に暗闇、また部分的に聖徒、部分的に罪人であると思っているとするならば、あなたはノンクリスチャンと殆ど何も変わらない世の人の歩みをすることになるでしょう。あなたは自分には罪を犯す傾向があり、また同時により良いものを求めることが出来る者であるとしても、あなたは自分自身が神の恵みによって罪赦された唯の罪人であり、この世をただ軽挙されるまで何とか生きて行く者に過ぎないと考えているだけなら、あなたは敗北の人生を歩むだけである。サタンはあなたの真実の姿に対して何もすることが出来ないことを知っているが、もしサタンがあなたに、あなたは生まれながらの人間と何も変わらないと信じさせることが出来るとするならば、そのようにあなたは自分のことをそう見ることしか出来ないだろう。


 このように自分のことを見るクリスチャンが多く居るのはどうしてなのだろうか?-それは、私たちがキリストにある私たちの真のアイデンティティーを知らないからである。罪人を聖徒に変えるという神の贖いのみわざは、この世における神の最も偉大な働きの一つである。内面の変化や義とされることは救いの瞬間に為されることである。信者の日常生活における外面的な変化や聖化は生涯を通して継続的に行なわれるものである。しかし、聖化が漸進的に行なわれるのは、義とされたことによる内面での革新的な変化が、信仰が伴って実際に行なわれた結果としてのことである。「しかし、聖書の或る箇所で、パウロが自分のことを罪人の頭であると言っているということを読んだことがある。」とあなたは思うかもしれない。確かにそうだが、しかしそれは、彼がキリストを信じる前のことを言っているのである。(Ⅰテモテ1:12-16)彼は同じような、自分のことを蔑むことをⅠコリント15:9でも言っているが、続けて次のようにも言っているのである。「ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」(10節)と。


 パウロは、キリストに出会う前の人と、キリストに在る人とは異なるアイデンティティーであることを知っていたのである。あなたが罪人であると言っている限り、あなたは何を為すことが出来るだろうか?-それは唯罪を犯すことしか出来ない!それにより、あなたのアイデンティティーの核には罪があることを告白しているようなものである。それは聖書が明らかにしていることとは違うことである。ただ単に、キリストが私たちの存在の核に居り、私たちはその結果、聖霊によって歩んでいる者であることをそのまま信じてみてはどうだろうか?


 「天の父なる神よ、感謝します。私が御子イエスにあって完全であり、私のアイデンティティーは彼の内にあって、罪の内にはないことを感謝します。」


                  Freedom in Christ Ministries International 掲載許可

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