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これまでのメッセージ

ペンテコステ礼拝メッセージ 金子辰己雄師

June 4, 2017

【タイトル】

「キリストの証人となる。

 

【聖書個所】

 使徒の働き1:8

 

【導入】

 今日は、ペンテコステ礼拝の定例聖句と言っても良い「使徒の働き1:8」から、聖霊の力を受け、「キリストの証人となる」ということはどういうことかについてみことばを取り次ぐ。

【本論】

 先ず、「キリストの証人となる」の「証人」の言葉の意味を確認しておこう。幾つかの辞書によると、「ある事を証明するために事実を述べる人」、「裁判所その他の機関から命ぜられて、自己の経験により知り得た事実を述べる人」とある。つまり、裁判の席であろうとなかろうと、自分が経験して知り得たことから、その知り得たことを事実として述べる人のことを「証人」と言う。

 では、「キリストの証人となる」とは、「キリストの何を知り得て、それを事実として述べる人となる」ということなのだろうか?!2つの意味で。

(1)「キリストの証人となる」ということは、「キリストの復活を身をもって経験し、キリストの証人となる」ということ。つまり、「キリストの生きた復活の証人となる」ということである。

 パウロは、キリストの復活を経験すること、知り得ることについて、こう言う。

Ⅰコリント15:1~8:「兄弟たち。…。私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、…。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。」

 パウロは、V3:「私も受けたことであって」と、キリストの死と葬りについて語っているが、それ以上に多くの言葉を使ってキリストの復活のことについて触れ、V8:「そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。」と言って、彼が経験し、知り得たキリストの復活を証言している。それは、直接的にはパウロのダマスコ途上での出来事のこと(使徒9章)であるが、それはまた信仰的に知り得たことでもある。だからパウロは後に、ガラテヤ2:20:「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」と、身を持って経験している復活のキリストを証ししている。

 

※まさにパウロは、キリストの復活の証人なのである。

 では私たちはどうだろうか?キリストの復活の証人となっているだろうか?

 

 聖書が言う「キリストの証人」とは、パウロのようにキリストの復活を経験し、それを知り得て、「確かにそうです。それを見た。聞いた。経験した。知り得た。」と言うことの出来る人です。ペンテコステの聖霊降臨の目的はそこにあったのです。イエス様の十字架の死の後、ユダヤ人を恐れ、戸を閉じて家の中に籠っていた、実質死んでいるような状態の弟子たちを、大胆にキリストの復活を証しする者とすること、そこが聖霊降臨の目的です。

①聖霊降臨によりいのちを与え、私たちをキリストの復活の証人として生かすこと。

使徒2:1~4:「五旬節の日になって、…、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

 「天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり」、また「炎のような分かれた舌が現れて」とあるように、「風」はプニューマ、「炎」も聖霊様を言うが、それは人の創造の時と同じである。

創世記2:7:「神である【主】は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」

 この時、弟子たちの中に復活のキリストを証しする聖霊のいのちが入ったのである。そして、彼らはキリストの復活の証人として生まれたのである。

②聖霊降臨により力を与え、私たちを聖書を悟り、大胆にキリストを証しする証人とすること。

 ペテロは漁師に過ぎないのに、どうしてあのように語ることが出来たのか?!―それは、大胆さと言う力と共に、イエス様の宣教(言動)と聖書を理解する悟りの霊が与えられたからである。

ヨハネ14:26:「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」

(2)「キリストの証人となる」ということは、キリストのわざを見て、それを知り得てキリストの証人となる」ということ。つまり、「キリストの福音宣教の証人となる」ということでもある。

ルカ24:45~49:「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。『…。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、…。』」

 「あなたがたは、これらのことの証人です。」と言うが、何の証人か?―「…、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」とあるように、十字架と復活の証しだけではなく、「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」という、主ご自身による福音宣教の証人であるということでもある。

マルコ16:20:「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」

別の追加文:「さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。」

【結論】

 私たちは聖霊の恵みとして、聖霊のいのち、聖霊の力を受け、キリストの復活の生きた証人となる。また、キリストの福音宣教の証人となるのである。

引用例:ニック・ヴイチッチとベサニー・ハミルトンのビデオ:彼らの姿に、どんなに生まれながらにチャレンジを持った体であっても、また事故によってチャレンジのある体になったとしても、キリストの復活のいのちと力が働いているのを見る。またこのように、動画で全世界に伝えられている中に、21世紀にも生きておられる神様の宣教のわざを見る。

※私たちも、彼らのように聖霊のいのちと力を受けて、キリストの復活を知り、身をもって証しをする者となることが出来るのである。聖霊のいのち、力を受けよう。 

―祈り―

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