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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】

「神の風と共に生きる」(小預言書(25)ホセア書⑫)

【聖書個所】

   ホセア12章:1節~14節

【本論】

V1:「エフライムは風を食べて生き、いつも東風を追い、まやかしと暴虐とを増し加えている。彼らはアッシリヤと契約を結び、エジプトへは油を送っている。」

 「エフライム」とは北イスラエルのこと。また、ヨセフの二人の息子の内の弟の方。ヨセフの父ヤコブはかつてヨセフの二人の息子、兄マナセと弟エフライムを呼び寄せ、二人の上に手を交差して長子の祝福を弟エフライムに与えた。(創世記48:17~20)それは間違いのように思えたが、そうではなかった。それは神様の御計画だった。事実その通り、後にエフライムは祝福され、北イスラエルを代表する部族になった。

※私たちの人生には、理解できない番狂わせのように思えることが起きる。しかし、その時には私たちは訝(いぶか)ったりせず、そのまま受け取ろう。そこには、神様の私たちの常識や理解を越えた祝福に満ちたご計画があるからです。

 「エフライムは風を食べて生き」、興味深い表現です。「風」というのは、掴もうと思っても掴むことが出来ない「実体のないもの」、「むなしいもの」の象徴。だから、「エフライムは風を食べて生き」というのは、イスラエルの民の霊的状態を現わしている言葉。彼らは、彼らの神であるイスラエルの神を神とせず、実体のない偶像の神々を礼拝していた。そして、「いつも東風を追い」と言うように、「東風」=彼らから見た東から吹いて来る風、すなわち、アラムとかアッシリヤとか、東にある国に靡(なび)き(頼りし)、「まやかしと暴虐とを増し加えている。彼らはアッシリヤと契約を結び、エジプトへは油を送っている。」これは、アッシリヤと契約を結びながら、エジプトとも関係を持ち、「油」(オリーブ油のこと)を輸出して利益を得ることをしていたことを示す。つまり、両面貿易をしていたのである。まさに、「まやかしと暴虐」の生き方である。

V2:「【主】は、ヤコブを罰するためにユダと言い争う。ヤコブの行いと、そのなすことに応じて、主は彼に報いる。」神様は、そんな(「ヤコブ(イスラエルのこと)を罰するためにユダと言い争う。ヤコブの行いと、そのなすことに応じて、主は彼に報いる。」と言う。これは、北イスラエル王国だけではなく、南ユダ王国、すなわち、全イスラエル、そして私たち信仰者に対する警告の教えである。

V3~V5:「彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。 彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。」「彼」とは、「イスラエル民族」ということではなく、イサクの息子、ヤコブのこと。「彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。」とあるように、彼は生まれる時、産まれ出ようとする双子の兄エサウの踵を掴み、押しのけて出ようとしていたということ。(創世記25:26)「彼はその力で神と争った。彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた。」とは、ヤボク川での「神」(御使い)との格闘を通して神と出会った神体験のこと。(創世記32:22~27)それだけではなく、「彼はベテルで神に出会い」とあるように、兄エソウを騙して長子の権利を奪い取った後、レベカの兄であるラバンの下に逃げる途中、ベテルの地でも彼は神に出会った。(創世記28:11~19a)

V7~V8:「商人は手に欺きのはかりを持ち、しいたげることを好む。エフライムは言った。『しかし、私は富む者となった。私は自分のために財産を得た。私のすべての勤労の実は、罪となるような不義を私にもたらさない。』」V1で、イスラエルの「まやかしと暴虐」について触れたが、これも、その有様を語っているところ。彼らは両面貿易だけでなく、個々の商売に於いても「欺きのはかり」を持って商売をし、富を得ていた。そして、そんな欺きの商売をしておきながら、「しかし、私は富む者となった。私は自分のために財産を得た。私のすべての勤労の実は、罪となるような不義を私にもたらさない。」と言っていた。また、彼らのそのような不法と不義の有様は、「まことに、ギルアデは不法そのもの、ただ、むなしい者にすぎなかった。彼らはギルガルで牛にいけにえをささげた。彼らの祭壇も、畑のうねの石くれの山のようになる。」(V11)にもある。「ギルアデ」とはヨルダン川東岸のイスラエル人たちのこと。彼らも同じように霊的に堕落し、罪を犯していた。「ギルガル」とは、ヨシュアたちがヨルダン川を越えて約束の地に入った時、最初に祭壇を築いて礼拝した所。しかし、その後、ここは偶像礼拝の場所となったのである。

◎このようにして、イスラエルはその霊的堕落のゆえに、神様に対し、また隣国(人)に対しても不義と不正を働いていた。だから神様は、「エフライムは主の激しい怒りを引き起こした。主は、その血の報いを彼に下し、彼のそしりに仕返しをする。」(V14)と言うが、「しかし、わたしは、エジプトの国にいたときから、あなたの神、【主】である。わたしは例祭の日のように、再びあなたを天幕に住ませよう。わたしは預言者たちに語り、多くの幻を示し、預言者たちによってたとえを示そう。」(V9~V10)また、「【主】はひとりの預言者によって、イスラエルをエジプトから連れ上り、ひとりの預言者によって、これを守られた。」(V13)と言って、神様は、イスラエルの民がどんなに霊的に堕落し、偶像礼拝に走り、不義不正の生活を送ろうとも、彼らを救いに導こうとされるのです。だから、

【結論】

V6:「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」

 これは、イスラエルの民のように、神様の御心から外れてしまい易い私たち信仰者に対するメッセージでもある。V1で、彼らの霊的状態のことがこのように描かれていた。「エフライムは風を食べて生き、いつも東風を追い、まやかしと暴虐とを増し加えている。」と。彼らは、何ももたらさない空しい風、この世の風を食べて行き、いつも「東風」、この世が送るこの世の富、この世の知恵、この世の力に頼って生きていた。しかし神様は、御自身が送る風を食べて生き、ご自身が送る風を追って生きるように言うのである。それが、「あなたはあなたの神に立ち返り、誠実と公義とを守り、絶えずあなたの神を待ち望め。」ということである。この風は、聖霊の風です。

◎では、聖霊(神)の風とはどのような風だろうか?

①誠実な風です。―イスラエルの民が荒野に居た時、彼らがどんなに神様に呟いていても、彼らに40年間、毎夕うずらを送り続けられた(民数記11:31)また、

②愛の風でもある。―「北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を食べることができるように。」(雅歌4:16)

 これは、花嫁(教会である私たち)の花婿(イエス・キリスト)に対する愛の歌である。また、

③時には私たちには理解の出来ないことをされるが、私たちに祝福を与える風である。

ヨハネ3:8~9:「『風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。』ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」この世的に知恵と力のあったニコデモでさえ出来なかった聖霊様(神様)による祝福(新生のみわざ)のことであり、そのみわざによって新しく生まれた私たちの生き方―聖霊様の風に従って行く生き方―のことである。パウロはこう言う。

ガラテヤ5:16:「私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。」また、

 

ガラテヤ5:25:「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」と。

※私たちは、御霊によって新しく生まれた者として、ホセア書で描かれていたイスラエルの民のようではなく、神の風に靡(なび)いて、共に従って歩んで行こう。主はそれを求めておられる。

―祈り―

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