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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】

「家族の救いと信仰の継承(7)―救いは主のものー」

【聖書個所】

   Ⅰコリント7章:15節~17節

【導入】

 この個所は、パウロがコリント教会の結婚している兄姉、それも片方がノン・クリスチャンである夫婦の兄姉に対し、どちらかから離婚の申し出があった場合への対応を、パウロ自身の教えとして教えているところ。「次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。」(V12)とある通りです。

 今日は教会内の離婚問題についてのメッセージではなく、この個所から、今年の教会の第一のテーマである「家族の救いと信仰の継承」に関する重要なメッセージを受け取って行きたい。

【本論】

 家族の救い、特に夫または妻がまだ救われていない兄姉にとっては、子供の救いと共に、夫や妻の救いは何よりも大きな願いではないだろうかと思うが、そのことについて聖書は何と言っているだろうか。

V16:「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」

 ショッキングな言葉だが、何故パウロはこのようなことを言ったのか。それは、まさにこの時のコリントの兄姉たちも、私たちと同じ思いを持っていたからである。つまり、彼らも「何とかして自分の夫や妻が救われてほしい。」という思いから、「何としてでも自分は自分の夫を、或いは自分の妻を救うんだ。」と言う思いを強く持っていたからである。しかし、聖書ははっきりとこう言うのです。「なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。」(V16)と。

※つまり、自分たちの家族の救いに関しては、自分たちがどんなに願って頑張っても、自分たちが自分の夫や妻を、また子供たちを救うということは出来ないのだということなのです。私たちは、自分たちの家族の救いに対しては、全く無力だということです。

 では、「どうすれば救われるのですか?」と思われるでしょう。その答えはこうです。

V17:「ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。」

 この言葉は、先程のどちらかがノンクリスチャンの夫婦の離婚の場合に、片方が離れて行こうとするならばその通りにさせなさいという教えに基づくもので、そのことであなたは縛られることはなく、どんな義務も「ねばならないということ」もないのだということを教えているのである。それが、

V15:「そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。」ということです。その理由は、

V15:「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。」というのだからです。

※ここに、私たちが他の誰よりも願っている「家族の救いと信仰の継承」に関しての、私たちの立場と義務と責任がある。私たちは、勿論誰よりも自分たちの家族の救いと信仰の継承を願っているが、しかし、かと言って「それを実現させなければならない。」とか、「それを自分で何とか

しなければならない。」とかいう、自分を縛る義務とか責任は、私たちにはないのです。

 それを聞いて、尚更「えー?」と思われるかもしれないが、そうなのです。前回の「家族の救いと信仰の継承」に関するメッセージ(6)(5月21日)、マルコ9:14~24の箇所から、「家族の救いは自分から」ということを学んだ。「長年、こんな状態になるまで」という状態の子供の救いのためにイエス様のところに来た父親に対し、イエス様は子供の救いの前に、先ず父親の不信仰の罪を取り扱われ、救いを与え、そしてその後でその子を救われた。あのメッセージで重要だったことは、先ず自分自身がイエス様を信じるという、イエス様との関係の中での救い、平安を得ることが重要だということだった。そのように、人は家族であっても、自分以外の救いの前に自分が救われて神との平和(ローマ5:1)を持つことが先ず重要だと言うことなのです。人はそのことに先ず重要な責任と義務がある。だからパウロは、こう言ったのです。

V17:「ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。」

※勿論、証しも福音を伝えることも、クリスチャンらしい良い行いをすることも必要ですが、神様との関係において、家族の救いに関しても、私たちはしっかりと、疑わずに、心を騒がせずに神様が私たちの家族の救い主であることを信じ続けることが重要なのです。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)は、そういうことです。

※私たちは、目の前の夫や妻の姿を見て、「この人は本当に救われるのだろうか?」と思うことがあるかもしれないが、決して家族の救いを疑ってはいけないのです。何故なら、神様は必ず救うことが出来るからです。

マタイ19:23~26:「それから、イエスは弟子たちに言われた。『まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国に入るのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。』弟子たちは、これを聞くと、たいへん驚いて言った。『それでは、だれが救われることができるのでしょう。』イエスは彼らをじっと見て言われた。『それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。』」

【結論】

 ですから、その神様を見上げよう。神様は必ず私たちの家族を救って下さるのです。その保証、その確証は、イエス様の為して下さった十字架と復活にある。その保証としてのしるしがある。

マタイ12:38~40:「そのとき、律法学者、パリサイ人たちのうちのある者がイエスに答えて言った。「先生。私たちは、あなたからしるしを見せていただきたいのです。」しかし、イエスは答えて言われた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めています。だが預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」

 ヨナは三日三晩大魚の中に居て、そこから吐き出される時、自分の不信仰に気付き、そして主を見上げ、自分を、そしてどんな人でも救うことの出来る主に向かって、こう言った。

ヨナ2:9:「しかし、私は、感謝の声をあげて、あなたにいけにえをささげ、私の誓いを果たしましょう。救いは主のものです。」と。

※私たちもヨナのように主を見上げよう。そして言おう。「救いは主のものです。救いはあなたのものです。どうぞ主よ。私たちの家族を救ってください。」と。

―祈り―

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