【タイトル】
「家族の救いと信仰の継承(8)―家族の救いの箱舟を造ろう!―」
【聖書個所】
へブル11:7:
【導入】
聖書のこの記述にあるように、ノアは、アダム以来、聖書に登場する人物の中で最初に家族の救いのために何かをした人物、箱舟を造った人物であることが分かる。(参照:創世記5章に出て来るアダムからノアまでの10人の人物の中で、ノア以外、家族の救いのために何かをしたと期されている人物はいない。)そういう点で、ノアは、私たちが今年掲げている教会のテーマである「家族の救いと信仰の継承」における先駆的なモデルである。だから今日は、「家族の救いと信仰の継承」との関して、ノアが家族の救いのために造った箱舟、またその造られた箱舟というものが、私たちにとってどういう意味を持っているか?また、私たちは何をしたらよいのか?ということについて学んで行きたいと思う。
【本論】
「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」とあるが、ノアはなぜ箱舟を造るようになったのか、その経緯を創世記(創世記6:9~22)から見ると、ノアの造った箱舟は、そこではっきりと神から警告されているように、その時、その地に満ちていた悪を根絶し、契約により箱舟に入る人や生き物だけを生き残らせて救うという、神からの「救いの箱舟」
(1)箱舟は、神様から私たちに与えられた「救いのための箱舟」であった。
へブル11:7:「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義(救い)を相続する者となりました。」
神は地上に悪が満ちているのをご覧になり、そのことで心を痛め、その悪を一掃しようと洪水でその地を悉く滅ぼすことをノアに語り、そしてノアとは契約を結び、その滅びから免れるための箱舟を造るよう、箱舟建造命令を与えた。
創世記6:11~14:「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。そこで、神はノアに仰せられた。『すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。』」その後V16まで、その作り方が具体的に示され、
創世記6:18~19:「しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れて入り、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。」
※だから「家族の救い」は、神からの契約であり、また命令でもあると言うことが分かる。
◎神と私たちとの関係における契約と命令に関して覚えておくべき二つのこと:
①契約(みことば)は真実だから、私たちは信じなければならない。
②命令に関しては、私たちはそれに対して従順でなければならない。
この二つは重要である。この後ノアはその命令に従って箱舟を造り終え、そして家族揃ってみな救われた。では私たちの場合はどうなのか?―私たちもノアのように箱舟を造らなければ、家族は救われないのだろうか?―勿論そうではない。ではこの場合の私たちの「ノアが造った箱舟」とは何を意味するのか?―それは、「信仰による救いの箱舟」を意味するのである。
(2)箱舟は、「信仰による救い」を意味する。
へブル11:7:「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、…、信仰による義を相続する者となりました。」
聖書は徹底して私たちの救いに関し、それはキリストを信じる信仰によると言っている。
エペソ2:8:「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」のように。
次に、
(3)箱舟は、「聖別」、「世との分離」を意味する。
へブル11:7:「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、…、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」
ノアの家族が箱舟に入り、地上で神が洪水で地を滅ぼしている情景を思い描くと、箱舟は悪に満ちた世には在っても(浮いていても)、世とは明確に区別されていることを見ること出来る。つまり、箱舟は私たちとこの世との分離、聖別を意味するのである。
イエス様は最後の晩餐の席で、私たちのために神に祈られた。
ヨハネ17:16~21a:「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。」
最後に、箱舟は私たちにとって、
(4)箱舟は、「キリストの体、教会そのもの」である。
エペソ1:4:「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」
エペソ1:23:「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」
神は私たち(私たちの家族)を、神がノアの家族を箱舟の中に集められたように、この教会(キリストの体)の中に神の家族として入れようとしておられるのである。それは世の初めからのキリストにある神の救いの計画であった。
【結論】
ローマ12:1~2:「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」
神が私たちを救われたように、神は私たちの家族をも救いたいと願っておられる。それが神のみこころです。私たちは、その神のみこころを信じて、そのみこころに従おう!それによって、ノアの家族が皆箱舟に入って救われたように、私たちの家族も皆救われるのです。家族の救いは私たちの神への信仰、神への従順から始まるのです。
―祈り―