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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

September 10, 2017

【タイトル】

「小預言書(27)ホセア⑭―信仰の確立と愛の礎―」

 

【導入】

 いよいよ今日はホセア書の最後の学びで、神様の愛と憐みに基づくイスラエルの回復の預言が語られているところです。神様が如何にしてイスラエルを赦され、回復されようとされたのか、一緒に見て行こう。

 

【本論】

V1:「イスラエルよ。あなたの神、【主】に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。」

 

 これは、典型的な悔い改めのメッセージと言っていい。ここに、私たちに「悔い改め」が必要な理由が示されている。私たちが「つまづく」のは、人生で思うように行かなかったり、果てはどん底に落ちてしまったりするのは、結局、私たちの「不義」=「神を神としないで、自分を神とすること」に原因があるからだというのです。

 

 イスラエルの民は、繁栄を極めている時に神を忘れ、何度も預言者によって神に立ち返るように呼びかけられたが、それに従うことなく、最終的にはアッシリヤによって滅ぼされてしまった。神はそのイスラエルに、何度も「あなたの神、主に立ち返れ。」と預言された。(ホセア6:1~3、10:12、12:6)

 

 そして、ここでもその「悔い改め」のメッセージを残している。そして、どのようにして「悔い改め」たらよいかについても語っている。

 

V2:「あなたがたはことばを用意して、【主】に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。』」

 

 これも、「悔い改め」=「信仰」に関して、それをいかに表わすかについての典型的なメッセージです。それは、「ことばを用意して」=「口の告白」によって行うものであるということ。ここに、今日の第一のポイントがある。

 

(1)「救いは信仰による。」ということ。

 

ローマ10:10:「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」

 とある通り、ホセアはイスラエルの民に語った。

 

V2~V3:「あなたがたはことばを用意して、【主】に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください。私たちはくちびるの果実をささげます。アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」』」

 

 「良いもの」とは、「自分の罪を認めて、神を神とする信仰の告白」である。彼らはそのように告白し、「アッシリヤは私たちを救えません。私たちはもう、馬にも乗らず、自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。」と言った。「アッシリヤは私たちを救えません。」とは、アッシリヤはただの国に過ぎないという告白。「私たちはもう、馬にも乗らず」とは、馬はエジプトから輸入していた軍馬であり力の象徴、そのような力にはもう頼らないという告白。「自分たちの手で造った物に『私たちの神』とは言いません。」とは、文字通り、手で作った物を「私たちの神」とは言いませんという、偶像礼拝をしないという告白。そして、「みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」と告白した。何ものにも頼らないようになると、何も頼りにすることが出来ない「みなしご」のようになるが、しかし、その「みなしごが愛されるのはあなたによってだけです。」という風に、例えすべてのものを捨てて、すべての者から捨てられても、神だけは自分を捨てることなく、自分を愛し、自分を守ってくださるという、神に対する信仰の告白です。

 

※このように、神は私たちに、心から信じて、口で告白して救われる、悔い改めの信仰の告白を求めておられるのです。

 

 続けてV4~V8では、私たちの告白に対する神様の「私たちに対する救い、癒し、回復のメッセージ」が語っている。

 

(2)(私たちに対する)神様の愛のメッセージ。

 

V4~V8:「わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。わたしはイスラエルには露のようになる。彼はゆりのように花咲き、ポプラのように根を張る。その若枝は伸び、その美しさはオリーブの木のように、そのかおりはレバノンのようになる。彼らは帰って来て、その陰に住み、穀物のように生き返り、ぶどうの木のように芽をふき、その名声はレバノンのぶどう酒のようになる。エフライムよ。もう、わたしは偶像と何のかかわりもない。わたしが答え、わたしが世話をする。わたしは緑のもみの木のようだ。あなたはわたしから実を得るのだ。」

 

 「露」(V5)とは、イスラエルは地中海性気候で、乾期(夏)には雨が降らない。そんな時に、地中海から西風によって運ばれて来る夜露のこと。「レバノンのように」(V6)とは、レバノンには芳香性の樹木が多いので、その例。「彼らは帰って来て」(V7)とは、人々の悔い改めのこと。「その陰に住み」(V7)とは、神様の守りと恵みの下で生きること。「エフライムよ。…。」(V8)とは、英語の抄訳聖書で、「エフライムは言う。『もう、わたしは偶像とは関係ない。』とあるように、私たちの偶像礼拝からの離脱を伝えている。だから、「わたしが答え、…。」(V8)の「わたし」とは「神」を指す。

 

※しかし、ここで私たちが覚えておかなければならないことは、この、イスラエルの民に対する神様の愛は、イスラエルの民が悔い改めたから、神様はご自身の愛を発動して彼らを愛されたということではない。神様は元から、どんなにイスラエルの民が背信を重ね、偶像礼拝を行っていても、神様は彼らを愛し、そして、彼らが滅びることを願わず、御自身の下に立ち返って来るようにと、悔い改めを求めていたからです。

 

ホセア11:1~3:「イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、わたしの子をエジプトから呼び出した。それなのに、彼らを呼べば呼ぶほど、彼らはいよいよ遠ざかり、バアルたちにいけにえをささげ、刻んだ像に香をたいた。それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。」

 

ホセア11:8~9:「エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。わたしは燃える怒りで罰しない。わたしは再びエフライムを滅ぼさない。わたしは神であって、人ではなく、あなたがたのうちにいる聖なる者であるからだ。わたしは怒りをもっては来ない。」

 

※初めから神様の愛は確立していた。初めに神の愛があったのである。

 

Ⅰヨハネ4:10:「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

 

【結論】

V9:「知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。【主】の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。」

 

 神様は、今日も私たちに、私たちにどうあって欲しいか、神様が私たちに何を願っているかを知って欲しいと、願っている。この神様に立ち返ろう!

 

―祈り―

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