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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

September 17, 2017

【タイトル】

「キリスト者の召し(1)―キリストにある成人として歩もう!―」

【聖書個所】

エペソ4:1

【本論】

 パウロは、「主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」と言って、自分も「召された者」、ここでは彼はそれを「囚人」という言葉で表現し、「主の囚人である私はあなたがたに勧めます。主の囚人として召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」と言っている。

 「召し」というのは、パウロが言うように、「囚人」という言葉を使うとその本質が良く分かる。つまり、囚人には、囚人になる前に持っていた自由は無く、ご飯を食べるとか、寝るとか、囚人として生きるに必要な自由の中でのみ生きることが許されているだけで、それと同じように、「召された者」も、召される前に持っていた自由によってではなく、「召された者」として生きるに必要な自由の中で生きるようにされているのである。だから、そこにはそれに相応しい生き方、限定された使命のようなものがある。パウロはその限定された使命、主の囚人に相応しい歩みについて、この後幾つかのことを述べているが、今日は、V7~V15の箇所から、ただ一つのこと=「キリストにある成人としての歩み、またその使命」について学ぶ。

 

 パウロは先ずここで;

(1)「キリストご自身の召し、使命」について語っている。

V7~V11:「しかし、私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」──この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです──こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」

 キリストの召しは、「先ず地の低い所に下られた。」(V9)=「天から地に下って来られ、十字架で死んで墓に葬られ、そして黄泉にまで下られた。」ということ。それは、「高いところに上げられたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」(V8)=「その3日目によみがえられ、この世を支配していた悪霊たちを捕虜として天に引き連れ、私たちに分捕り品として分け与えられた。」というものでした。

 

 イエス様は、十字架と復活、帰天により、私たちにご自身と共にこの世を治める権威の賜物を下さったのである。それがキリストの召しだった。

エペソ1:20~23:「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」

エペソ1:4~7:「しかし、…──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。…。」

 そしてその権威により、「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。」(V11)とある。こうして、神様はキリストを召し、御自身の十字架と復活のわざにより、権威をもって私たちのキリストの体である教会を建てる力、権威を、それぞれの働き(5役者)に与えられたのです。次に;

(2)「私たちの召し、使命、神様が私たちを召した目的」

V12~V15:「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」

 ここに私たちの召された目的が記されている。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(V12)という、5役者の使命である。これはまた私の牧師としての召しでもある。私はその召しに関し、次の御言葉をいつも覚える。

コロサイ1:28~29:「私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」

 またここには、教会の建て上げのためだけでなく、キリストと共にこの世を治める者としての私たちに与えられた権威の賜物が記されている。

V13~V15:「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。」

 それは、私たちがキリストにある成人として成長し、もはや子供ではなく、大人の信仰者として、この世を支配している悪霊を治めて歩むことなのです。その一つの例を見てみよう。

マルコ4:35~41:「さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、『さあ、向こう岸へ渡ろう。』と言われた。(召命)そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に『黙れ、静まれ。』と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。『どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。』彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。』」

 イエス様は使命をもって湖に出られた。私たちも使命をもってこの世に遣わされているが、その中で、私たちはイエス様がされたように、この世を支配する悪霊の風と波を治めることが出来る。確かに、今はまだ悪魔サタンが支配し、悪霊たちが働いているこの世に私たちはいる。しかし、恐れることはない。

引用:CSルイスの「悪魔の手紙」の中で指摘する「悪魔や悪霊に関して人が陥り易い2つの間違」:一つは、その存在や働きを信じないこと。もう一つは、過度に信じてそれに支配されてしまうこと。例えば、「恐れ」や「悪魔祓い」のようになってしまうこと。しかし、一つの原則をしっかりと守っていれば、恐れることなく、治めることが出来る。

ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

【結論】

 このように、私たちは、私たちがキリストにあってどういう使命、召しを持っているかを知ることは重要である。私たちはその真理によって自由になり(ヨハネ8:37~38)、それによって、キリストにある成人として、その召しに相応しく歩むことが出来るのである。

―祈り―

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