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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

【タイトル】

「家族の救いと信仰の継承(10)―家族のもとに帰される主」

【聖書個所】

 ルカ8:26~39

【本論】

 イエス様はある時、弟子たちを連れてガリラヤ湖の西側から、「ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方」に行った。そこには、悪霊につかれ、裸同然で家にも住まずに墓場に住んでいる男の人が居たが、イエス様はこの男の人から悪霊を追い出され、救いのわざを為された。

 今日は、この人が悪霊から解放され、救われて後にイエス様にお供を願い出たことに対して語られたイエス様の言葉、V39:「『家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。』そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。」に焦点を当てる。ここに、私たちの「家族の救いと信仰の継承」の鍵がある。

(1)救われた私たちは家に帰らなければならない。

V39:「『家に帰って、…。』」

 ここでの「家」は、(ギ)オイコン=「家族」を意味する言葉が使われている。一方、V27:「…、家には住まないで、…。」の「家」は、(ギ)オイキア=「建物としての家」であって、オイコン=「家族」ではない。イエス様は、救われたこの人を、この人の「オイコン=家族」のもとに帰るように言ったのである。神様は、個人の救いに大きな関心があるが、それと同じように、家族の救いにも大きな関心があるのです。次のみことばを見てみよう。

エペソ3:14~15:「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。」

 ここで「家族」とは、(ギ):パトリアという言葉が使われており、それは「共通の父を持つ人々の群れ」=「家族」という意味。また、「父」は(ギ):パテールという言葉が使われている。つまり、「天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父」とあるように、神様はすべての「家族」の元であり、神様は、その家族の救いに大きな関心があるということなのです。また、「家族の救い」ということを考えた場合、「家族のもとに帰る。」ということでもある。

レビ25:10:「あなたがたは第五十年目を聖別し、国中のすべての住民に解放を宣言する。これはあなたがたのヨベルの年である。あなたがたはそれぞれ自分の所有地に帰り、それぞれ自分の家族のもとに帰らなければならない。」

 

 「ヨベルの年」とは、土地や奴隷の解放に示されているように、すべてが元に戻り、新しくなる祝福を意味し、今日の私たちに当てはめるなら、罪の奴隷からの解放=「救い」のことである。アダムの犯した罪以来、その罪はアダムの家族を通してすべての人類の家族に及んだが、神様は、その罪の下にある家族を救おうと、イエス様を最後のアダムとしてこの世に送って下さったのである。(Ⅰコリント15:45)このように神様は、「個人」だけではなく、「家族」の救いにも大きな重荷があるのである。

(2)神のわざ、つまり福音を話して聞かせる。家族への伝道である。

V39:「『…、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。』」

 

 「話して聞かせなさい。」は、(ギ)ディエグーという言葉で、「数え直す」という意味で、抄訳聖書では、「残らず〔話して〕聞かせなさい。」とある。つまり、「これもあった。あれもあった。…。」というように、私たちが受けた救いについて、その神様の大きなわざ(数多くの豊かなわざ)を残らず伝えること、これが家族伝道であり、その結果、家族に救いが臨むのである。この男の人の場合であれば、彼には「レギオン」(ローマの1軍団:当時6,000人規模の軍団)の悪霊がいたので、その数を数え直すように証しをすることである。そのように数え直しながら証しをする時、そこには感謝と感動が伴うでしょう。その証しに力があるのです。

(3)結果として、そこから町中の救いとリバイバルが始まる。

V39:「『…。』そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。」

 「出て行って」には二つの「出て行って」がある。①救われて、そしてイエス様の前から「出て行って」、そして、イエス様が命じられたように家族のもとに帰り、そして自分に為された大きな神様のみわざを証しすること。そのために、この男の人はイエス様の前から出て行った。しかしそれだけではなく、彼は、②帰って行った自分の家から「出て行って」、そして、町中の人々に自分に為された神様の大きなみわざを言い広めた。町の人々への伝道をしたのである。

 このように、「出て行く福音宣教」には、二つの「出て行く」が伴う。皆さんはこのように、家族の方に証ししているか?また、町(地域、職場、学校、…)の人々へ伝道しているだろうか?

 もしまだであるならば、今日から神様の大きなみわざを証しして行こう!

◎私たちには素晴らしい「みことばの約束」がある。それは、使徒16:31:「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と言った。」という約束です。しかしこれは、家族の中の一人が信じれば、後は自動的に家族の皆が救われるということではなく、この個所の正確な表現は、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも救われます。そしてあなたの家族も同じように主イエスを信じれば、救われます。」ということ。

使徒16:31~32:「ふたりは、『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』と言った。そして、彼とその家の者全部に主のことばを語った。」

 パウロとシラスは、看守だけにではなく、看守の家族にも福音を語ったのである。つまりパウロがV31の「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言ったのは、もう既にその時、看守と共に看守の家族もそこに一緒にいたからである。それは、V30を見れば分かる。V30:「そして、ふたりを外に連れ出して『先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。』と言った。」とあるように、看守は彼らを牢の外に連れ出した時、そこには、看守の家族もいたのです。看守は職業柄、家族と一緒に牢屋の近くに家を構えて住んでいたでしょう。そして地震があった時、家族も一緒に出て来ていたに違い。そんな中で、看守はパウロとシラスに尋ねたのです。「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」と。日本文には主語はないが、英語聖書を見ると、「私」(I)である。「私が救われるためには、私は何をしなければなりませんか。」と看守は彼らに訊いたのです。ところがパウロとシラスは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と答えた。

 

 これは一体何を物語っているか?―それは、神様は一人だけではなく、家族の皆も救いたいと願っていることの現れです。これが神様のみこころなのです。だとするならば、私たちも神様と同じ心を持って願い求め、祈り、そして、福音を証しして行こう。そうすれば、「あなたの家族も救われます。」

―祈り―

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