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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

November 19, 2017

【タイトル】

「神の見えない救いの御手」

【聖書個所】

ルツ4:13~17

【序論】

 「人生は出会いで決まる。」と言う言葉がある。文字通り、人との出会い

が、その出会った人のその人生に大きな影響をもたらすという意味の言葉。

そしてそれを言ったのは、オーストリア出身のユダヤ人で、マーティン・

ブーバー(Martin Buber)という宗教学者、社会学者です。

 私たちはこれまでの人生で、何度かその言葉を体験されて来たのではない

かと思う。先ず何と言っても一番の出会いはイエス様との出会い、そして、

次に今結婚されている人は、今の伴侶となっている人との出会いでしょう。

またそれ以外に、学校や職場の中で出会った人、或いは書物や映画を通して、

また伝記の中で歴史上の人物の中にそういう人を見出した人がいるかもしれ

ない。どうだろうか。私にもそのような人物が何人かいる。

 今日は聖書の中から、そのように人との出会いによって大きく人生が変えられた人を取り上げ、そこにある神様の目には見えない救いの御手のわざを見て、主を礼拝して行きたいと思う。その人物とは、ルツ記に登場するナオミです。

【本論】

 今読んだように、このⅤ14~Ⅴ15で、ナオミは仲間の女性たちから祝福の言葉を受けているが、その理由がⅤ13にあり、そこにはボアズとルツの結婚、その結婚の結果、ナオミに一人の男の子が生まれたことが記されている。そして、そこに至るまでの経緯が、Ⅴ1:「こうして」と言う言葉の中にある。その経緯(1章~4:12)を簡単にまとめると、―「ユダヤの地が飢饉に瀕していた時、ナオミの家族はヨルダン川を越えて隣のモアブの地に行った。ところがそこで夫も二人の息子を死んでしまい、ナオミと二人の息子の嫁、オルパとルツだけが残された。ちょうどそこにユダヤの地の飢饉が止み、再び収穫が出来るようになったと聞いてナオミはユダヤの地に戻ろうとする。その時、オルパはモアブの出て来た家に戻るが、ルツは戻ろうとせず、どこまでもナオミに付いて行くと言って、一緒にナオミの故郷ベツレヘムに帰った。ある時ルツは、ナオミと自分の食料を得るために、畑に落穂拾いに行く。ところがその畑は「はからずも」(2:3)、彼らにとって「買戻しの権利」を持つ夫の一人の親戚、ボアズの畑だった。ルツはそのことを知らずに(「はからずも」)ボアズの所有する畑に落穂を拾いに行くが、そこで何故か不思議にボアズの好意を得て、落穂拾いに行く度に多くの落穂と収穫物を持ってナオミの所に帰ることになる。その内に、ナオミはルツの将来を考え、ルツに親切にしてくれるボアズの所にルツが身を落ち着けることが出来ればと願い、知恵を授けてルツをボアズの所に行かせる。その作戦が功を奏し、見事にルツはボアズと結ばれる約束を取り付け、またナオミにとって、ナオミの夫の所有地であった所をボアズに買い戻してもらえることになった。それが、Ⅴ13:「こうして、…。」のこと。

※買戻しの権利:イスラエルでは、家が途絶えないよう、もし家を継ぐ男子に何かがあった時は、親戚の者が残された者を嫁にし、その所有物が売られていたら、それを買い、その家系を存続させるための「買戻し」と言う救済システムがあった。それが「買戻しの権利」。(レビ25:25)

◎このボアズが買戻しの権利を行使することにより、ナオミの人生に起きた大きな変化は;

・失われていた所有地が彼女の手に戻ったこと。

・モアブの野で失った夫と息子に勝るほどの祝福が、ルツを通して与えられたこと。具体的には、Ⅴ16で、「ナオミに男の子が生まれた。」と言われるほど、思ってもいなかったような祝福が与えられたことだった。ナオミがルツと共にベツレヘムに帰って来た時、ベツレヘムの女たちはナオミに向かい、ルツ1:19:「まあ。ナオミではありませんか。」と言ったが、それに対してナオミは、1:20:「…。『私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、【主】は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。【主】は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに。』」と言った。それだけ、ナオミは傷心し切っていたのである。

※「ナオミ」は、「快い」という意味の肯定的な名前の言葉。一方、「マラ」は、「苦しい」という意味を持つ否定的な名前の言葉。

 しかしナオミにはルツがいることにより、確かにこの時は人生のどん底だったかもしれないが、その後、ボアズとの出会いがあり、そして彼女の人生は大きく好転した。つまり、「人生は出会いが決まる。」と言う言葉の通り、ナオミに先ずルツとの出会いがあり、そのルツとの出会いに基づいて、今度はボアズとの出会いが生まれ、そして、それによって、この時のベツレヘムの女たちからの祝福の言葉のように、大きな祝福の人生へと変えられた。それは、取りも直さず、ルツとの出会い、そしてボアズとの出会いから生まれたことだった。実はこれは下図のように、ボアズをイエス様とし、ナオミをユダヤ人、ルツを異邦人とした、イエス様を救い主としたユダヤ人と異邦人の関係をも表している。は、ナオミとルツの出会い、ルツとボアズの出会いという、個人的な3者の関係の中に、私たちの人生における出会いがもたらす祝福を考えたい。それを結論として考えてみると、そこに結論として2つのメッセージがある。

【結論】

①私たちの誰もはナオミが味わったような人生を通る。しかし覚えたい。神がナオミにルツを通してボアズとの出会いが備えておられたように、神は私たちのためにも、計画を持って、そのような神の見えない救いの御手を用意されているのである。

エレミヤ29:11:「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

Ⅰコリント10:13:「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」

②神が供えられた出会いの中で、ボアズもナオミもルツも、みな互いに相手のことを思い合って行動した。3者は互いにそのような存在であった。私たちは救い主(神様)としてのボアズの存在にはなることは出来ないが、しかし私たちはお互いに、誰かのボアズに、誰かのルツに、誰かのナオミになることは出来る。そのために祈ろう!私たちがみなお互いに、神の見えない救いの御手により、そのような存在になりそのような働きをすることができるように!

―祈り―

 

 

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