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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

 

【タイトル】

「家族の救いと信仰の継承(12)―信仰と希望と愛をもって」

【聖書個所】

 ガラテヤ6:9~10

【本論】

 聖書は私たちに対し、霊的原則として、神との関係の中での私たちの「在り方」と「行い」について、また人間としてのお互いの関係の中での「在り方」と「行い」について教えている。その例として、「十戒」の中の第1戒から第4戒と、律法学者のイエス様に対する質問「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか。」に対して答えられた答え=「先ず心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして神を愛すること」が、私たちと神との関係の中での教えであり、「十戒」の第5戒~第10戒、またイエス様の律法学者に対する答え:「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という隣人に対する愛が、お互いの間、今日のメッセージでいうならば、家族の中での教えである。

 それと同様に、今日の箇所でも、聖書は「私たちと神との関係」と、「家族の中での関係」というところに視点を置いて、私たちの「在り方」と「行い」が教えられている。

(1)家族の中での関係において:「善を行なうのに飽いてはならない。」

Ⅴ9:「善を行うのに飽いてはいけません。」

 「飽いてはいけません」というのは、「諦めてはいけない。どんなことがあってもギヴアップしてはいけない。」ということ。そして、私たちクリスチャンにとっての「善」とは?

①みことばを宣べ伝えること。証しをすること。福音を語ること。何故なら、それによって信じる人に永遠のいのち、救いを与えることが出来るからである。

Ⅱテモテ3:15b:「…。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」

マタイ16:26:「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」

※この世界で、まことのいのち、永遠のいのちに代わるほど大切なものはない。またこのいのちは神様しか与えることの出来ないもの。だから神様は、この世にそのいのちを与えるために御子をこの世に贈って下さった。それがクリスマスの賜物です。だから、みことばを宣べ伝えること、証しをすること、福音を語ることは、この世でクリスチャンが出来る最も善いことである。

次に、クリスチャンにとっての「善」とは、

②隣人、家族を愛すること。

 「愛すること」とは、その人の最善を願い、そのために努力すること。犠牲を払うことです。だから、それが直接みことばを語ること、証しをすること、福音を語ることでなくても、それにつながることだったら、どんなことでもすることです。

 

 パウロは、「同胞の救いのためだったら、自分は呪われても構わない。」(ローマ9:3)と言い、またそんな姿勢で、「弱い人には弱い人のようになる。」(Ⅰコリント9:22)、「福音のためならばどんなことでもする。」(Ⅰコリント9:23)とも言い、そのように福音を語り、愛を持って行動した。

Ⅰコリント8:13:「ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。」

 コリントの教会の中での、偶像にささげられた肉を食べるか食べないかの問題に対し、パウロはこのように考え、実行したのである。それは愛の実践であった。

(2)神との関係において:「決して失望してはいけない」

Ⅴ9:「…。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」

 私たちはこれだけ祈っているのに、これだけやっているのにどうして救われないのだろうか?と、気が挫けやすい。これは、人と人との間における問題ではなく、結局、すべてを支配しておられる神様の前での自分の心の中の問題です。つまり自分と神様との関係のことです。だから聖書は、それでも「失望せずにいれば、必ず時期が来て、家族の救いを刈り取ることになる。」と言う。何故なら、家族の救いも、ちょうど畑に蒔かれた種の刈り取りのように、時期が来ると、蒔かれたみことばの種の実が刈り取られるようなものだからである。

ヤコブ5:7b~8a:「見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。」

【結論】

Ⅴ10:「ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。」

 家族の救いのための祈りや証しをしていても気が挫けるようなことがあるかもしれない。しかしそれでも、神様を信じ、希望を失わずに、善を行ない続けよう。みことばの種を蒔き続け、まだ救われていない家族の最善がなるように、その最善につながることをしよう。

ローマ5:1~5:「ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

※救われた私たちに対する力強い霊的真理です。救われた私たちには、どんな困難なことがあっても、どんなに気落ちしたり、希望を奪おうとするようなことが起きても、絶対にそんなことにはならないよう、神の愛が私たちの心には注がれているのである。

引用:ヘンリー・ブラント博士(クリスチャンの聖書的カウンセリングの先駆者)の若い頃のウガンダ宣教の時の出来事。

 ウガンダは、1971年代、黒いヒットラーと呼ばれたアミン大統領が実権を握っていた間、弾圧と独裁政治により30万人以上の国民が虐殺され、内紛が絶えなかった。そんな中、ブラント博士はウガンダへの宣教旅行に行き、ある所で、ガラテヤ5:22~23から、御霊の実についてみことばを語った。「求めるならば、無代価で御霊の実が与えられる。」と。集会が終わると、アミンの政府軍によってすべてを奪われた一人の実業家が彼の所にやって来て、「あなたの言うことは正しいが、ひとつだけ欠けていることがある。」と言って彼の証しを話し出した。それは、一人の宣教師を通して教えられた神の愛と赦し、人を愛する愛と赦しの証しであった。彼はそれによって、すべてを奪ったアミン大統領や政府軍の兵士を赦すことが出来、御霊の実を結ぶことが出来たのである。

マタイ6:14~15:「もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。」

 このみことばに同意し、祈ることにより、彼はそれまで溜め込んでいた、彼らに対する憎しみ、怒り、苦々しさを捨て去ることが出来、代わりに、神の愛と平安、喜びに満たされたのである。

※神様は私たちに、この男性が得たのと同じような、どんな状態でも失望することのない神の愛を与えてくれているのである。だから家族の救いに関し、どんな反対や、無関心さが示されても、勇気を失うことなく、失望することなく、家族にみことばを語り続けよう。善を行ない続けよう!

―祈り―

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