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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

December 10, 2017

【タイトル】

「クリスマスイブの恵み(1)」

【聖書個所】

 ルカ1:5~25

【本論】

(1)それでも神様の御心は実現する。

 祭司ザカリヤは神殿で香をたく奉仕に当たることになり、そんな中、神殿で奉仕をしていると、彼のところに御使いガブリエルが現れ、彼とエリザベツとの間に彼らが願っていた子供の与えられることが告げられた。イスラエルの家族にとって、子供がいるかいないかは大変な問題だった。だから、その知らせを受け取ったザカリヤは大喜びをするだろうと思ったら、彼の反応はどうだっただろうか?

Ⅴ18:「そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」

 大喜びどころか、「どうしてそんなことがある?」と疑った。不思議です。―Ⅴ13:「御使いは彼に言った。『こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。』」とあるように、彼らは願っていたとあるのに!

◎こんなことはあるのだろうか?―願っていたのに、それがいざ実現すると、信じなかったりするようなことが…。

そのような一例:ペテロが、ヘロデ王に捕らえられていた牢屋から御使いによって助け出され、弟子たちが集まって祈っていたところに行った時の弟子たちの反応。

使徒12:12~16:「こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。彼らは、『あなたは気が狂っているのだ。』と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、『それは彼の御使いだ。』と言っていた。しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。」

 信仰の質が試される。私たちは、信じて祈って求めたものは、必ず与えられることを信じ、そしてそれが実現したならば、疑わないで、信じて感謝して受け取ろう!アーメン!

 だから神様は、そんなザカリヤに対してこう言った。

Ⅴ19~Ⅴ20:「御使いは答えて言った。『私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。』」と。

 そして、その通りになった。彼は神殿から出て来る時には完全にものが言えない状態になっていた。しかし神様はどうだっただろうか?―「願っていたことを叶えてあげたのに、感謝もせず、信じようともしない、こんな疑り深い者、こんな不信仰な者は見捨ててしまおう。」と思われただろうか?―いいえ、「私の言葉は、その時が来れば実現します。」(Ⅴ20)とあるように、そして実際にその後、妻のエリサベツはみごもった。

 

Ⅴ24:「その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。」

 

 彼らに御使いが語ったように、子供がが与えられたのです。つまり、神様は私たちがどうであろうとも、神様はご自身のみことばを守り、御自身の御心を成し遂げられるのである。神様はそういうお方である。

イザヤ45:23a:「わたしは自分にかけて誓った。わたしの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。」

イザヤ55:10~11:「雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。 55:11 そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」

(2)神様は憐れみ深く、恵み深いお方です。

 神様は、神様は憐れみ深く、恵み深い神様です。妻エリサベツの言葉を見てみよう。

Ⅴ24~Ⅴ25:「その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。1:25 『主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。』」

 イスラエルにおいて、女性が結婚して妻になった時、子供を宿すことが出来ないということ=つまり、「不妊」の体であるということは、社会的に恥ずかしいことであった。そんなエリサベツを、神様は憐れんでくださり、胎の実を宿す者にして下さった。本当に神様は憐れみ深い。

※私たちも、神様の憐みにすがり、どんなことでも求めよう!

(3)信仰には行いが伴わなければならない。

Ⅴ24:「その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った。」

 「その後」とは、何の後か?―前節Ⅴ23:「やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った。」という、「その後」のことである。彼はもう自分たちは子供を持つことが出来る年はとっくに過ぎていると言って(Ⅴ18)諦めていたので、御使いにそのように答えた。その結果、御使いの言葉(Ⅴ20)のように口が利けなくなってしまった。それにより、彼は御使いの言葉「私のことばは、その時が来れば実現します。」ということが自分に起こったことを知り、彼は御使いのことば(神の言葉)を信じ、そこから子供の与えられることも信じた。そのようにして、彼の神の言葉に対する信仰が生まれたのである。そのことは、子供が実際に生まれた後の出来事を見ても分かる。

Ⅴ63~Ⅴ64:「すると、彼は書き板を持って来させて、「彼の名はヨハネ。」と書いたので、人々はみな驚いた。すると、たちどころに、彼の口が開け、舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。」

 

【結論】

 いのちのない、殺伐としたザカリヤとエリサベツの家に、大きな喜びが訪れたのです。神様は本当に素晴らしい。憐れみと恵みに富んでいる。また、真実で、御自身のその御心を必ず実現される。だから私たちも、この神様を信頼し、そして心で信じているだけでなく、信じて告白する通り、実行しよう!

ヤコブ1:22~25:「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。1:23 みことばを聞いても行わない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。1:24 自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。1:25 ところが、完全な律法、すなわち自由の律法を一心に見つめて離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならないで、事を実行する人になります。こういう人は、その行いによって祝福されます。」

 「完全な律法、自由の律法」とは、神の契約のみことばのこと。また、神御自身と言ってもよい。神様は私たちを祝福するために、アダム、ノア、アブラハム、…という具合に契約を結んで(与えて)おられる。そして神様は私たちに、御自身に対する信仰を要求され、私たちはその信仰をもって契約を通して与えようとされている祝福に預かるのである。

例:私たちは電気、水道、ガス会社と契約を結んでいるが、実際にその恩恵に預かるためには、スウィッチを入れたり、栓を開くという行為をしなければならないのと同じである。

 だから私たちは、神様は真実な方であり、ご自分の口から出た言葉は必ず実現され、また憐れみと恵みに富んだ方であることを信じ、みことばを実行しよう。

―祈り―

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