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主日礼拝メッセージ 金子辰己雄師

December 17, 2017

 

【タイトル】

「クリスマスイブの恵み(2)」

【聖書個所】

 ルカ1:67~79

【本論】

(1)生まれる前から聖霊に満たされていた。

Ⅴ76:「幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。」

 ルカの福音書にしても、マタイ、マルコ、ヨハネの福音書にしても、

舞台は旧約聖書の時代である。教会の時代の今日では、誰でもイエス様

を信じ従って行く者には聖霊の満たしがあるが、旧約の時代では、神様

の働きをする一部の人にしか聖霊の満たしはなかった。神様は御自身の

御心を示すために、しばしばご自身の霊を注いで預言者を起こし、神の

御心を語らせたのである。このバプテスマのヨハネも、「いと高き方」

=「神」の預言者の最後として聖霊に満たされて、その働きを始めて行

ったのである。しかし、彼の場合はⅤ15にあるように、「まだ母の胎

内にあるときから聖霊に満たされ」ていたとあるように、特別な人であった。だからイエス様も彼のことをこのように言った。

マタイ11:11a~b:「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。」

※しかし、これほどすごい特別な存在のヨハネではあっても、私たちはイエス様の贖いのゆえに、それよりもはるかに偉大な者なのである。

マタイ11:11c:「しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」

 「天の御国の一番小さい者」とは、主の恵みにより天国に入れられた私たちのことである。

(2)ヨハネは使命を持って生まれて来た。

 ヨハネの誕生のことを聞いた人々は、余りにもそれが普通のことではないので、こう言った。

Ⅴ66:「聞いた人々はみな、それを心にとどめて、『いったいこの子は何になるのでしょう。』と言った。…。」

 ヨハネの誕生はそれほど特別なものであり、彼には特別な使命が与えられていた。

Ⅴ76c~Ⅴ77:「主の御前に先立って行き、その道を備え、1:77 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。」

 それはイエス様の救い主としての働きの道備えであった。事実、イエス様はヨハネの水のバプテスマを受けた後、聖霊のバプテスマを受けて公生涯へと入られた。このように、彼には特別な使命と神の御計画があったが、それは彼にだけではない。それは私たちの上にもある。しかも、私たちの使命と私たちに対する神の御計画というのは、ヨハネのものよりもはるかに偉大で、はるかに素晴らしいものである。そんな御計画が私たちに与えられているのである。

①ヨハネとイエス様との違いから。

ルカ3:16~17:「ヨハネはみなに答えて言った。『私は水であなたがたにバプテスマを授けています。しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。私などは、その方のくつのひもを解く値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。また手に箕を持って脱穀場をことごとくきよめ、麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。』」

②使命、働きの質、中身の違いから。

Ⅱコリント3:6~13:「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。3:7 もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、3:8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。3:9 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。3:10 そして、かつて栄光を受けたものは、この場合、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです。3:11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです。3:12 このような望みを持っているので、私たちはきわめて大胆にふるまいます。3:13 そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。」

※私たちはもう一度、自分たちが神の御計画の中で特別な存在であるかを覚えよう!

(3)その使命、神の計画とは何か。

Ⅴ77:「神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。」

「罪の赦しによる救いの知識」とは何か?―ザカリヤは彼の預言歌の中で、イエス様の為される「救い」についてこう語っている。それが、この「救い」に関する「知識」である。―それは:

Ⅴ71~Ⅴ75:「この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。1:72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、1:74 ,75 われらを敵の手から救い出し、われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」

※「救い」とは:「神の創造➡アダムの堕落(全人類の罪の汚染、罪の支配、サタンの支配)➡罪の支配からの、サタンの支配からの救い➡救いの完成/新天新地の完成」という、神様の大きな計画の中のことであり、私たちは、このような神の贖いの計画の中で救われ、そして、その中で、その働きの一端を担っているのである。このことを覚えよう。

【結論】

 私たちは、イエス様が来られ、その働きを全うされたように、私たちもその働きを引き継いで救いの完成目指して行くのである。それが私たちの使命である。2018年度は、この神様の偉大で遠大な救いの計画に目を留めて一年を過ごして行く。年間聖句は創世記1:26~27で、テーマとしては「神のかたちを回復しよう!」になる。個人個人としても、夫婦・家庭にしても、また教会にしても、またすべての国、この世界は、この「神のかたち」が土台になって出来ている。しかしサタンがそれを破壊したが、イエス様はそれの贖いを成し遂げられた。そして、その完成を私たちを通して行っているのである。私たちは、この傷付いた世界を贖い、新しくするために救われた。また義とされた。だから、私たちが得ている「救い」、「義」というものは、バプテスマのヨハネが与えることが出来た「義」(モーセの律法による義)よりも遥かに優るものである。だからイエス様は言われた。

マタイ5:20:「まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。」

 そして、この義は、Ⅴ75:「われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。」とあるように、神の民として、主の御前に、義なる者として大胆に出、恐れなく主を心から礼拝し、仕え、そして働くことを可能にする力である。

※来年は、このような教会、このような一人一人となることを目指そう!-

―祈り―

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