元旦礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【タイトル】「神様の事始め」

【聖書個所】創世記1:27「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」

【本論】「一年の計は元旦にあり」とあるが、私たちは新年を迎えると、新しい一年の計画をいろいろ思いめぐらす。そして、それを実行して行く。神様も同じで、何か事を始めるに当たり、先ず神様も心の中で事を始める何かを思い巡らし、思いの内に思い浮かび上がらせ、そしてそれを形にして実行して行く。まさに、今日のみことばがそれを語っている。

Ⅴ27:「神はこのように、…。」

◎「このように」とは?―Ⅴ26:「そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。」 ここに2カ所、「何々しよう。」、「何々させよう。」という、明確な意志を示す言葉が出て来る。そのように神様は、私たちの創造に関して、御自身の明確な意志を持って私たちを造られた。それも、ただ「こうしよう。」と思いを心に抱いただけではなく、それを「仰せられた。」とあるように、口にそれを言葉として載せられ、そして語って、私たちを造られたのである。 実際、私たちの場合だけではなく、創世記の1:3から見れば分かるように、「光」、つまり「昼」、「大空」つまり「天」、「地」、「海」、植物、動物、ありとあらゆるものを、御自身の心の中で、「こうしよう。」という明確な意思をもって、その思いを抱き、そして口に上らせ、口で語り、そして造られたのである。それが、Ⅴ3~Ⅴ25の、第5日目までの創造というわざの事始めとして記されている。そして、そのようにして人間である私たちを6日目に造られたのである。

「このように」という神様の思い、デザイン、イメージを示す言葉には、2つの内容がある。

(1)私たちはどういう存在か?という「在り方」について。それは、Ⅴ26:「われわれに似るように」という「存在」、「在り方」である。二つ目としては、

(2)私たちの存在の目的、使命、役割である。Ⅴ26:「そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。」とあるように、私たちは何のために造られたのかという存在意義、私たちの存在する目的が語られている。 それぞれの具体的なことについては次の主日(7日)になる。

 今日のメッセージは、テーマが「神様の事始め」とあるように、世界のすべてのものは神様によって造られているが、その創造の事始めに、神様の創造への明確な意思、思いがあったのだということを知ること。これが今日の私たちが受け止めるべきメッセージである。何故なら、この世の中の多くの人々は、自分たちは何者であり(「存在」、「在り方」)、また、私たちはどこから来て、どこへ行くのか、何のために生まれて、何のために生きているのかというような存在意義も使命も分からないで、この世のさまざまな価値観や考え方、生き方、この世の決まり事やこの世の楽しみ、日々の暮らしの必要に流されるかのように生きているからである。まるで、どこに向かって飛んで行くか分からない風船や、どこに向かって流れて行くのか分からない舵を失った大海の上の舟のようである。

引用:12月25日の、バスタ新宿前の路傍伝道していた丸森(聖書配布協力会)の兄姉の脇を多くの人が、この神様の創造の目的も分からずに、信号が変われば、ベルトコンベヤーで運ばれて行く物のように流れて行く様。聖書では、そのように何処に向かって生きているか分からない状態、つまり的外れのことを罪と言っているが、だから、今は神様がこの世界を、そして私たちを造られた時の状態のままではないという事がわかる。つまり、神様が造られた世界に罪が入って来たということが分かる。ご存知のように、それはアダムとエバによる罪であった。

  そこで私たちは一つの疑問に出会う。神様は私たち人を、罪を犯す者として造られたのか?或いは、罪を犯すことが分かって造られたのか?と言う疑問です。私は、分かって造られたと思う。何故なら、神様のみわざは完全だから、神様が、「あっ、失敗して造ってしまった。」と言うことはないからです。勿論、神様は私たちを罪を犯させる者として造ったわけでは無いし、また罪を犯させようとして、善悪の知識の木を造ってエデンの園に置いたわけでは無い。何故なら、神様は御自身では私たちを罪に誘うような方では決してないからです。

ヤコブ1:13:「だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。」とあるようにである。

  ここで初めに戻る。神様がすべてのものを「こうしよう。」と言う明確な意思を持って造られた時、つまり、私たちを「このように」と言って造られた時、神様の設計図の中には、私たちが犯す罪も入っていたと言うことが分かる。つまり、私たちが罪を犯すと言うことが前提になっていたと言うことなのである。それはどう言うことかと言うと、神様の創造の目的はそれで終わりではなく、その先に続く目的があったからなのです。それは、罪の贖いであり、悪の完全な裁きという、その先にある目的である。

 聖書は、実はそのように4つの段階からなる神様の計画、みこころを明らかにしている。創造→堕落→贖い→贖いの完成(新天新地の完成)という段階である。創造は、実はその事始めなのである。神様は、ストーリーの起承転結のように、起(創造:アダム(私たち)を造り)、承(アダム(私たち)が犯した罪)を、転(終わりのアダム(キリスト)が贖い)、結(贖うだけではなく、罪を犯させた張本人であるサタンを完全に滅ぼし、そうして御国を完成させる)という、そのような壮大な贖い、完成の計画を、創造という事始めを持って始められた。これが聖書の全体像であり、神様の御計画です。

  そのことが分かるように、神様は創世記の初めにおいてその計画の一端を示している。

創世3:15:「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」

 原福音と呼ばれているものである。罪を犯させたサタンの裁きが明確に示されている。だから、神様は何が起ころうとも必ずそれを実現されるのである。私たちはそれ(神様の壮大な御計画)に関わっている。それが「神のかたち」の中に組み込まれているのである。だから神様は私たちを何としても救われる。贖いの計画の中に私たちに救いがしっかりと組み込まれているのです。このことを先ず初めにしっかりと覚えよう!

【結論】 来週以降からは、その計画が実現して行くための、私たちの上にある「神のかたち」について、さらに学んで行く。

―祈り―

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