主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

 神のかたち(4)「愛の喪失と回復」

【聖書個所】

創世記2:22~3:7

【前置】

 創世記1:27によると、「神は人をご自身のかたちとして創造され

た。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」と

ある。その「神のかたちとして創造された男と女」とは一体どういうも

のなのか、今日の聖書個所、創世記2:22~3:7から考えてみよう。

【本論】

(1)先ずそれは、「神のかたち」として愛し合う「人と人」との関係

 を表わしている。

 神は私たちを、「神は仰せられた。『さあ人を造ろう。われわれのか

たちとして、われわれに似せて。…。』」(創世記1:26)と言われ

ているように、「われわれのかたち」=「三位一体なる神様のかたち」として、父、子、聖霊なる神様が互いに愛し合い、助け合い、充足し合う存在と

して在るように、私たちをそのような存在として造られたのです。そして次に、

(2)「キリストとキリストの花嫁である教会=私たち」との関係として表している。

 「人は言った。『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』」(Ⅴ23)とあ

るが、これは男が女に対して語ることが出来る最高の愛を表現する言葉である。この言葉をパウロは引用して、キリストとキリストの花嫁である教会と

を表している言葉であると言った。

エペソ5:31~32:「『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とを

さして言っているのです。」

 パウロがここで言う「この奥義は」とは、単に夫婦間における愛の奨めのことだけでなく、キリストと教会との関係において現わされた「救いの奧義」のことをも言おうとしているのである。その理由は、キリストによる救いというものが、失われた神への愛と互いへの愛の回復のわざでもあったからです。そして驚くべきことに、そのキリストによる救いの計画を、神はこの世界の創造の始まる前から持っていたということなのです。

エペソ1:4~5:「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」

(本田哲郎訳):「神は人を大切にする思い(愛)をもって、世の始まる前から、わたしたちをキリストと一体のものとして、『聖なる者』、神の目に申し分のない者として、選んでおられます。神は御心のままに、わたしたちがイエス・キリストを介してご自分の子どもになるように、あらかじめ定めておられたのです。」

 では、この神による創造と、この救いとの間には、実際に何があったのか?―それはご存知のように、サタンによる、神と人との間にあった愛の略奪である。

創世記3:1~7:「さて、神である【主】が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。』女は蛇に言った。『私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。』そこで、蛇は女に言った。『あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」

 サタンは、「盗み、殺し、滅ぼす者」です。「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。…。」(ヨハネ10:10)そしてサタンは、その「盗み、殺し、滅ぼす」わざを実に巧妙に行なう。真実の中に少しだけ偽りを入れ、知らぬ間に偽り全体を肯定させるのである。どうして女は偽りだと気付かなかったのだろう?元からこの善悪の知識の木だけでなく、園にあるすべての木は見るからに好ましく、食べるのに良い木だったのに(創世記2:9)。それは、彼女の欲がサタンの誘惑に誘導され、心が神から離れてしまったからである。

Ⅰヨハネ2:16~17:「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢(知力、財力、健康力)などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。」

 こういう点で、私たちは十分に警戒をしなければならない。サタンは今でも盗人として、殺す者として、滅ぼす者として、吠えたける獅子のように、

食い尽すべき獲物を捜し(Ⅰペテロ5:8)、私たちを誘惑して神から引き離し、滅ぼそうとしているのである。では、私たちはどのようにして、そのサタンの誘惑に対処したらよいだろうか?

①守り(消極的対処法)

ローマ12:2:「この世と調子を合わせてはいけません。」

 ギターが転倒した時、近くにあったピアノの弦が共鳴したように、私たちの内にある欲の弦はサタンの出す誘惑の音に共鳴し易い。だから、ピアノの天板を閉め、跫音ペダルから足を離し、ミュートのペダルを踏むことによって共鳴を止めるように、私たちは誘惑の現場から自らを離すことである。

②立ち向かう(積極的対応)

ローマ12:2:「いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

 「心の一新」、「神に従いなさい。」つまり、誘惑の現場から離れるだけではなく、神に心を転じ、神の側に在って立ち向かうことである。それはま

ともに悪魔の相手になるということではなく、真理に立って相手にしないことで立ち向かうことです。何故なら、真理によれば、私たちは既に悪魔に勝利しているからです。(ヨハネ16:33、Ⅰヨハネ4:4)

引用:スミス・ウィグルワース(19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍した、初期ペンテコステのイギリスの牧師であり伝道者)彼はある時、自分の家に現れた悪魔に対して「何だ、お前か。」と言って、相手にせず一蹴してしまった。そのため悪魔はどうすることも出来なかった。

 私たちは救われ者として、この世(悪魔)と調子を合わせず、神様を愛し、神様に調子を合わせ、神様に向き合って行けば良いのです。それが「心の一新」=悔い改めることであり、神様はそのように私たちを救い、造り変えて下さったからである。

【結論】

 先ず私たちは、「神のかたち」として、「男と女」、「人と人」、また神に対しても愛し合う関係として造られた。しかし、それを妬んだサタンは私たちを誘惑して罪に引き込み、神に対する愛、互いに対する愛を奪い取ったのである。しかし、キリストがその愛をご自身の十字架の贖いによって回復して下さった。だから、私たちは先ず何よりもこのことを喜び、それを行なう者となろう。(ルカ10:20)勿論、同時に悪魔の誘惑に対する計画も怠ることなく。

―祈り―

これまでのメッセージ

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