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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

「御霊の実(3)―隣人への寛容、親切、善意の実ー」

【聖書個所】

 ガラテヤ5:22~23

【前置】

 今日は、人間関係の中で生まれる実、「寛容、親切、善意」という実

について学んで行くが、それを見るにあたり、前回はベタニヤのマリヤ

に神様への3つの愛が結ばれていたのを見たように、具体的にそれらの

実が結ばれている人物に焦点を当てながら見て行きたいと思う。

【本論】

(1)「親切、善意」の実

 イエス様は、「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けるこ

とができるでしょうか?」(ルカ10:25)とイエス様に尋ねた一人

の律法学者に答えるため、私たちには馴染みのある「良きサマリヤ人」の譬えを話された。その結論は、

Ⅴ37:「あなたも行って同じようにしなさい。」というものだった。

 先ずここに、私たちが「親切、善意の実」を結ぶための鍵がある。それは、隣人に対して憐み深くあることである。この実については比較的実を結びやすいのではないだろうか。むしろ難しいのは、「寛容」の実ではないかと思う。

(2)「寛容」の実

 ステパノという人物に目を留めてみよう。(使徒6:8~7:60)ステパノは初代のエルサレム教会の最初の7人の執事の内の一人だった。彼は、教会に反対する偏狭なユダヤ人たちから妬まれ、事実に反し、律法やユダヤ人の慣習をおろそかにするものだと議会に訴えられた。そして最終的には、石打ちの刑に遭い、命を落としてしまう。しかしその時、ステパノは彼らを訴えたり、恨むどころか、彼らのために父なる神に彼らの罪を赦して祈り求めた。

使徒7:59~60:「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで、こう言った。『主イエスよ。私の霊をお受けください。』7:60 そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。『主よ。この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、眠りについた。」

 これはちょうど、イエス様が十字架の上でイエス様を十字架に付けた人々の罪の赦しのために、「父よ。彼らを赦してください。彼らは、何をしているのか自分では分からないのです。」(ルカ23:34)と言って彼らの罪の赦しを求められたのと同じである。

※これが寛容の実です。「寛容」というのは、「寛大」とか「心が広い」という意味もあるが、原語のギリシャ語では、「マクロスーミア」と言い、「容易に怒らぬこと、長く耐え忍ぶこと、忍耐」という意味の言葉であり、どちらかと言うと「忍耐」である。しかし、「忍耐」というと私たちは一般に「我慢」ということを思い起すが、聖書的意味の「忍耐」は、「我慢」のように自分に向かって働くものではなく、愛に基づいて、人間関係の中で相手の最善を願い、見返りを求めずに無条件で相手に向かって結ばれるものである。ステパノの場合、彼には議会に訴えられて、果ては石打ちの刑に合うような、そんな謂れもないのだから、当然自分の正当性を主張することも出来たのだが、それにも関わらず、彼は人々の偏見、中傷、悪意を耐え忍び、彼らの罪の赦しのために祈られた。これが「寛容」の実です。

 ステパノの例で分かるように、寛容の実は、他の2つの実「親切」、「善意」と同じように、生身の人間関係の中で生まれる実です。いつも自分に対していいことをしてくれる人との関係の中ばかりではなく、主を仰ぎ見る中で、偏見や誤解、中傷や裁き、批判や反抗と言った試練となる人間関係の中で結ばれる実なのである。

ヤコブ1:2~4:「信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。1:4 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」

ローマ5:3~4:「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」

 ちょうど農家の人が、樹木が豊かに実を結ぶことが出来るようにと、樹木に手を入れて剪定するようにです。そこに人間関係における御霊の実が結ばれる秘訣がある。

【結論】

(3)これらの実が豊かに結ばれるための条件、秘訣

ヨハネ15:5:「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」

①「人がわたしにとどまり」:イエス様への信仰があって、

②「わたしもその人の中にとどまっているなら」:イエス様を王として心の中心に迎えること。つまり、イエス様への完全な従順があるなら、それは、

③「見返りを求めない無条件の愛」に生きる者として、「受けるよりも与えるほうが幸いである。」(使徒20:35)の原則に生きることであり、

④“Pay forward”(善行の先払いによる善行が生み出す好循環)の原則で生きることです。「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさ

 い。」(マタイ10:8)そして、それは、

⑤十字架の原則に生きることである。初めにイエス様の恵みを受けて、イエス様に従って行くことである。

ピリピ2:3~8:「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」

◎イエス様は十字架で何を先払いしてくださったのだろうか?!―「相手の最善のために自分を犠牲にする、ささげる愛」、「見返りを求めず、無条件で与えること」から与えられた「赦し」だった。この「赦し」は、御霊の実全体を生み出すための大きな力である。それは愛から生まれる力と言ってもよい。私たちは皆、この「赦し」を十字架によって与えられたのです。

マタイ16:19:「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」

マタイ18:18:「まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。」

※私たちのためにご自身の命を先払いして下さり、私たちにこの愛の「赦し」の鍵を与えて下さったイエス様の恵みを覚え、十字架の主を見上げて、私たちも隣人に対してこの「赦しの鍵」を用い、「寛容、親切、善意の実」を結んで行く者となろう。

―祈り―

 

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