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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

April 8, 2018

 

【タイトル】

「神のかたちの完成めざして(5)「尊厳の喪失と回復」」

【聖書個所】

 創世記2:22~3:7、3:21

【導入】

 今日は、「神のかたちを目指して」という今年のテーマの5回目として、

「神のかたちとしての尊厳の喪失と回復」というテーマでみことばを取り

 次ぐ。

【本論】

 ここに、人類史上初めて恥意識を持った人物が登場する。それは、神が

初めに造られたアダムとエバです。しかし、彼らは初めに神によって造ら

れた時には恥というものを知らなかった。

2:25:「人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」

 では、どうして彼らは恥ずかしいという恥意識を持ったのか?それは彼らが神の命令を破り、善悪の知識の木から実をとって食べるという罪を犯してしまったからです。

 ここで、少しサタンの働きの領域について見ておこう。サタンは天で神に仕えていたが、神に対する高ぶりのため天から追放され、地に落とされた。どこに落ちたか?善悪の知識の木の所である。何故なら、それ以外の場所は既にアダムとエバの支配下にあったからです。だからこの時、サタンが行くことが出来た所はたった一つ、善悪の知識の木の所だけだった。サタンは、この木だけは自分の思うようにすることが出来た。そこでサタンは、この木を通して彼らを騙し、罪を犯させた。その結果、彼らの良心は穢れ、何が善で何が悪かを分かっても、それを実行する力と自由を失い、地の支配権をサタンに奪われてサタンの支配の下で苦しむようになったのです。

ヘブル10:22:「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」

 このみことばは、救われる前の私たちの良心は穢れていたことを示している。しかし、私たちはイエス様の血によって穢れた良心が清められ、聖い者とされたのです。

 悪魔や悪霊の働きの領域に戻るが、サタンはエデンの園で善悪の知識の木のところでアダムとエバを誘惑したように、今日でも同じように善悪の知識の木の所で働いている。そこはどこか?そこは善悪を考える思考の中である。悪魔は今日でも私たちの思考の領域で語りかける。しかし、どんなにサタンが働いても、決して私たちは悪魔の声に聞き従ってはならないのです。

 さて、サタンの働く領域についてはこの位にして、今日のテーマの「恥」について続ける。

Ⅴ7:「このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。」

 アダムとエバは自分たちが裸であることを知り、それを恥ずかしいと思っていちじくの葉で裸を隠した。人は誰でも、恥ずかしいと思うものは見られたくない、恥ずかしいと思うことは知られたくない。だから隠すのである。では、どうして彼らは裸であることを知ったのだろうか?それは、善悪の知識の木の実を食べたことにより、それまで開いていた神様に頼る信仰の目が閉じ、自分で善悪を判断する目が開いて、神様が造られたものや自分の尊厳を認める目が死んでしまったのである。そうして彼らは、また私たちは、神のかたちである私たちの尊厳を失ってしまった。

ローマ3:23:「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」

 人は一旦このようになると何とかしてそれを回復しようと頑張るものです。例えば、学校の成績にしろ仕事の業績にしろ、或いは人の評判にしろ、失ったものを回復しようと頑張る。それがアダムとエバが自分の裸を恥ずかしいと思って覆った「いちじくの葉」です。「いちじくの葉」は自分の恥を覆い、自分の行いによって尊厳を回復しようとする自己義認の行為、思いです。神様は、そんな「いちじくの葉」で自分の恥を隠したアダムとエバ、また私たちのために、御子であるイエス様を送って、贖いをなして下さった。その予言的行為が、創世記3:21です。

創世記3:21:「神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。」

 皮の衣を作るためには動物を殺し、その血を流さなければならない。それは、私たちの贖いのために十字架に架かって下さったイエス様を指し示します。神様は私たちを愛し、私たちが自分の力で自分の罪と恥を覆い隠そうと頑張らなくても、御子であるイエス様の「皮の衣」によって私たちの罪をきよめ、恥を覆ってくださるために十字架で私たちを贖って下さったのである。

ローマ3:23~24:「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、3:24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」

 自分の力で自己の尊厳を回復しようと「いちじくの葉」で頑張っていた私たちの姿は、ちょうどイエス様を見ようといちじく桑の木に登ったザアカイに例えられる。彼は「いちじくの葉」で裸の自分を隠し、頑張りによって得た彼の地位という「いちじくの葉」での衣を着ていた。しかし裸の彼は、どんなにか空しく、カラカラで、孤独であっただろう。そんな姿がいちじく桑の木に登り、その中に隠れてイエス様を見ようとしたザアカイである。まさに罪の中にあった私たちの姿そのものである。そんなザアカイに、また私たちにイエス様は声をかけて下さった。

ルカ19:5:「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」

 「ザアカイ、もういいよ。よく頑張ったね。いちじくの木から降りて来なさい。もう「いちじくの葉」の衣を脱ぎ捨てていいよ。私があなたの衣になってあげるから。」と言って、イエス様はザアカイに声を掛けられたのです。

【結論】

 今日、このように神様は私たちを愛し、私たちの罪のために、恥のために御子イエス様を十字架に架けて下さって完全な贖いをなして下さった神様のことをもう一度覚えて、感謝しよう。また、私たちの中で、今もっとクリスチャンらしくなろうと頑張っている人はいませんか?そんな「いちじくの葉」の衣も、今日脱ぎ捨てよう。もう私たちは完全に聖められ、尊厳を回復したクリスチャンです。そのことを感謝しよう。また、クリスチャン生活にあっても、サタンは絶えず私たちの思いの内に試みを仕掛けてくる。しかし、無視して退けよう。私たちはサタンのものではなく、もう完全に神の子だから。

エペソ4:17~24:「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」

―祈り―

 

 

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