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これまでのメッセージ

イースター礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【タイトル】

「復活の福音の恵み」

 

【聖書個所】

  ルカ24:1~12

【本論】

 このところにイエス様の復活出来事が記されている。この出来事が、

私たちにとって、福音(良き知らせ)としてどんな意味を持っているの

だろうか、みことばからメッセージをいただこう。

(1)「私たちの罪が完全に贖われた」ということを保証である。

Ⅴ12:「しかしペテロは、立ち上がると走って墓へ行き、かがんでの

ぞき込んだところ、亜麻布だけがあった。」

「亜麻布だけがあった。」という。これは私たちの罪の贖いの完全さを

意味する証拠である。律法によると、大祭司は民の罪の贖いのために年

1度、至聖所に入って動物の血による贖いをし、それを終えると、着ていた亜麻布を脱いで出て来た。

レビ16:23:「アロンは会見の天幕に入り、聖所に入ったときに着けていた亜麻布の装束を脱ぎ、それをそこに残しておく。」

 つまり、亜麻布が脱いで置かれていたということは、大祭司が民の罪のための贖いをなし終えたということのしるしになったのだが、それは毎年繰り返されなければならないものだった。しかし、律法の成就者(マタイ5:17)として来られたイエス様は、全人類の罪の完全な贖いのために、動物の血ではなく、ご自身の血をもって十字架の上でみわざをなされ、そして墓に葬られてよみがえって下さった。イエス様は、完全な永遠の大祭司として私たちの罪のための贖いを、ただ一度で成し遂げて下さったのである。

ヘブル9:11~12:「しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」

 その完全に成し遂げられたことのしるしが、墓の中に残されていた亜麻布だった。パウロはこう言う。

ローマ4:25:「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。」と。

※イエス様の復活は、私たちの罪の贖いが完全になされたことの確かな保証なのです。

(2)私たちがこのよみがえりの、新しいいのちによって生きる者とされたことのしるしです。

ヨハネ11:25~26:「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」

 イエス様の復活を信じる者は、ただ死んだ後によみがえりの体が与えられるということだけではなく、信じた瞬間によみがえりのいのちによって生きる新しい体が与えられるのです。聖書はそれを、「内なる人」とか「新しいからだ」と呼んでいる。

Ⅱコリント4:11、16:「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」、「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(「新しいからだ」については、エペソ4:20~24)

 そして、このいのちはいつまでも続く。たとえ肉体が滅んでも、内なる新しいいのちはその死を通過して行くのです。肉体の死は、もはやこの私たちの新しいいのちに対して何の力もなく、私たちは死に打ち勝った、よみがえりの新しいいのちを持って生きて行くのである。

Ⅰコリント15:54~57:「しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、『死は勝利にのまれた。』としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」

 だからイエス様はニコデモにこのように言われた。

ヨハネ3:3、5:「…。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。』」、「…。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。』」

 また、この新しいいのちによって生きる私たちは、もやはこの世のもの、たとえそれが家族であろうと、新しい家族(神の家族)の関係の中で生きるのである。

マタイ12:46~50:「イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。すると、だれかが言った。『ご覧なさい。あなたのお母さんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。』しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。『わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。』それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。『見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。』」

 救われた者は皆、この新しいいのちにより、この世にあっても神の家族として、神の国に永遠に生きる者なのです。

【結論】

①だから、先ず私たちは一人ひとり、どんなことがあっても、たとえこの体が肉体の死に直面しても、勇気を失うことなく、信仰をもって、神の国に入るまで、ゴール目指して歩んで行こう。

黙示21:1~4:「また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』」

②また、ただ私たちがそれを目指して歩んで行くだけではなく、このゴールがあることを、まだこの新しいいのちを知らない人々に伝えて行こう。

 この世の中には多くの苦難、悲しみ、痛みの中に生きている人たちがいる。そのような人たちに私たちは何をすることが出来るだろうか?―人間的な同情、憐みの言葉をかけることが出来る。しかし、最も必要なことは、その人たちにも、私たちが知って持っているこの福音と永遠のいのちを分かち合うこと。それ以外に、私たちが与えることが出来る最善のものはないのです。

引用:ヘンリー・ブラッドリー師の証し:「3人の子供を天に送った一人の女性の信仰」

―祈り―

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