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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

 

【タイトル】

「エズラ記(3)―賛美と礼拝を礎にして建て上げられる教会―」

【聖書個所】

エズラ3:1~13

【本論】

Ⅴ1:「イスラエル人は自分たちの町々にいたが、第七の月が近づくと、

民はいっせいにエルサレムに集まって来た。」

 帰還した人々が第7の月にエルサレムに集まって来た理由は、Ⅴ2~

Ⅴ6にあるように、この月に行なうように律法に定められていた祭儀を

行なうためだった。どのような祭りがあるのか:

・第1日目:「ラッパの祭り」:新年の始まりとしてラッパを吹き鳴らす祭り。

・第10日目:「贖罪の日」:大祭司が年に一度、自分と民の罪の贖いのために至聖所に入り、動物の血を贖いの蓋の上に振り掛けて罪の贖いをする祭

      り。

・第15日から1週間:「仮庵の祭り」:荒野の生活を覚えて、仮小屋に住む祭り。

 ここで、教会形成との関係で重要なポイントは;

(1)彼らが「いっせいに」エルサレムに集まって来たということ。

・「いっせいに」:「ひとりの人のように」。これは、「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」(エペソ4:5)の聖霊によって誕生した

教会の特徴である。

使徒2:46:「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、…。」

 何のために「心を一つにして」いたのか?―それは、「宮に集まり」とあるように、礼拝である。礼拝は、聖霊によって誕生した教会の大切な柱、教会は礼拝共同体である。

◎では「礼拝」とは何だろう?―エルサレムに帰還し、第7の月に彼らがやったことを見ると、V2~Ⅴ6に至って、「全焼のいけにえをささげた。」とある。(「全焼のいけにえ」の詳細についてはレビ1章を参照)これは、私たちの神様への礼拝の本質を表わす。それは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)として、私たちの罪の贖いのために、「罪のためのいけにえ」(レビ4章)として十字架に架かってくださったイエス様に対してささげるに最も相応しい、また私たちが唯一ささげることが出来るささげものなのである。だから私たちは、主日礼拝を、聖日礼拝を軽んじてはならないのです。

引用:私の救われた年(1986年)のある出来事。礼拝を大切に考えた出来事。

※礼拝は大切なもの。どんなに犠牲を払ってもささげようとするものです。これからもこの教会を形成して行くために、礼拝を大切にして行こう!

 またそれは、「いっせいに」=「ひとりの人のように」=「心を一つにして」ささげるものである。先ほど、初代教会の礼拝の様子、教会の集まりの様子を見た。ペンテコステの時の出来事から分かるように、当時の初代教会にはいろんな国の言葉を話すユダヤ人や改宗者、またローマ人もいた。大部分はユダヤ人だったが、「ユダヤ人2人が集まると…になる。」と言われるように、一つになるのが難しいユダヤ人です。そんなユダヤ人たちが心を一つにして主を礼拝し、交わりをしていたのである。黙示5章にもあるが、これが究極の教会の姿なのです。

 

引用:法人牧師会、吉川・杉戸の牧師会、、そして、FICMでの交わりの麗しさ。そこに究極の教会の姿の一端がある。

 

※このように、これからもこの教会を形成して行くために、心を一つにして行こう!

(2)神に焦点が当てられた賛美をささげること。

Ⅴ8~Ⅴ11:「彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアと、その他の兄弟たちの祭司とレビ人たち、および捕囚からエルサレムに帰って来たすべての人々は、【主】の宮の工事を指揮するために二十歳以上のレビ人を立てて工事を始めた。こうして、ユダヤ人ヨシュアと、その子、その兄弟たち、カデミエルと、その子たちは、一致して立ち、神の宮の工事をする者を指揮した。レビ人ヘナダデの一族と、その子、その兄弟たちもそうした。建築師たちが【主】の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって【主】を賛美するために、祭服を着た祭司たちはラッパを持ち、アサフの子らのレビ人たちはシンバルを持って出て来た。そして、彼らは【主】を賛美し、感謝しながら、互いに、『主はいつくしみ深い。その恵みはとこしえまでもイスラエルに。』と歌い合った。こうして、【主】の宮の礎が据えられたので、民はみな、【主】を賛美して大声で喜び叫んだ。」

 いよいよ神殿再建工事が始まった。その工事において大切なことは、礎を築くことである。では、今日の神殿である教会、そして私たちの心の中の神殿建設で重要な礎とは何だろう。それは、「…。こうして、主の宮の礎が据えられたので、…。」(Ⅴ11)とあるように、その前を見ると、Ⅴ10:「建築師たちが【主】の神殿の礎を据えたとき、イスラエルの王ダビデの規定によって【主】を賛美するために、…。」とある。つまり、イスラエルの王ダビデの規定による賛美である。それはどのような賛美か?―ダビデがペリシテ人によって奪われた契約の箱を、エルサレムに持ち運び、設けた天幕(これを「ダビデの幕屋」と言う。)に安置し、それに仕える祭司を任命した時のことを見てみよう。

Ⅰ歴代15:25:「こうして、ダビデとイスラエルの長老たち、千人隊の長たちは行って、喜びをもって【主】の契約の箱をオベデ・エドムの家から運び上ろうとした。」

・喜び、喜び踊るほどの喜び(Ⅴ29)をもってささげる賛美である。

Ⅰ歴代16:1a、4~6:「こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中に安置した。」、「それから、レビ人の中のある者たちを、【主】の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、【主】を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした。かしらはアサフ、彼に次ぐ者は、ゼカリヤ、エイエル、シェミラモテ、エヒエル、マティテヤ、エリアブ、ベナヤ、オベデ・エドム、エイエル。彼らは十弦の琴や、立琴などの楽器を携え、アサフはシンバルを響かせた。祭司ベナヤとヤハジエルは、ラッパを携え、常に神の契約の箱の前にいた。」

・数多くの楽器(Ⅴ5~Ⅴ6)を奏でてささげる賛美である。

・常に(Ⅴ7)、(Ⅴ37)とあるように、絶えることなくささげる賛美である。この「絶えることなく」賛美をささげさせるために、ダビデは、12人ずつ24組に分けて、半月毎に奉仕させ、一日24時間、一年365日、賛美の歌声、楽器の音が絶えることなくささげられるようにした。(Ⅰ歴代誌25章参照)これが、賛美に関するダビデの規定である。

 今日、この賛美・礼拝を、「ダビデの幕屋の回復」(使徒15:16、アモス9:11)として、文字通り実行している教会がある。それはそれで素晴らしい。しかし、その賛美・礼拝の本質は、神を第一にして、絶えることのない神との交わりの中での賛美と礼拝を捧げることである。ダビデの幕屋とは、聖所・至聖所の仕切りのない「新しい契約」による賛美・礼拝がささげられる所のことであって、文字通り1日24時間、1年365日、特定の場所に集まって礼拝ささげることではない。ダビデの幕屋における賛美・礼拝は、新しい契約に相応しく、場所や時に限定されず、どこででも、いつでも、御霊による自由な賛美・礼拝を捧げることなのである。

ヨハネ4:21~22:「イエスは彼女に言われた。『わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。』」

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16~18)という、私たちの教会生活、信仰生活を表わす御言葉も同様である。

※このように、私たちは教会形成をして行くために、しっかりと真理を見極め、神を第一にして、賛美、礼拝をささげて行こう。それが教会の大切な礎である。

―祈り―

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