主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

エズラ記5:1~17

【タイトル】

エズラ記(5)「神の目が注がれている民」

【本論】

Ⅴ1:「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。」

 イスラエルの民は神殿再建という使命を持ってエルサレムに戻り、礎までは築いたものの、サマリヤ人たちの妨害によって工事を中断せざるを得なくなった。その中断が16年間続いたわけだが、そんな中で預言者ハガイとゼカリヤが人々に預言した。

◎何を預言したのか?いくつもの預言の言葉があるが、二人から一つずつ見てみよう。

ハガイ1:1~8:「ダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルと、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような【主】のことばがあった。『万軍の【主】はこう仰せられる。この民は、【主】の宮を建てる時はまだ来ない、と言っている。』ついで預言者ハガイを通して、次のような【主】のことばがあった。『この宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現そう。【主】は仰せられる。』」

ゼカリヤ1:1~6:「ダリヨスの第二年の第八の月に、イドの子ベレクヤの子、預言者ゼカリヤに、次のような【主】のことばがあった。主】はあなたがたの先祖たちを激しく怒られた。あなたは、彼らに言え。万軍の【主】はこう仰せられる。わたしに帰れ。──万軍の【主】の御告げ──そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の【主】は仰せられる。あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちが彼らに叫んで、『万軍の【主】はこう仰せられる。あなたがたの悪の道から立ち返り、あなたがたの悪いわざを悔い改めよ。』と言ったのに、彼らはわたしに聞き従わず、わたしに耳を傾けもしなかった。──【主】の御告げ──あなたがたの先祖たちは今、どこにいるのか。預言者たちは永遠に生きているだろうか。 しかし、わたしのしもべ、預言者たちにわたしが命じた、わたしのことばとおきてとは、あなたがたの先祖たちに追い迫ったではないか。そこで彼らは立ち返って言った。『万軍の【主】は、私たちの行いとわざに応じて、私たちにしようと考えられたとおりを、私たちにされた。』と。」

ゼカリヤ1:16:「それゆえ、【主】はこう仰せられる。『わたしは、あわれみをもってエルサレムに帰る。そこにわたしの宮が建て直される。──万軍の【主】の御告げ──…。』」

 これらの言葉から分かるように、イスラエル人たちは工事中断の間にすっかりその使命を失い、自分たちのことだけに心を奪われてしまっていた。そんなイスラエルの人々に、二人とも、特にゼカリヤは過去のイスラエル人たちの神様への不従順のことに触れながら、悔い改めて、目を覚まし、初めの使命に立ち返るよう、叱咤激励の言葉を飛ばした。そして、Ⅴ2:「そこで、…。」とあるように、その預言が効を奏したのか、人々は神殿再建工事を再開した。ところが、現実はそう簡単に進んだわけではなく、

Ⅴ3~Ⅴ4:「そのとき、川向こうの総督タテナイと、シェタル・ボズナイと、その同僚とがやって来て、こう言った。『だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。』そしてまた、『この建物を建てている者たちの名は何というのか。』と尋ねた。」

 「川向こう」とは、この時のこの地域を治めていたペルシャから見て、チグリス・ユーフラテスという大河の向こう側にあったイスラエルの地域のこと。その地域を治めていた総督タテナイと、シェタル・ボズナイ、彼はタテナイの部下で一等書記官だったとされる人物、その他の人々がやって来て、

Ⅴ3~Ⅴ4:『だれがあなたがたに命令を下して、この宮を建て、この城壁を修復させようとしたのか。』そして、『この建物を建てている者たちの名は何というのか。』と訊いたという。それは当然のこと。今まで16年間、放置されていた大工事が始まったのだから、そのように訊くのも当然である。それに対して答えたイスラエルの長老たちの答えが、Ⅴ6の「ダリヨス王に書き送った手紙の写し」と言われているⅤ7~Ⅴ17の中に記されている。その手紙がダリヨス王に届き、ダリヨス王から返事が来るまでの間は、Ⅴ5:「このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。」とあるように、彼らは工事を続けることが出来たのである。その期間はどの位か?―つのヒントとして、エズラ7:8~9:「エズラは王の第七年の第五の月にエルサレムに着いた。すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発して、第五の月の一日にエルサレムに着いた。彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。」から見るならば、往復で8か月。飛脚便を飛ばしても、その半分として4か月。人々はその間、神殿再建工事を継続出来たのである。その理由は何であろう。それが今日のポイント。

Ⅴ5:「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、このことがダリヨスに報告され、ついで、このことについての書状が来るまで、この者たちは彼らの働きをやめさせることができなかった。」

※神の目が彼らの上に注がれていたからである。「神の目」とはどういう目か?聖書の中でいろいろな目として表現されている。

箴言15:3:「【主】の御目はどこにでもあり、悪人と善人とを見張っている。」=監視の目

Ⅱ列王記3:18:「これは【主】の目には小さなことだ。主はモアブをあなたがたの手に渡される。」イスラエルはある時モアブと戦った。その闘いにおいて神はイスラエルに勝利をもたらすために奇跡を行われたが、そのような奇跡による勝利は神にとっては小さなことだという全能者としての目。

Ⅱ歴代24:2:「ヨアシュは、祭司エホヤダの生きている間は、【主】の目にかなうことを行った。」=何人かの王がそうだったが、御心を表わす目。

詩篇116:15:「主の聖徒たちの死は【主】の目に尊い。」=恵みと憐みに富んだ慈しみの目。

アモス9:8:「見よ。神である主の目が、罪を犯した王国に向けられている。わたしはこれを地の面から根絶やしにする。…。」=裁きと正義を為される公正の目。

 Ⅴ5の「しかし、ユダヤ人の長老たちの上には神の目が注がれていたので、」の「神の目」は、それらすべてが合わさった神の目であり、天地万物を造り、歴史を支配し、すべてを導いておられる万軍の主なる神の目です。その目がイスラエル人たちの上にあったの神殿再建を止めることが出来なかったのである。

【結論】

 私たちの教会形成、私たち自身についても同じです。私たちの上にはこの偉大な神の目が注がれているので、どんなに邪魔が入ろうと、どんな困難なことが起きようと、神はご自身の教会を、私たちを建て上げられます。(マタイ16:18:「…。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」)とあるように。

引用:将棋名人へのインタビュー記事を載せるため、名人と対戦した将棋雑誌の編集長と名人とのやりとり。「どこで玉を詰めて欲しいか。そこで詰める。」と名人は言ったと言う。そして、その通りになった。

※私たちは自由意志で私たちの働きをする。悪魔も同様に働いてもいる。しかし、すべてを造り、すべてを支配されておられる全能なる神がおられて、私たちの上に目を注いでおられるので、何が起ころうと、必ず神の御計画は御心通りに行なわれるのである。私たちの教会形成においても、神は必ずそのようになさるのだと覚えよう。そして主を賛美し、主に期待し、信じて、委ねよう。

―祈り―

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