【聖書個所】
エズラ6:1~15:
【タイトル】
大事業を成し遂げた民の忠実さ
【本論】
Ⅴ1~Ⅴ2:「それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ、メディヤ州の城の中のアフメタで、一つの巻き物が発見された。その中に次のように書かれていた。」
イスラエルの民は16年間中断させられていた神殿再建工事を再開したが、その工事再建を訝り、総督タテナイは誰の命令による工事なのかと問うたところ、ユダヤ人たちはクロス王の命令によると答えた。タテナイはその真偽を確かめるため、時の王であるダリヨスに手紙を書き送った。Ⅴ1の「それで、ダリヨス王は命令を下し、宝物を納めてあるバビロンの文書保管所を調べさせたところ」というのは、その手紙を受けてのことである。そうすると、メディヤ州の城の中のアフメタというところで「記録」と書かれた一つの巻物が発見された。その記録がⅤ3~Ⅴ5です。この記録が発見され、それがダリヨス王に伝えられたことにより、ダリヨス王はすぐにタテナイたちに対して返事を書き送った。それが、Ⅴ6~Ⅴ12である。その内容は;
・Ⅴ6~Ⅴ7:そのまま工事をやらせること。
・Ⅴ8:工事のための費用を「みつぎ」=税金の中から、滞りなく払えということ。
・Ⅴ9:費用だけではなく、工事期間中のイスラエル人たちが神にささげるために必要な生贄の
動物、小麦や塩、葡萄酒や油なども毎日用意するようにということ。
・Ⅴ10:王と王子のために長寿を祈るようにさせること。
・Ⅴ11~Ⅴ12:この法令に背く者に対する罰則。
このようにダリヨス王から法令として手紙が送られて来たので、タテナイ達はそれを実行した。そして最終的に、神殿は、Ⅴ15:「こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月(BC515年、第12の月、太陽暦の2月~3月)の三日に完成した。」とある。BC536年から建て始め、途中16年間の中断があったので、計約5年で完成したことになる。このように、彼らは神殿再建工事と言う大事業を為し終えたのである。その要因になったのが、今日のタイトルにあるように、「民の忠実さ」である。「忠実さ」と言っても、2つの忠実さがある。
(1)先ず、「神に対する忠実さ」である。
Ⅴ14:「ユダヤ人の長老たちは、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言によって、これを建てて成功した。彼らはイスラエルの神の命令により、…これを建て終えた。」
「預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言」、「イスラエルの神の命令」これらは神のみことば、神そのものである。神のみことばに対して忠実であるということは、神に対する私たちの信仰そのもののことでもある。
(2)次に、「権威ある者として建てられている人に対する忠実さ」である。
Ⅴ14:「彼ら(ユダヤの長老たち)は…、…、クロスと、ダリヨスと、ペルシヤの王アルタシャスタの命令によって、これを建て終えた。」
クロスも、ダリヨスも、ペルシャの王アルタシャスタは、神ではなく人間である。しかし、ユダヤの長老たちは彼らの命令に忠実であることによって神殿の再建が成し遂げられたと言うのである。私たち人は皆、神の下で違いはあっても平等であると言われている。確かに聖書もそのことを教えている。
Ⅰコリント1:29:「これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。」
むしろそれ以上に、他人(ひと)は自分よりも高く、自分は他人(ひと)よりも低くすることを教えている。
ローマ12:10、16:「兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」、「互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。」
しかし同時にまた、人が立てた権威に対しては、従うことも教えているのである。
ローマ13:1:「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」
※結局、人が人に対して忠実であるというのは、人は神に対して忠実でなければならないというところから来るのである。
【結論】
私たちは今、ひとりひとりが、そして私も自分自身に対して、そして教会に対して、霊の家、霊的神殿を建てており、それぞれがその責任を負っている。私も責任を負っている。そのために、私が神様から与えられている責任、使命は次のみことばで表される。
コロサイ1:24~29:「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現された奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」
これは私に与えられているみことばでもあるが、教会全体に、また教会の一人ひとりに対して語られている言葉でもある。
※教会、霊的神殿を建てることは、私たち全体にとっても、一人ひとりにとっても一大事業です。また、一人の人が自分の人生を生きるということについて、「自分の人生という家」を建てるということという風に理解するのならば、それも一大事業。それをやり遂げるには、一人一人にうちに、その働きを、人生を与えてくれた神に対する忠実さが求められる。
引用①:中世の石工の譬え話
毎日、大量の汗をかきながら、同じ賃金ももらいながら、3人の石工が石を刻んでいた。そこに一人の旅人が通りかかり、彼らに尋ねた。「あなたは、何のために毎日石を刻んでいるのか?」―①お金をもらうため。②将来、腕の立つ職人になるために。③これから何百年も、多くの人が訪れることの出来る教会の土台を作るため。つまり、教会を建てるのだというビジョンを持って石を刻んでいた。
※この話は、一大事業を成し遂げるには、ビジョンを持つことの大切さを教えると共に、そのビジョン達成に向かって、忠実に働くことの大切も教えている。
※私たちも、「このキリストの体を建てるのだ。」というビジョンを持って、忠実に仕えて行こう。
引用②:週報にある教会のモットー「主にあって大きな夢を持ち、小さなことにも忠実に、主の愛に生きる教会」のように。
―祈り―