主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【聖書個所】

創世記2:18~25

【タイトル】

神のかたちの完成目指して(12)「家族の回復―聖家族の誕生―」

【本論】

 神様は人を造り、「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべてのものを支配(管理)せよ。」と命じられた。(1:28)そして、「その後、神である【主】は仰せられた。

「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう。」(Ⅴ18)と言われた。

 何故「ひとりでいるのが良くない」のか、何故「彼のためにふさわし

い助けてを造ろう。」と言われたのか?―それは、先ほどの神様の命じられたことは人がひとりで居ては出来ないからである。神さまは人を造り、人が家族を作り、その家族が増え広がることによって神様の管理命令を果たすことを計画しておられたからである。

 そして、神様は人の前に、御自身の造った地の上の動物と空の鳥を連れて来た。その目的は一見、それらの動物の中に、人にとってふさわしい助け手をさがすためのように思われるが、そうではない。その目的は、「それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。」(Ⅴ19)である。「名をつける。」というのは、そのモノの本質を見極めるということ。だから、「人が生き物につける名はみな、それがその名となった。」(Ⅴ19)ということは、「人はすべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名をつけた。しかし人には、ふさわしい助け手が見つからなかった。」(Ⅴ20)となっても当然である。人の本質は動物とは違うからである。そこで、

Ⅴ21~Ⅴ24:「神である【主】は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして、彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である【主】は、人から取ったあばら骨をひとりの女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。人は言った。『これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。』それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。人とその妻は、ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」

 「深い眠り」というのが何か?―これは神様の御手の働きによる霊的介入のことである。パウロはこの「深い眠り」について、エペソ5章で、キリストとキリストの花嫁である教会、また夫と妻の関係、結婚の奥義として語っている。(エペソ5:22~33)それは、キリストの十字架による私たちの罪の贖いを示しており、それによって私たちがキリストの花嫁としてキリストの御前に立つことが出来るように、また、結婚式において夫と妻がベールを上げられて相対し、初めて夫が妻の顔を見ることが出来るように、神様は「深い眠り」を介して、人にふさわしい花嫁、助けてを造って下さったことを示すものである。そして人はこう言ったのである。「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男から取られたのだから。」(Ⅴ23)と。そして「それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(Ⅴ24)となって、神の介入による男と女が愛し合う家族の原型が誕生したのである。

 ここに、ヨセフとマリヤの家族が「聖家族」になる前の、オリジナルの「聖家族」がある。その時、「ふたりとも裸であったが、互いに恥ずかしいと思わなかった。」(Ⅴ25)と言う。「裸」は、(へ)「アルーミーム」と言い、「隠すこともなく、あるがままでいる状態」を言う。それを「互いに恥ずかしいと思わなかった。」と言う。何故なら、彼らはまだ罪を犯していなかったからである。「恥」は罪を犯した結果生まれる感情、意識である。