Please reload

これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

March 10, 2019

【聖書個所】

エペソ5:8

 

​【タイトル】

「主にあって、光の子どもとして歩む」

 ​【序論】

 聖書は、私たちは「主にあって光となった。」と言う。今日は、この「私たちは主にあって光となった」というところから、神様が私たちに語ろうとしているメッセージを受け取りたいと思う。

【本論】

 先ず神様は私たちに、(1)「私たちは、以前は暗闇だったが、今は主にあって光となった。」と語っている。この以前の状態と今の状態との違いに、先ず注目したい。暗闇と光との違いとはどの位の違いか?―それは、北と南、東と西の違いのように、全く正反対の、相容れない、全く共存することが出来ない違いである。それは何を意味するかというと、それは、私たちの以前の性質、生き方、考え方、行ない、言動が暗闇のものであり、今の性質、生き方、考え方、行ない、言動が光のものであるということです。

 この5章だけ見ても、幾つかのことが語られている。暗闇に類する性質、生き方、考え方、行い、言動としては、「あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者─これが偶像礼拝者です、─こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。」(V3~V5)のように、いくつものことが語られている。すべてのことを見ることは出来ないが、「不品行」だけでも見てみると、それは、原語では「ポルネイア」という言葉で、現代のポルノという言葉の元になっているもの。「人の道から外れた、神様が良しとしない関係や状況での性的交わり、およびそれに類するもの」という意味の言葉である。当時、エペソの町にはアルテミスという女神を祭る神殿があったが、そこには神殿娼婦がいて、今では不道徳な行為が女神を礼拝する普通の宗教行為として行なわれていた。そのように、それに類するような汚れた行ないや、むさぼり、みだらなこと、愚かな話、下品な冗談がささやかれていたのである。

 一方、光に類する性質、生き方、考え方、言動、行いとしては、「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(V1~V2)のように、神にならう生き方、愛のうちに歩む生き方、考え方、行動、言動のことである。また、「光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです──そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(V9~V10)のように、真善美という言葉があるが、人間が本来求めているものは、このような良いもの、良い行ないです。それは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、誠実、自制という、御霊に従って歩む時に結ぶ実のようなものです。私たちは光になったのだから、これらの光の実を結べということである。また、「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」という。つまり、主のみこころは何であるかを見分け、そしてそれを行なえと言う。

 「主のみこころ」とは何だろう?―それは、イエス様のところに来て、「すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか?」と訊かれた律法学者に答えたイエス様の答えの中にある。「イエスは答えられた。一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。」(マルコ12:29~31)のように、神を神とし、人を自分よりもすぐれた者と思い、謙って歩む生き方である。

 

 次に、光に類する生き方、考え方、性質、行ない、言動は、「実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。」(エペソ5:11)のように、前述のような暗闇のわざを明るみ、光の下に出すことである。光には、レントゲン写真で分かるように、隠れているものを照らし出し力がある。それは聖霊様の働きと同じである(ヨハネ16:8)。イエス様を信じると、私たちの内には聖霊様が宿り、聖霊様が、私たちの内に暗闇のわざがあれば、それを発見し、それを明るみに出すのです。だから、罪が示されたのならば、感謝しよう。それによって罪から離れることが出来るからです。また、光には暗闇のわざを発見するだけではなく、それを滅ぼす力がある。ちょうど放射線で癌を無くするようなことである。「明るみに出す」とは、まさこのように、暗闇のわざを発見し、それを滅ぼすことである。暗闇と光とは共存できないからである。私たちはイエス様を信じたときに、そのように暗闇から光へと、明確に救われたのである。

Ⅱコリント5:17:「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

 だから聖書は私たちに対して、次に(2)「光の子どもらしく歩みなさい。」と命じるのである。しかし、私たちは忘れてはならない。私たちは救われても、暗闇から救い出されて光の子となっても、依然として暗闇の中にいる。それは、その暗闇の中に居て、その中の世の光として輝き、私たちを光の子どもとして下さった、光なるイエス様を証しするためである。この暗闇の世界の支配者である悪魔は、イエス様を騙そうとしたように、私たちをむなしいことばで騙そうとする。「そんなに熱心にならなくても、もう救われているのだから、あとはこの世を楽しんで、そうしてイエス様が迎えに来るまで待っていればいいじゃないか。」「少しくらい罪を犯しても大丈夫だよ。そのためにイエス様がいるのだから。罪を犯したなら、『ごめんなさい。』と言えば、いくらでも罪を赦してくれるのだから。大丈夫。大丈夫。」と言う風に、私たちに与えられた「救い」という光、「罪の赦し」という光、「神の子」という光を輝かせなくさせようとするのである。

 しかし、私たちは光の子どもです。私たちは世の光、山の上にある町です。

マタイ5:14:「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」

 私たちは、山の上にある町、その町の光なので、隠れることが出来ない。イエス様の救いに光に照らされて光となったので、もう隠れることができないのです。隠れることが出来ないどころか、その救いの光を輝かす、明らかに照らし出す者に変えられたのです。だから、主にあって、その光を輝きだそう。照らし出そう。

【結論】

エペソ5:14~18:「明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」

 私たちはイエス様によって光になりました。だから、「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」とあるように、霊的に眠ることなく、聖霊様とみことばによって目を覚まし、そして、私たちは今、暗闇の中、悪い時代に生きているのだから、愚かにならないで、聖霊様とみことばによって賢くなり、酒に酔って放蕩に走ることなく、暗闇のわざの仲間入りすることなく、暗闇とは明確に分離して、暗闇に同調することなく、御霊に満たされて行こう。私たちは、依然は暗闇の中にいたが、今は神の恵みによって、光の子どもとして、光の中を生きる者とされたからです。

―祈り―

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

© 2015-2019 by Sunrise Christian Center Misato Yoshikawa Church

大きな幻を持ち、小さいことにも忠実に、・・・主の愛に生きる教会

 Big enough to vision and small enough to care, ...living in the love of our Lord.

  • Twitter Social Icon
  • c-facebook
This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now