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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

March 17, 2019

【聖書個所】

マタイ6:11:「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

 

​【タイトル】

 

​主の祈り(5)「日ごとの糧をお与えください。」

【序論】

 今まで4回に分けて主の祈りの前半部分を見てきた。それは、「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが・・・なりますように。」のように、祈りの焦点が、父なる神に向けられていた。

 今日から、主の祈りの後半部分に入るが、後半部分では、今日の「私たちの・・・与えてください。」とあるように、焦点が私たちに移る。「私たちの・・・。」、「私たちを・・・。」というように。しかし、この後半部分に入るに当たり、覚えておかなければならないことは、前半の「神に祈りの焦点が当てられていた」という前提に立っての「私たちに関する祈り」だということ。つまり、神を神として第一にするという信仰に立った上での、私たちに焦点を当てた祈りだということです。でなければ、この世の偶像に対する祈りと同じように、ただ御利益を求めるだけの祈りになってしまうからである。

【本論】

 イエス様は弟子たちに、「私たちの日ごとの糧をきょうも与えてください。」と祈りなさいと言われた。そこには2つのポイントがある。

(1)神は天地万物を造り、時間も一切を造り、それを治めておられる大いなる神であり、その神を信じる信仰に立った祈りだということ。

 イエス様は、「・・・日ごとの糧をきょうも・・・」と言うように祈りなさいと言った。何故なら、神は「日ごと」という今日という一日を造り、その中ですべてを治めておられる神だからです。神は天地万物を造られて六日目、創世記1:31:「こうして夕があり、朝があった。第六日。」と言われた。その被造物の中に私たちの糧となるものも造られた。だからイエス様は、この神に「・・・日ごとの糧をきょうも・・・」と言うように祈りなさいと言ったのである。この世の人は、場合によっては私たちも、糧は自分で働いて得ていると考えているかもしれなが、それが出来るのは、神がその糧になるすべての物を造ってくださったからである。だから先ずそのことを覚え、全てを造られた神に向かって、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

と祈ろう!

(2)神は私たちにとって何が必要かをご存知であり、必ず必要な日ごとの糧を与えてくださるという信仰に立った祈りです。

 「日ごと」という言葉は、ギリシャ語で「エピウーシオン」といい、「日々の」、「来るべき日の」、「明日の」、「適切な」、「必要な」とか、いろいろに訳せる言葉である。確かに私たちには日々生きて行くために適切な、また必要な糧がある。しかし、神は、それらがどのようなものであっても、神は私たちの必要をご存知なのである。人間が飲食無しに生きて行ける時間は大体3日間。その間は命を保つことが出来るが、いずれは飲食が必要。神はそのことをご存知なのです。

 聖書のみことばに目を留めてみよう。

マタイ6:25~32:「だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。」

 それだけではなく、神は決して出し惜しむするような方ではない。神の言葉はこのように言う。

ローマ8:32:「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」

 だから神に、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」と、大胆に祈ろう。

 

 また、神は、ただ出し惜しみするような方だけではなく、神は私たちにとって必要なすべてのものを、豊かに、有り余るほど与えてくださる大いなる神です。それも、ただこの地上の体にとって必要な飲食という食べ物のことだけではなく、神の子どもとして必要な、霊的食べ物である義と平和と聖霊の喜び(ローマ14:17)にも満たしてくださる。パウロはそれを、ピリピの教会との関係の中で経験し、このように言葉を残している。

ピリピ4:10~19:「私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」

 今回のミーちゃんのための献金は、まさにこのような霊的祝福ではないだろうか!

【結論】

 ダビデもまた、そのような神の豊かさを経験して、賛美をささげている。

詩篇145:8~16:「【主】は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。【主】はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。【主】よ。あなたの造られたすべてのものは、あなたに感謝し、あなたの聖徒はあなたをほめたたえます。彼らはあなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。こうして人の子らに、主の大能のわざと、主の王国の輝かしい栄光を、知らせましょう。あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます。【主】は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。145:15 すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。145:16 あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。」

​ 私たちも、ますますパウロのように、ダビデのように神の祝福を体験し、神の豊かさを知り、大胆に信仰をもって祈ろう。「主よ、私たちの日ごとの糧を今日も与えてください。」と。

―祈り―

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