主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

マタイ6:11:「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

​【タイトル】

​主の祈り(5)「日ごとの糧をお与えください。」

【序論】

 今まで4回に分けて主の祈りの前半部分を見てきた。それは、「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが・・・なりますように。」のように、祈りの焦点が、父なる神に向けられていた。

 今日から、主の祈りの後半部分に入るが、後半部分では、今日の「私たちの・・・与えてください。」とあるように、焦点が私たちに移る。「私たちの・・・。」、「私たちを・・・。」というように。しかし、この後半部分に入るに当たり、覚えておかなければならないことは、前半の「神に祈りの焦点が当てられていた」という前提に立っての「私たちに関する祈り」だということ。つまり、神を神として第一にするという信仰に立った上での、私たちに焦点を当てた祈りだということです。でなければ、この世の偶像に対する祈りと同じように、ただ御利益を求めるだけの祈りになってしまうからである。

【本論】

 イエス様は弟子たちに、「私たちの日ごとの糧をきょうも与えてください。」と祈りなさいと言われた。そこには2つのポイントがある。

(1)神は天地万物を造り、時間も一切を造り、それを治めておられる大いなる神であり、その神を信じる信仰に立った祈りだということ。

 イエス様は、「・・・日ごとの糧をきょうも・・・」と言うように祈りなさいと言った。何故なら、神は「日ごと」という今日という一日を造り、その中ですべてを治めておられる神だからです。神は天地万物を造られて六日目、創世記1:31:「こうして夕があり、朝があった。第六日。」と言われた。その被造物の中に私たちの糧となるものも造られた。だからイエス様は、この神に「・・・日ごとの糧をきょうも・・・」と言うように祈りなさいと言ったのである。この世の人は、場合によっては私たちも、糧は自分で働いて得ていると考えているかもしれなが、それが出来るのは、神がその糧になるすべての物を造ってくださったからである。だから先ずそのことを覚え、全てを造られた神に向かって、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」

と祈ろう!

(2)神は私たちにとって何が必要かをご存知であり、必ず必要な日ごとの糧を与えてくださるという信仰に立った祈りです。

 「日ごと」という言葉は、ギリシャ語で「エピウーシオン」といい、「日々の」、「来るべき日の」、「明日の」、「適切な」、「必要な」とか、いろいろに訳せる言葉である。確かに私たちには日々生きて行くために適切な、また必要な糧がある。しかし、神は、それらがどのようなものであっても、神は私たちの必要をご存知なのである。人間が飲食無しに生きて行ける時間は大体3日間。その間は命を保つことが出来るが、いずれは飲食が必要。神はそのことをご存知なのです。

 聖書のみことばに目を留めてみよう。