主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

マタイ6:12

​【タイトル】

​「主の祈り(6)―私たちの罪をお赦しください。―」

【本論】

マタイ6:12:「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」

 ここで言う「負いめ」とは罪のこと。(参照:ルカ11:4)そして、その負い目は、(ギ):オフェイレーマタと、複数形で書かれているように、複数の罪のことである。そして、この祈りには、私たちがこの祈りをする時に私たちが覚えておくべき3つの重要なことがある。

(1)先ず、私たちの罪は完全に赦されているということ。

 罪が完全に赦されているのなら、何故このように祈るのか?―それは、「私たちの罪は完全に赦されている」の罪は、ここで複数形で表されている負い目のことではなく、単数形で表される原罪のこと。そして、その原罪のゆえに過去に犯した罪、現在犯している罪、そして未来に犯してしまうかもしれない罪、そのすべての罪を神は赦して下さっているのだということです。

ヘブル9:26b~28:「しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」

 V26で言う「罪」は、(ギ)ハマルティア、単数形の原罪のこと。V28で言う「罪」は、(ギ)ハマルティアス、複数形の多くの罪のこと。神は御子イエス様により、私たちの原罪と、原罪に基づくすべての罪の赦しを、御自身の一回限りの十字架のみわざによって成し遂げて下さったのです。それが神が為してくださったこと。ハレルヤ!―だから私たちは、「私たちの罪をお赦しください。」と祈るとき、私たちは、私たちの過去、現在、未来のすべての罪はもう完全に赦されているのだということを覚えることが出来るのです。

(2)日々犯す罪の赦しを求めること。

 しかし、私たちのすべての罪の赦しは神の側では完全に成し遂げていても、実際には私たちは罪を犯す。だからこの点においても、神は私たちに罪の赦しを求めることを願っているのです。

ヨハネ13:6~10a:「こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。『主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。』イエスは答えて言われた。『わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。』ペテロはイエスに言った。『決して私の足をお洗いにならないでください。』イエスは答えられた。『もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。』シモン・ペテロは言った。『主よ。私の足だけでなく、手も頭も洗ってください。』イエスは彼に言われた。『水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。』」

 私たちは神から完全な罪の赦しを受けていても、実際には日々の生活で足が汚れるように罪を犯すので、それを赦してもらう必要がある。だから、この祈り