主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

​マタイ6:13

【タイトル】

「主の祈り(7)-試みに会わせず、悪よりお救いください。」

【本論】

 今日は「私たちを試みに会わせず、悪よりお救いください。」という祈りについてみことばを取り次ぐが、この祈りは、恐らく私たちが普段祈る祈りの中で最もよく祈る祈りの一つではないだろうかと思う。何故なら、私たちは日頃からいろいろな「試み」(ギ:ペイラスモス:罪を犯させる誘惑)に会っているし、また「悪」(ギ:ポネロス:漠然とした善悪の悪というものではなく、悪い者、また悪魔を指す)によって試みられたり、誘惑せられたりしているからです。私たちは皆、大なり小なり何らかの形で悪魔の試みに会っているのです。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく」(Ⅰペテロ4:12)とあるように、試みに会うことは決して思いがけないことではなく、普通にあることであり、また「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」(ヘブル4:15)とあるように、私たちは紛れもなく試みに会う者、誘惑を受ける者なんです。

 「ハイデルベルク信仰問答」というものがあるが、そこでは、「私たちは生まれながらにまことに弱く、片時も保ち得ず、それに加えて、私たちにとって恐ろしい敵である悪魔、この世、そして私たち自身の肉は、私たちを攻めることを止めないので、願わくは、私たちを助け、あなたの聖なる御霊の力によって強め、彼ら(悪魔、この世、古い自分)に対して激しく戦い、この霊の戦いにおいて敗れることなく、ついに私たちが完全に勝利を治めることが出来るようにして下さい。」と、悪魔の存在を認め、私たちはその悪魔の誘惑に会う者であることが語られている。しかし一方で、神は力ある方だから、神に助けを求めれば神は必ず助けて下さるという祈りでもあることとを示している。つまりこれは、神を神とする信仰の上に立った祈りであるということなのです。

 神は、さきほどのヘブル4:15で語られていたように、ただ私たちの弱さに同情出来ない方でなかっただけでなく、すべての点で私たちと同じように試みを受けられ、その試みを通して、試みられている私たちを救われたのである。

ヘブル5:8~10:「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」

ヘブル2:18:「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」

 詩篇にもこのような祈りがある。

詩篇27:1~3、5:「【主】は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。【主】は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。悪を行う者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。…。それは、主が、悩みの日に私を隠れ場に隠し、その幕屋のひそかな所に私をかくまい、岩の上に私を上げてくださるからだ。」

 このように、神は私たちを守り助けて下さるのである。だとするなら、誰がその守りから私たちは引き離すことができるだろうか?

ローマ8:35~39:「私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。『あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。』と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」

 だから私たちは神に、試みられている時、イエス様に助けを求めて祈ろう!次に、私たちは試みる悪魔に対して立ち向かい、勝利を治めることが出来るのです。何故なら、私たちは救われた後は、悪魔は私たちの足の下にいるからです。みことばを見てみよう。

エペソ1:20~22:「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、…。」そして続けて、

エペソ2:4~6:「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、─あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです─キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」とあるように、救われる以前は私たちは悪魔の下に居たが、救われた後は、私たちは悪魔の支配下ではなく、悪魔が私たちの支配下に居て、パウロが「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。…。」(ローマ16:20)と言うことが言えるようになったのである。だから私たちはたとえ悪魔にどのように試みを受けようとも、言うことを聞く必要もなく、恐れる必要も無い。私たちは悪魔に対して、ただ「黙れ!、静まれ!」と命じるだけでいいのです。そうすれば、悪魔は退いて行くのです。

ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」

【結論】

 最後に、先ほどは詩篇27編を見たが、今度は詩篇46篇を開こう。この箇所は、マルチン・ルターの愛唱聖句だったと言う。

詩篇46:1~11:「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。 セラ 川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。万軍の【主】はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ 来て、【主】のみわざを見よ。主は地に荒廃をもたらされた。主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。『やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。』万軍の【主】はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ」

 このように神を信じる信仰のゆえに、試みに会ったときは祈ろう。そして悪魔に勝利しよう。

―祈り―

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