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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

September 1, 2019

【聖書個所】

 

エペソ1:7~10

【タイトル】

主に在って(8)「主にあって、私たちは集められる者」

【導入】

 この世の中の物事には両面があり、それぞれに意味がある、教会の1枚のドアを例に上げれば、入って来る人にとっては入口になり、帰る人にとっては出口になる。そのように、私たちの救いに関してもそうである。そしてその両面を知ることは大切である。でないと、私たちは救いを得ていても、その持っている救いの半分しか知らないという勿体ないことになる。勿体ないというより、救いの全体の素晴らしさを見失うことになってしまう。今日はエペソ1:7~10から、その救いの全体について、「主に在って」という今年のテーマのキーワードに触れながら語って行く。

【本論】

V7:「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」

 「この方」とは誰ですか?―私たちに罪の赦しを与えるため、十字架の上で贖いを為して遂げて下さった、私たちの救い主イエス・キリストです。ここに先ず、私たちの救いに関する一面、「主にあって、私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。」と言う、主にある私たちの救いが語られている。そして続けて聖書は、その贖いは「神の豊かな恵みによることです。」と言うのです。「恵み」というのは、受けるに値しない者が受けることが出来る特別な贈り物のこと。神様は、「この恵みを、神は私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。」(V8~V9a)と言うのです。

 神様はその救いという恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、「私たちの救いに関するみこころ」の奥義を私たちに知らせて下さったというのです。奥義とは「隠されている真理」のこと。神様には私たちの救いに関して、「私たちは救われた。」と私たちが思っている以上に、まだ私たちに明らかにされていない真理があり、神様はそれを、あらゆる知恵、思慮深さを動員して、私たちに知らせて下さったと言うのです。つまりそれが、私たちの救いに関する残りの半分のことです。パウロはそのことをこう言っている。

V9b~V10:「それは、この方にあって神があらかじめお立てになったみむねによることであり、時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」

(1)先ず、「主にあってあらかじめ立てられていた神の計画であった。」と。

 救いというのは、神様の予め立てられていた計画だと言うのです。それは、V4~V5でも語られている。「すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。」(V4~V5)

 救いというのは、神様がマイホームを建てるようなもの。私たちは家を建てる時、業者と打ち合わせ、プランを立て、設計をして家を建てる。神様も同じである。神様は御自身の家を建てる時=私たちを救う時、私たちにとって最も良いようにと、愛をもって計画を立てて私たちを救ってくれたのである。それが予め立てられていた神のみむねということです。そして、それはまた;

(2)主にあって、一つに集められることでもある。

V10:「時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」=(第2版では)「時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストとにあって一つに集められることなのです。」

 「時がついに満ちて」とは、家作りで言うなら、完成するまでの各工程の時を踏むことです。業者さんと相談し→図面が出来→契約を交わし→施工図が出来→基礎、柱、屋根、壁、内装、外装という風に各工程が完成=それぞれの時が満ち、ついに家が完成する。神様の私たちの救いに関してもそうである。先ずイエス様の初臨、聖霊降臨、イエス様の再臨、正確に言うなら、天地創造の初めから、各段階の時が満ち、そしてついに私たちは主にあって一つに集められるのです。

・「一つに集められる」:アナケファライウーマイ:「アナ」=「上に」一つに集められる。「完成する」という意味もある。

 これが救いのもう一つの片面です。神様が私たちをご自分の所に引き寄せ、そして私たちの救いを完成させようと、イエス様の十字架の贖いによって一つに集められるのです。これが救いの完成です。ところがこれが分からないと、「私たちは救われた。」と、コインの片面の自分のことだけで生きる者になってしまう。「神は私たちを一つに集め、救いを完成される。」というコインのもう片面の神様の御計画について関心を向けず、自分のことだけに関心を持つ者になってしまう。神様は私たち一人ひとりを一つに集めたいと願っておられる。そのために私たちを救って下さったのです。それが救いの全体です。イエス様はそのことに関して、ある喩えを話された。

ルカ14:16~24:「するとイエスはこう言われた。『ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。』と言わせた。ところが、みな同じように断り始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断りさせていただきます。』…。しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい者や、からだの不自由な者や、盲人や、足のなえた者たちをここに連れて来なさい。』しもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』 主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」

 「宴会の時刻になったので」=時至ったので、主人は予め招いていた人々を集めようとしもべを送った。ところが彼らは、自分の計画を優先させて、主人の計画を軽んじた。だからイエス様は、「あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。」(V24)と言われたのです。これは、救いを得ていた人が救いを失うということではない。この喩えは、神様の御計画によって救いの恵みを受けた者の、神様が救いを完成させようとされている今の時の、神様への間断ない従順の大切さを教えているものである。何故なら、私たちが神様のみこころに従順でなければ神様の救いの御計画は完成しないからです。

 イエス様はまた、神に従わないパリサイ人たちにこう言った。

ルカ13:34:「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。」

【結論】

 私たちは救われた者として、神のみこころを第一にし、神に従って行きましょう。そうして、神の御計画の成就に加わりましょう。

​​

―祈り―

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