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主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ネヘミヤ2:1~8

 

​【タイトル】

​ネヘミヤ(3)「ネヘミヤが仕える二人の王」

【本論】

V1:「アルタシャスタ王の第二十年のニサンの月に、王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。」

 「アルタシャスタ王の第二十年」とは445BCのこと。その「ニサンの月」とはヘブル暦(陰暦)で第一の月(太陽暦の3月~4月)。だからネヘミヤがエルサレムについての知らせを聞いた「キスレウの月」(V1)(第9の月、11月~12月)から数えて約3~4ヶ月経った時である。そのとき、「王の前に酒が出たとき、私は酒を取り上げ、それを王に差し上げた。」とある。彼は献酌官だったからである。献酌官というのは、酒が王にささげられる時、その酒の毒見をする者で、王のいのちに関わる真実を告げる者ということで王から高い信頼を受けていた。だから、「これまで、私は王の前でしおれたことはなかった。」と言う。「しおれる」と言うのは具合を悪くして顔色が悪くなっている状態である。だからもしそんな状態であれば王の命を守る大切な働きが出来ないから、彼はいつも健康管理をして「王の前でしおれたことはなかった。」のである。

 しかしこの時は違っていた。あの知らせを聞いてから3~4ヶ月の間、彼は荒れ果てたエルサレムの様子などを思い浮かべながら、きっと心が掻きむしられるような状態だっただろう。私たちも何かの問題を抱え、それもずっと解決されないままで心の中に抱えていたら、同じように心が萎れた状態になってしまう。ネヘミヤもそんな状態だった。だから、「そのとき、王は私に言った。『あなたは病気でもなさそうなのに、なぜ、そのように悲しい顔つきをしているのか。きっと心に悲しみがあるに違いない。』」(V2)と王は言ったという。そこでネヘミヤは「私はひどく恐れて」とあるように、彼は神に対して「ああ、主よ。…。どうぞ、きょう、…、この人(アルタシャスタ王)の前に、あわれみを受けさせてくださいますように。」(1:11)と祈っていたように、エルサレムの城壁再建を願っていたが、そのことを王に願い出ても果たして受け入れられるかどうかが分からないので恐れたが、彼は王の言葉を受け、彼の心の内を打ち明けたのである。

 信仰者ではあっても、人の心や先のことは見通せないので不安を覚えることがある。ネヘミヤもそうであった。しかし彼は確かにひどく恐れたが、彼は王に言ったのである。

V3:「王に言った。『王よ。いつまでも生きられますように。私の先祖の墓のある町が廃墟となり、その門が火で焼き尽くされているというのに、どうして悲しい顔をしないでおられましょうか。』」彼は心の中にある思いを王にぶつけるように言った。するとどうなったか?―「すると、王は私に言った。『では、あなたは何を願うのか。』」(V4)アルタシャスタ王はネヘミヤの思いを退けることなく受け入れ、その上で「では、あなたは何を願うのか。」と、ペルシャ帝国の王として尋ねた。これこそまさにネヘミヤが願っていたことだった。彼はその王の尋ねに答え、彼が3~4ヶ月の間、城壁が崩されたままでいることに心を痛めながら、いかにして城壁再建を行なおうかと心の中で描いていた計画を王に訴えた。それが、V5~V8aに記されている。

V5:城壁再建のためのエルサレムへの旅を許可してもらうこと。

V6:ここではネヘミヤがどの位の期間、城壁再建のためにエルサレムに留まることを願ったのかは記されていないが、結果的にはこの後ネヘミヤは

 12年間エルサレムになる。

V7:エルサレムまでの旅の安全確保を願った。

V8:城壁再建に必要な材料、そのためにエルサレムに住む家の建設のための材料確保の願い。

 ネヘミヤはこれらの願いを、その実現のために最も力がある当時の王であった、彼が献酌官として仕えていたアルタシャスタ王に願った。これが先ず、ネヘミヤが仕えた一人目の王である。

 

 しかし彼にはもう一人の王がいた。それは、「そこで私は、天の神に祈ってから」(V4)とあるように、ペルシャ帝国だけではなく、ペルシャ帝国を含め、全世界を、天地万物を治めておられる彼の神、イスラエルの王なる神である。だから彼はアルタシャスタ王が彼の願いを聞いてくれた時、彼はこう言っている。「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。」(V8b)と。ネヘミヤは、この世にあって献酌官としてはアルタシャスタ王に仕えていたが、ユダヤ人としては地上のどんな王よりも権威あるイスラエルの神がいかに恵み深いかを知って、その証しをしたのである

 私たちもそうである。私たちにも二人の王がいる。ひとりは私たちが生きているこの世の王のこと。王を権威・力・その存在と考えるならば、私たちがこの世に生きて行くために必要な空気、水、食物、また生きて行くために働く職場、そこでの関係等はすべて私たちにとってのこの世の王です。しかし霊的な意味では、私たちは神のもの、神に仕える者です。そして私たちの王は、私たちを贖われたイエス・キリストです。この方以外に私たちにとっての王はいない。たとえ体はこの世の王に支配されていても、私たちは、私たちのために死んで墓に葬られ、よみがえられて栄光の王座に着き、この世さえも王の王として治めてられるイエス・キリストが私たちの王なのです。私たちはこの王を私たちの王として、私たちの神として信じて従わなければならない。イエス様は言われた。「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」(マタイ6:24)と。ある時、イエス様の下にひとりの裕福な青年がやって来て、どうすれば永遠のいのちを得ることが出来るかと、イエス様に尋ねられた。

マタイ19:16~22:「すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。『先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。』イエスは彼に言われた。『なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方は、ひとりだけです。もし、いのちに入りたいと思うなら、戒めを守りなさい。』彼は『どの戒めですか。』と言った。そこで、イエスは言われた。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この青年はイエスに言った。『そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。』イエスは彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」

 私たちは神を王として神に仕え、富を王として富にも仕えることはできない。イエス様を王としてイエス様に仕え、この世を王としてこの世に仕えることは出来ないのです。もしこの世を私たちの王として仕えるなら、「(この世を王とする)罪から来る報酬は死」(ローマ6:23a)だからです。私たちには永遠のいのちはない。私たちとイエス様との間には何の関係もなくなる。しかし神を私たちの王として仕えるなら、「神のくださる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのち」だから、神は私たちに永遠のいのちを与えられるのです。(ローマ6:23b

【結論】

 今日、私たちはもう一度、自分の心を吟味してみよう。―あなたの王は誰ですか?何ですか?―あなたは誰をあなたの王にしていますか?何をあなたの王にしていますか?

―祈り―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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