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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

 ヨハネ19:26~27

 

​【タイトル】

十字架の上の主の7つの言葉(3)「そこに、あなたの息子がいます!そこに、あなたの母がいます!」

 

【導入】

 今年もいろいろな事件や出来事があった。令和天皇の即位、台風による被害、川崎で起きた登校時の小学生に対する殺傷事件、それに関連して起きたかのように報道されている元農林水産省事務次官による息子の殺害事件などです。ネット上では、この事件での元次官に対する同情を寄せる意見が多かったが、同じ家族内殺人事件でもあるのに全く正反対の意見が載っていたのが、昨年3月に目黒で起きた5歳女児の虐待死事件に対してであり、またその被告の父親に下された高裁の父親に対する懲役13年という判決に対するものです。この13年という刑期についてはいろいろな意見があるとは思うが、問題なのはこのような悲しい事件が最近は非常に多いということです。

 

 いつの時代でもこのような事件はあるとは思うが、2016年の法務省の犯罪白書によると、1955年をピークに殺人事件の件数は年々減少しているのに比べ、2004年を境に、家族間での事件がそうではない関係での件数を上回るようになり、2015年では60%近い件数になっていて、先進国の中でもダントツに高いと言われている。そこには日本特有の事情があるのだろうが、時代や洋の東西を問わず変わらないのが人間の心である。昨年召された著名なビリー・グラハム師の奥さんルースさんは、生前あるインタビューの中で次のように答えた。「あなたは、ご主人のグラハム師と別れたいと思ったことはあるか?」という質問に対し、「分かれたいと思ったことはなかったが、殺してしまいたいと思ったことはある。」という答えである。

 人にはこのように、拭いがたい感情―怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、憤懣やる方ない思い―というものを持つ。それはクリスチャンであっても、感情を持って生きている限りある。しかし、聖書はそのままであってはいけないと言う。

ヤコブ1:20:「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」と。また、

箴言17:22:「陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。」とも。

 「陽気な…」については説明は不要だろう。しかし「陰気な」と言うのは、単に雰囲気を言うのではなく、「神様からの心の責めを感じながらもそれに蓋をしようとするために、顔が曇ってくる状態を言う。そんな心は、「骨を枯らす」=心身ともに滅ぼすというのである。ダビデが罪を犯して、心に蓋をしているときがまさにそんな状態の時であり、ダビデはその時のことを次のように詩篇に残している。

詩篇32:3~4:「私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。」と。

 今日は、時にこのような陰気な心を持ってしまいやすい私たちであるので、いかにすればそのような状態から救われるのだろうか?について、ご一緒に聖書からメッセージを聞いて行きたい。

【本論】

 イエス様は架けられた十字架の上で、今まさに息が絶えようとする悶絶の中で、ガリラヤからずーっと付いて来た母のマリヤに、「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」(V26)と言い。弟子のヨハネに、「そこに、あなたの母がいます。」(V27)と言われた。この十字架の上でのイエス様の言葉に、私たちの自分の力ではどうすることも出来ない感情を処理し、私たちの罪を拭い去り、私たちを全く新しくし、雪のように白くする力があるのです。

 イエス様はある所で、御自身が地上に来られた目的をこう言われた。

マタイ10:34~35:「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。」

 「逆らわせる」とは、原語のギリシャ語では「ディカゾー」で、「分離する」という意味を持つ。イエス様はこの地上の家族関係を剣で切断し、バラバラにするために来たと言うのである。その理由は、この地上のすべての家族は、アダムとエバが犯した罪によって破壊され、今日私たちが見る家族間事件の最初の型であるカインとアベルの間における殺人事件が起こったように、本来の神様が造られた家族の関係を失ってしまっているため、それを一旦バラバラにし、そして再び作り直されなければならないからなのである。そのためにイエス様は来たと云われたのです。その再生の力がイエス様の十字架にあり、十字架の言葉がそれを為し遂げるのです。

 イエス様は、地上の関係においては家族ではないマリヤとヨハネを、御自身が架かられた十字架の贖いの力により、新しい罪のない家族の関係へと変えられた。それが、「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言う言葉であり、「そこに、あなたの母がいます。」と言う言葉である。イエス様は御自身の十字架のみわざによってヨハネとマリヤを、また私たち一人ひとりを神の家族の関係、キリストにあって本物の神の家族の関係、そしてすべての新しい人間関係へと変えてくださったのである。パウロはそのことをこのように言った。

ガラテヤ6:14~16:「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

※これが、キリストの十字架による救い、回復、贖い、新しい家族、人間関係の再創造です。

Ⅱコリント5:17:「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」と、聖書は言う。また、

黙示録21:5:「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」とイエス様は言われる。

【結論】

 今日、皆さんはいかがだろうか?―家族に対して、また誰か人に対して、顔を曇らせ、陰気な心でいることはないだろうか?―晴れ晴れとしてという心になっていないという人はいないだろうか?―もしいるのなら、先ほどのダビデの詩篇の言葉には続きがあって、そこには彼が実際にそんな苦しみから救われるために神に祈った言葉がある。その言葉を御一緒に神に向かって祈ろうではないか!

詩篇32:5:「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を【主】に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」

 そして、実際に祈った言葉が、詩篇51にある。

詩篇51:1~4:「神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。」

―祈り―

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