2020年10月18日(日)39周年記念礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書箇所】


ゼカリヤ4:6~7

【タイトル】

「教会は、神の霊によって」

【前置】

 今日は教会の39周年記念礼拝である。私たちの教会は39年前の

1981年、ちょうど今日と同じ10月18日に、三郷団地9―9-

104で第1回目の礼拝を持った。今日はその39周年を祝ってメッセージを語りたい。タイトルは「神の霊によって」。教会は神の霊によって建て上げられるのである。そのことをみことばから見て行きたいと思う。

【本論】

 この個所は、イスラエルの民がバビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還し、バビロンによって破壊されていた神殿の再建を開始したところ、神殿再建を反対するサマリヤ人たちの妨害にあって工事が中断されていた中で語られたみことばである。神様は、工事中断をしていたイスラエルの民に対し、もう一度工事に復帰させようと、預言者ハガイとゼカリヤを送って人々を励まし、再建工事に復帰させた。今日の個所のみことばは、その時のみことばの一つで、イスラエルの人々、特に指導監督する地位にあったゼルバベルへの神の言葉であった。Ⅴ6の括弧にある言葉、「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。」とある通りです。

 主は工事を中断していた人々、特に工事を指揮し、工事を完成させなければならなかった総督ゼルバベルに対して、ゼカリヤの口を通して預言の言葉を語ったのである。そこには、神殿工事に関する3つのメッセ―ジがあった。それは、今日の教会の形成に関わっている私たちに対するメッセージでもある。どんなメッセージだったのだろうか!

(1)教会の建設、教会の働きは神の霊による

 主はイスラエルの民に、ゼルバベルにこう言った。Ⅴ6:「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と。権力というのは、この世の指導的立場にある人の力、或いは組織の持つ力、また一つの国の政治力や軍事力と言った力を指す。能力というのは、この世の人々が持っている能力、それは理解力や発言力や指導力と言った知性に関わる能力をさす。つまり、神殿の再建、また、教会の形成、教会の働きは、この世の力やこの世の人が持っている能力によって行われて行くものではなく、神の霊、聖霊の力によって行われて行くものなのだということです。聖霊の力というのは、人格を持っておられる聖霊なる神様の力です。知性、感情、意思、そのすべてをもって働かれる神様の力です。イエス様はペンテコステの日に起きた出来事、教会の誕生が起きる前に、天の父なる神様のところに帰られる前に、弟子たちにこう言われた。

使徒1:8:「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

 「力」というのは、ただ単に人前で大胆にイエス様のことを証しする証しのための力ということだけではない。それもあるが、それだけではなく、私たちはその力を受けて「証人となります。」とあるように、知性、感情、意思を持った証人、人間になるということです。つまり、イエス様に対する正しい理解、また人に対する正しい理解、つまり知性と、救いの喜びや平安、また、人に対する愛や憐れみ、また不正や不義に対する怒りと言った聖なる感情を持ち、そして、どんなことがあってもイエス様と共に歩む、イエス様に従って行きますと言った意思を持って生きるのが、イエス様が「わたしの証人となります。」と言った「証人」なのです。そして、ペンテコステの日に、その聖霊の力を受けて誕生した教会なのです。

 だから、教会は神の霊によって建て上げられて行くのです。もしこの世の力、人の能力によって建てられて行くのなら、たとえそれがどんなに沢山の人が集まる教会であっても、それは神の教会ではない。それは人の教会であって、そこには聖霊様の力は働かれない。人の知性や感情や意思を見たり聞いたりすることは出来ても、聖霊様の働き、聖霊様の知性、感情、意思を見ることはできないのです。そのような教会は、神様が聖霊様を送って誕生させ、建て上げようと意図された、神様が望んでおられる、イエス様が望んでおられる教会とは言えないのです。しかし、気をつけないと教会はそのような教会になりやすい。私たちは神の国とその義を第一にする、神様中心の生き方ではなく、どうしても人間中心になりやすいからです。一つの例を見よう。

マタイ16:15~18:「イエスは彼らに言われた。『あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』シモン・ペテロが答えて言った。『あなたは、生ける神の御子キリストです。』するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。』」

 イエス様は、ペテロの「あなたは、生ける神の御子キリストです。」という告白は、人間によるものではなく、「天にいますわたしの父=神によるものである。」と言った。そして、Ⅴ18:「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」と、御自身の教会を「ペテロ/ペトロス=小石」ではなく、「岩=ぺトラ=岩盤であるイエス様御自身の上に建てます。」と言われた。つまりイエス様は、イエス様御自身が御自身の知性、感情、意思、力をもって御自身の教会を建てられると言われたのです。人の言葉、人の力によってではなく、神の力によって建てられると言われたのです。

 ところが、私たちは教会を、人間の力、自分たちの力で建てることが出来るようにと思ってしまい易いのです。先ほど言ったように、神様中心ではなく、私、私たち中心になり易いからです。その後、そのことがはっきりと分かる出来事があった。

マタイ16:21~23:「その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。『主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。』しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。『下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。』」

 この時ペテロは、恐らくイエス様の十字架と復活による教会建設の邪魔をしようと思ったわけではなく、イエス様が苦しみを受け、殺されるということを聞いたので、「そんなことは起こって欲しくない。」という思いもあったのだろう、Ⅴ22:「そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と、こともあろうに、たった今、Ⅴ16:「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と告白した同じ舌をもって、「神の御子キリスト」に向かっていさめ始めたのです。だからイエス様は、Ⅴ23:「下がれ、サタン。」と言い、「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と言われたのです。イエス様に対する信仰を告白しておきながら、イエス様が御自身の十字架と復活によって御自身の教会を建てると言ったイエス様の御計画に逆行することを言ったので、イエス様はこう言ったのです。

※ここに、私たち教会形成に携わる者にとって注意をしなければならないことがある。私たちは、どんな場合でも、人ではなく、神の御心を第一にしなければならないのです。何故なら、教会は人によってではなく、神によって建てられて行くものだからです。

※今日私たちは39周年を祝っている。もう一度、私たちは原点が何であったのかを確認し、新たに教会形成を進めて行こう。

(2)教会の建設、教会の働きは、神の恵みによる

Ⅴ7:「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出そう。」

 「大いなる山」とは、今まであった神殿再建工事に対するさまざまな妨害のこと。私たちの教会建設においてもさまざまな妨害がある。イエス様の教会建設を妨害するサタンが働いているからである。しかし、その山がどれほどの山であっても、主は、「大いなる山。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。」と言うのである。そして、「彼」=ゼルバベルでもあるし、ある聖書注解者は、これは神殿再建工事に携わる人々だとも言う。その理由は、「『恵みあれ。これに恵みあれ。』」と叫ぶ「叫び声」が「彼らの、人々の叫び声」と原語の聖書にはあるからだと言う。いずれにしても、神殿建設、教会建設は、主御自身が建てられるので、それは私たちにとっては、「神の恵み」です。だから、「恵みあれ。これ=神殿建設・教会建設に恵みあれ。」と言うのです。

(3)教会の建設、教会の働きは、一人で行なうものではなく、皆の協力によって行われるものである

 今言ったように、多くの人々が「『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運び出」したのです。「かしら石」とは、礎石。建物の中の一番大切な石です。だから「かしら石」と言う。そして、これは教会のかしらであるイエス様です。

※教会はこのようにして、建設に携わる私たち一人一人が協力して、「教会建設に、神の恵みがあるように!」と叫んで、建て上げて行こう。

―祈り―


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