2020年10月25日 主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】


ネヘミヤ7:5~6:


【タイトル】

ネヘミヤ記(13)「神に選ばれている人々」


【本論】

 ネヘミヤたちは城壁再建工事をするに当たり、外部からの妨害や内部からの問題が発生したりしたが、工事開始後52日後に工事を完了させることが出来た。しかし、エルサレムの町の状態は、まだ町としては未完成の状態だった。Ⅴ4を読んでみると、次のように書いてある。


Ⅴ4:「この町は広々としていて大きかったが、そのうちの住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。」

 エルサレムの町の大きさは以前も言ったが、東西約800~900m、南北約1km、従って面積は、約800,000~900,000m2。レイクタウンが約25万m2と言われているので、その約3.2~3.6倍の広さの町である。その町は、住む人も少なく、家もまだ十分建てられていなかったとある。エルサレムの町はスペースが十分にあり、閑散としていたのである。しかし、そうであっても城壁は完成したので、ネヘミヤは総督として次の仕事に取り掛かった。しかしそれは、彼自らがそうしようと思ったわけではなく、Ⅴ5:「私の神は、私の心を動かして」とあるように、神様が彼の心を動かして、その仕事に取り掛からせたのです。その仕事とは、おもだった人々(身分のある人々)や、代表者たち(首長や指導者たち)、民衆を集めて、彼らの系図を記載することだった。この系図を記載すると言うことは、新たな系図を作るということではなく、系図に基づいて、まだ閑散としているエルサレムの町に住む人々の住民登録をするという意味です。実は、このⅤ5の前のⅤ4は、内容的には11章以降につながっていて、11章以降では、ユダヤ地方に住む人々の中のある人々を、エルサレムの町に移り住まわせたことが記されている。どのように人々を選んで、どのような人々が移り住んだのか、11章を少し見てみよう。


ネヘミヤ11:1~4b:「民のつかさたちはエルサレムに住んでいたが、ほかの民は、くじを引いて、十人のうちからひとりずつ、聖なる都エルサレムに来て住むようにし、あとの九人をほかの町々に住まわせた。すると民は、自分から進んでエルサレムに住もうとする人々をみな、祝福した。エルサレムに住んだこの州のかしらたちは次のとおりである。ユダの町々には、イスラエル人、祭司、レビ人、宮に仕えるしもべたち、ソロモンのしもべたちの子孫が、それぞれ、自分たちの町々の自分の所有地に住んだ。ユダ族とベニヤミン族のうちのある者は、エルサレムに住んだ。すなわち、ユダ族では、ウジヤの子アタヤであった。このウジヤは…。」


 このように、ユダヤ地方全域に広がって住んでいる人々の中から、ある人たちはエルサレムに来て、移り住んだのです。その移住を進めるために、神様はネヘミヤの心を動かして、ユダヤ地方に住む人々の家系から、エルサレムに住む人々の住民登録をさせようとしたわけです。


 先日日本でも国勢調査が行われたが、この時神様はネヘミヤの心を動かして、エルサレムへの移住を進めさせるために、ユダヤ地方に住む人たちがどのような部族の人たちで、どのような職業に就いている者たちなのか、その家系ごとに調べさせようとした。ところが幸いなことに、ネヘミヤは それらのことが既に記されている系図を発見したのです。その系図は、Ⅴ5:「私は最初に上って来た人々の系図を発見し」とあるように、この時からおよそ90年前のBC539年に、ペルシャのクロス王によってバビロン捕囚から解放され、エルサレムの神殿を再建するように、総督ゼルバベル、祭司ヨシュアに率いられてエルサレムに帰還した人々のものだった。そして、Ⅴ5:「その中に次のように書かれているのを見つけた。」とあるように、ネヘミヤはその人々の名前や部族名、職業などを見ることが出来たのです。具体的には、それらはⅤ7~Ⅴ72に記されている。今日は時間の都合で全部を見ることが出来ないが、一部を見てみると、例えば、


Ⅴ7~Ⅴ10:「ゼルバベルといっしょに帰って来た者は、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイ、ネフム、バアナ。イスラエルの民の人数は次のとおりである。パルオシュ族、二千百七十二名。シェファテヤ族、三百七十二名。アラフ族、六百五十二名。」また、Ⅴ39:「祭司は、ヨシュアの家のエダヤ族、九百七十三名。」、Ⅴ44:「歌うたいは、アサフ族、百四十八名。」、Ⅴ45:「門衛は、シャルム族、アテル族、タルモン族、アクブ族、ハティタ族、ショバイ族、百三十八名。」と言うように、ユダヤ地方に住む人々の名前や部族名、職業など、彼らの系図が明らかになった。そして、全集団の合計として、Ⅴ66にあるように、42,360名の人々がユダヤ地方に住んでいることが確認されたのです。そして、その中の何人かが、11章にあるように、自らエルサレムに移り住んだ。


 このように見ると、エルサレムの城内に住むことになった人々は偶然ではなく、この時から遡って、約90年前にエルサレムに帰還した人々の系図が作られ、それが残されていて、それが発見されたことにより、それに基づいて住民登録が行われたので、そこに、神様のエルサレム再建に対する変わることのない御計画のあったことが明らかに分かる。神様にとって、エルサレムの再建は偶然ではなく、必然的なことだった。だから、言い方を変えるならば、エルサレムに住むことになった彼らは、この時のために、神様のみこころに従って選ばれた人々だったのです。


※「神様によって選ばれる」ということは特別なこと。それは神様の特別な恵み、恩恵ともいうべきものです。その選び、特別な恵み、恩恵について、聖書は次のように言っている。


申命記7:7~8:「【主】があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、【主】があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、【主】は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたを贖い出された。」


 これはユダヤ人に対する選びのこと。今日の私たちに対しては、ヨハネ15:16:「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」だから神様は、御自分の選びの民に対して、その恩恵を覚えて、選びの中に留まるように求めている。このことは本当に重要です。そのことを教えている一つのイエス様の譬え話をみよう。


マタイ22:2~14:「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ宴会にお出かけください。」』ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」


 これは、選ばれた民でありながら、メシヤとして来られたイエス様を信じようとしない、心を頑なにしたユダヤ人に対して、イエス様を信じることの大切さを語られたイエス様の譬え話だが、これはユダヤ人に関することだけではなく、私たちに関することでもある。何故なら、私たちも神様の一方的な恵み、恩恵によって救いに選ばれているからです。だから私たちは選ばれた者として、その選びに相応しい衣を着て、また、マタイ25:1~12の譬えでも語られているように、油をしっかりと持って、衣も油も、救いの衣であり救いの油である。これらを失わずに、私たちはイエス様の再臨まで、私たちの信仰生活を送らなければならないのです。でなければ、婚礼の服を着ないでいたために婚礼の祝宴から追い出された男のように、また、灯は持っていても、油を持っていなかったあの愚かな娘のように、婚礼の祝宴に預かることは出来ないのです。婚礼の祝宴とは、私たちにとってのエルサレム、黙示21:2では「新しいエルサレム」と言われている天の御国、イエス様を私たちの主とする、イエス様との関係です。


【結論】

 私たちの救いは、教会に来ているから、聖書を読んでいるから、誰かが祈っているから、イエス様との関係をそのまま持ち続けられるわけではない。また、罪人の祈り、救いの祈りを1度したからと言って、天の御国に救い入れられるわけではない。私たちが永遠の滅びを免れて、永遠のいのちを持って新しいエルサレムに入るためには、イエス様との永遠の関係の中に留まり続けなければならない。それは、婚礼の礼服、救いの衣を着続けること、灯の油、救いの油を保ち続けることです。それが、神に選ばれた者、神に覚えられている者の姿です。


ネヘミヤ7:72a:「こうして、祭司、レビ人、門衛、歌うたい、民のある者たち、宮に仕えるしもべたち、および、すべてのイスラエル人は、自分たちのもとの町々に住みついた。」


 私たちも、かつては罪を犯す前は神様との永遠の関係の中にいた。しかし、私たちは罪を犯したため神様との永遠の関係、天の御国を失ってしまった(ローマ3:23)。しかしイエス様の贖いにより、私たちはそれを回復したのです。「自分たちのもとの町々に住みついた」のです。だから、決してその関係を失わないようにしよう。神の救い、選びを失わないようにしよう。


―祈り―

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