Please reload

これまでのメッセージ

感謝主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

December 29, 2019

【聖書個所】

  ヨハネハネ15:5 

【タイトル】

 実を結ばせて下さる神に感謝!

 

【導入】

 このみことばは今年の年間聖句であり、このみことばが語るように、わたしたちは皆一人ひとり、また教会としても、主であるイエス様にとどまっているなら、豊かな実を結ぶというのです。この「とどまる」という言葉は、抄訳聖書で「生命的結合」という言葉が使われているように、それは単に外見的につながっているということではなく、生きたつながりを持っているということである。私たちで言うならば、ただ「私はクリスチャンです。教会に通っています。日曜礼拝に行っています。」ということだけでなく、絶えず、教会のかしらであるイエス様とつながっていて、ぶどうの木と枝の境が判別がつかないように、私たちはあたかもイエス様のように考え、イエス様のように行動し、イエス様のように生きるということです。

 今日は、そのようにしてイエス様にとどまり、イエス様と共に過ごして来たこの1年を振り返りながら、私たちに結ばれた実、未だ残念ながら結ばれていない実、そしてこれから結ばれるだろおう実について一緒にみことばから考えて行きたいと思う。そして、今日のメッセージのタイトルにあるように、神様に感謝をささげて行きたいと思う。

【本論】

 この一年、神様が私たちに結ばせて下さった実にはどんな実があるでしょう?先ず第一に「信仰の実」です。次に「祈りの実」、そして最後に「宣教の実」です。

(1)信仰の実

 「えっ、信仰って実ですか?」と思われるかもしれないが、信仰はつながっていることだけではなく、その結果として結ばれる実も信仰です。次のみことばを見てみよう。それぞれのみことばは、下線と括弧のように言い換えられるだろう。

ヨハネ15:1~3:「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないもの(結ばない枝)はみな、父がそれを取り除き、実を結ぶもの(実を結ぶ枝)はみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです(実を結ぶ枝になっています、もっともっと多くの実を結ぶ枝になっています)という。」

 

 農夫である神様がぶどうの木の世話をし、実を結ばない枝は取り除き、実を結ぶ枝は刈り込みをするという。それはその枝が成長し、もっと多くの実を結ぶようになるためだという。

 

◎私たちはどうだろう?―「ああ確かに前と比べると自分の信仰は成長している。前より神様のことが分かり、信じることが出来るようになった。また、以前よりみことばが分かるようになり、神様と生きた交わりを持つことが出来るようになった。」と言えるのではないだろうか?いろいろな試練や試みがあって信仰生活を送ることは容易なことではないが、みことばの約束にしがみつきながら、祈り叫びながらそれを通り抜けると、感謝とともに、私たちにはより一層、神様に対する信仰の実が結ばれているのではないだろうか。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(へブル11:1)というが、そのように、確かに共にいて導いて下さる神様に対する信仰が成長しているのを、私たちは知ることが出来るのではないだろうか!

 

 それは、信仰が成長しているからです。信仰の実が結ばれているからです。だから、神様に感謝しよう。そして賛美しよう。

(2)祈りの実

ヨハネ15:7:「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」

 今年一年、私たちは一人ひとりどのような祈りが叶えられただろう。もう一度それを思い起し、神様に感謝をささげよう。しかし、中にはまだ実が結ばれていない人がいるかもしれない。その場合、私たちはもう一度みことばに帰ってみよう。みことばは何と言っているか?―「…、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら」と言っている。これは何のことか?―みことばであるイエス様に対する従順です。私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって神の子となる。それは聖書が言っていること。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。」(ガラテヤ3:26)しかし同時に聖書は、「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」(ローマ8:14)とも言う。つまり、御霊に従わなければ、祈り求めるものは叶えられないというのです。神様は決してみこころにはないことは行われない。

Ⅰヨハネ5:14:「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」

 「叶う」という字を見てみよう。それは、十字架に一致することを願う(口にする)ならば叶うということです。だから主に従い、主のみこころを求めて祈ろう。必ずそのようになる。

(3)宣教の実、救霊の実

ヨハネ15:16:「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」

 この実は、「あなたがたが行って」とあるように、イエス様の宣教命令によって出て行って、そして結ぶ宣教の実、救霊の実のことである。この点では、私たちは未だ多くの実を結んでいない。私たちはもっと実を結ぶ者でありたいと思う。しかしこの宣教の実でさえ、私たちが頑張って結ぶ実ではない。この実も、私たちがイエス様にとどまり、従順につながり続け、そしてイエス様も私たちにとどまっているなら、イエス様御自身が私たちに結ばせて下さる実なのです。

 イエス様は「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われた。しかしイエス様はただ口で命令するだけではなく、もし私たちがそのみことばに従って出て行くならば、イエス様御自身も共に出て行って下さり、共に働いて下さり、そして、私たちに宣教の実、救霊の実を結ばせて下さるのです。

マルコ16:20:「そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。」

北陸のある婦人牧師の話:仏教の力の強い北陸で、信仰を持ち、結婚したこの婦人牧師は、親族からも夫からも、信仰を捨てるようにと過酷な迫害を受けた。しかしそれでも信仰を捨てなかったこの牧師は、最後には(現在は、夫以外は)親族の殆どが信仰を持ち、そして、実の母も含めてその多くが天に召されて行った。それは、イエス様にとどまり続け、従い続けて(イエス様もとどまり続けて)下さったからである。

【結論】

 私たちの信仰の実も、祈りの実も、宣教の実も、結局は私たちがどれだけイエス様にとどまり、従い続けるかです。何があってもイエス様にとどまり従い続けるかです。2020年も、このイエス様にしっかりとつながり、従い、豊かに実を結ばせていただこう!

―祈り―

Share on Facebook
Share on Twitter
Please reload

© 2015-2020 by Sunrise Christian Center Misato Yoshikawa Church

大きな幻を持ち、小さいことにも忠実に、・・・主の愛に生きる教会

 Big enough to vision and small enough to care, ...living in the love of our Lord.

  • Twitter Social Icon
  • c-facebook
This site was designed with the
.com
website builder. Create your website today.
Start Now