主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【聖書箇所】

Ⅱペテロ3:11、Ⅰテモテ6:6~12a

【タイトル】

「満ち足りた心を伴う敬虔」

【本論】

 先ず、Ⅱペテロ3:11のみことばは今年の教会の年間聖句で、私たちはイエス様の贖いによって「聖い生き方をする敬虔な人」になったので、そのような者として私たちは生きていかなければならないのだということを年頭のメッセージで語った。特に、主の再臨に伴う裁きの時には、すべてのものは火で焼く尽くされ、崩れ落ちてしまうので、それらのものにすがらず、終わりの日が来ても、決して焼き尽くされることがなく、崩れ落ちることのないものにすがらなければならないのだということを語って来た。

 今日はもう一度その焼く尽くされることのないもの、崩れ落ちることのないものとは何かを思い出しながら、今、私たちは新型コレラウィルスの脅威に晒されて生きているが、この脅威に脅かされることなく生きて行く生き方を聖書から探って行きたい。結論を言う。それは「満ち足りる心を伴う敬虔さを持って生きる。」ということである。

Ⅰテモテ6:6:「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」

聖書は明確に、「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」と言う。「敬虔」とは、「神らしさ」とか、「神を神として、神を第一にして生きて行くという生き方のことである。」と言った。だから、私たちは神を神として、神を第一にして生きて行くならば、大きな利益を受けることが出来るのです。では、その大きな利益とは何か?―それは次の個所にある。

Ⅰテモテ6:7~12a:「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。」

 大きな利益とは、「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」(Ⅴ7)とあるように、この世にあるものではない。また、「衣食があれば、それで満足すべきです。」(Ⅴ8)とあるように、衣食でもないことが分かる。また大きな利益とは、「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(Ⅴ9~Ⅴ10)とあるように、金銭でもないことが分かる。

 では、大きな利益とは何か?―それは、「しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。」(Ⅴ11~Ⅴ12a)とあるように、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求め、そして信仰の戦いを勇敢に戦った結果獲得することが出来る「永遠のいのち」です。

 パウロは弟子のテモテに対し、また今日この聖書を読む私たちに対して、この終わりの時代になると、敬虔そうにしているが、実際は得するために敬虔ぶり、そしてただ衣食があれば満足ですというのではなく、それ以上に金持ちになりたがる人たちがいるので、警告するためにこの手紙を書いた。そして重要なことは、そのような人たちというのは、まだクリスチャンになっていない人たちのことではなく、それならばある意味当然だが、そうではなくて、クリスチャンになっている人たちの中でそのような人たちがいるというので、パウロはテモテに警告をしているのである。パウロは、そういう人たちは最終的には、「ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。」(Ⅴ10)と言っているのです。

 ここで言われている「金」は、文字通り金銭のことではあるが、お金に匹敵するさまざまなこの世で価値あるとされているものでもある。例えば、美貌や若さ、また学歴、また健康というものである。人々は美貌や若さを保つために、学歴を得るために、健康を維持増進するためにお金を使う。美貌や若さを求めること、学歴を求めること、健康に気を配ること、それらは悪いことではない。しかし聖書は言う。もしそれらが神様以上に大切なものになってしまうのならば、最後はそれらを失って、非常な苦痛をもって自分を刺し通すことになるというのである。しかし、「これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。そして、信仰の戦いを勇敢に戦って、永遠のいのちを獲得しなさい。」(Ⅴ11~Ⅴ12a)と言うのです。

◎では、どのように信仰の戦いを戦えば良いのだろうか?

マタイ6:24~25、31~33:「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。」

マタイ6:31~33:「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

 神の国とその義を求めなさいというのです。義とは、イエス様との正しい関係を言う。それを第一に求めて生きて行くなら、「永遠のいのち」を得、健康も、お金も、美貌も、若さも、それに加えてみな与えられるというのです。第一にする順番が大切なのである。

マタイ16:25~26:「いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」

「愚かな金持ち」の譬え話が聖書(ルカ12:16~21)にある。そこでの結論は、「だから、神の前に富む者となりなさい。」(Ⅴ21)と言うことだが、この「神の前に富む」ということが、「満ち足りる心を伴う敬虔」ということである。神の前に、神の国とその義をもって生き、神の前に永遠のいのちをいただいて生きることが大切なのである。

【結論】

 聖書は、この終わりの時代には、今私たちが直面しているような新型コロナウィルスによるような病気とか、天災地変、また戦争が起きるのではないかと言うような脅威があると言う。そして私たちの健康や命が脅かされるようなことが起きると言う。しかし聖書は、何があっても、何もなくても、神の前に富む者となり、満ち足りる心が伴う敬虔さを持って生きろと言うのです。例え、美貌も若さも、また健康も、お金も、何もなくても、或いはそれらすべてを失っても、神の国と義が第一にして生きていれば、永遠のいのちが与えられているので、もうそれだけで十分だということです。何故なら、それ以外のものは何一つこの世を去る時には持って出ることができないからであり、それらを第一にするなら、この世を去る時、永遠のいのちを失うことになるからです。だから、私たちはどんな時でも、いつも神の前に富んでいる者、満ち足りた心を伴う敬虔さを持って生きて行く者であろう。

―祈り―

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