主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【聖書個所】

伝道者3:11:「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」

【タイトル】

「“まさか”を支配される私たちの神」

【序論】

 今、毎日コロナウィルスについてのニュースが流れる。私たちは新年を迎えるとき、まさかこんなことが起ころうとは誰も思ってもいなかっただろう。私たちの人生には、このように「まさか」と思うような出来事が起こるのである。それはよい意味でも、また悪い意味でもです。どうしてだろうか。それは、今日の聖書箇所にあるように、「神のなさることは、すべて時にかなって美しいが、また、神は人の心に永遠への思いを与えられたが、私たちはその神様が行われるみわざをすべて完全にみきわめることが出来ないから」です。人は、それが私たちにとって良いことであろうと悪いことであろうと、その起こることの初めも終わりも、それがいつ起きるのか、いつ終わるのか、何故そのことが起きるのか、何のためにそのことが起きたのか、そのような、私たちの周りで起きるすべてのことについて私たちは何も完全には分からないからです。

しかし、一つだけ分かることがある。それは、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい、完全である、素晴らしい。」ということです。だから今、私たちはどうして神様がこのコロナウィルスの脅威を私たちに許されているのかどうか、その理由、目的、意味のすべては分からないが、それは神様の美しいみわざ、素晴らしいみわざであることを先ずしっかりと受け留めたいと思う。そして聖書の中から、私たちと同じような体験した一人の人物を見て、その理由を見出して行きたいと思う。その人とは、同族ユダヤ民族を滅ぼそうと企んだハマンを滅ぼし、その危機から救ったエステルです。先ずその概略を宣べている箇所を読みながら、その前後の話を加え、最後に、何がそのような危機からの救いをもたらしたものかを見たいと思う。

【本論】

エステル9:20~32:「モルデカイは、これらのことを書いて、アハシュエロス王のすべての州の、近い所や、遠い所にいるユダヤ人全部に手紙を送った。それは、ユダヤ人が毎年アダルの月の十四日と十五日を、自分たちの敵を除いて休みを得た日、悲しみが喜びに、喪の日が祝日に変わった月として、祝宴と喜びの日、互いにごちそうを贈り、貧しい者に贈り物をする日と定めるためであった。ユダヤ人は、すでに守り始めていたことを、モルデカイが彼らに書き送ったとおりに実行した。なぜなら、アガグ人ハメダタの子で、全ユダヤ人を迫害する者ハマンが、ユダヤ人を滅ぼそうとたくらんで、プル、すなわちくじを投げ、彼らをかき乱し、滅ぼそうとしたが、そのことが、王の耳に入ると、王は書簡で命じ、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪い計略をハマンの頭上に返し、彼とその子らを柱にかけたからである。こういうわけで、ユダヤ人はプルの名を取って、これらの日をプリムと呼んだ。こうして、この書簡のすべてのことばにより、また、このことについて彼らが見たこと、また彼らに起こったことにより、ユダヤ人は、彼らと、その子孫、および彼らにつく者たちがその文書のとおり、毎年定まった時期に、この両日を守って、これを廃止してはならないと定め、これを実行することにした。また、この両日は、代々にわたり、すべての家族、諸州、町々においても記念され、祝われなければならないとし、これらのプリムの日が、ユダヤ人の間で廃止されることがなく、この記念が彼らの子孫の中でとだえてしまわないようにした。アビハイルの娘である王妃エステルと、ユダヤ人モルデカイは、プリムについてのこの第二の書簡を確かなものとするために、いっさいの権威をもって書いた。この手紙は、平和と誠実のことばをもって、アハシュエロスの王国の百二十七州にいるすべてのユダヤ人に送られ、ユダヤ人モルデカイと王妃エステルがユダヤ人に命じたとおり、また、ユダヤ人が自分たちとその子孫のために断食と哀悼に関して定めたとおり、このプリムの両日を定まった時期に守るようにした。エステルの命令は、このプリムのことを規定し、それは書物にしるされた。」

※ここに、「プリムの祭り」の起源が記されている。「プリムの祭り」は、ユダヤ暦のアダルの月(12番目の月)の14日と15日、私たちの暦では、2月26日から始まったので、今週の10日と11日に当たる2日間の祭りである。ユダヤ人たちがこの祭りを祝うのは、自分の民族をハマンの手から救ったモルデカイとエステル、特にエステルの捨て身の信仰と断食と祈り、そして、それに答えてユダヤ民族の危機を好機に変え、ユダヤ民族を滅ぼそうと企んだ敵のハマンを滅ぼして下さった神の好意を覚えての祭りである。