主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ヨハネ16:33:「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、

あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世に

あっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに

世に勝ったのです。」

【タイトル】

「しかし、勇敢でありなさい。」

【前置】

 今日はこの個所から、今日私たちが直面している大変な状況の中で、聖書は何を私たちに語っているか、そのメッセージを受け取って行きたい。

【本論】

 聖書は、私たちが今直面しているような状況、それを患難という言葉で表現している。抄訳聖書では、試練、困苦、挫折という言葉で説明されている。聖書は、そのような患難は今の世にあって私たちには「あるのだ!」ということがはっきりと語られている。コロナウィルスに感染するのではないかという恐れ、その果ては死に対する恐れ、こんな状態がいつまで続くのかという不安、日本の国の経済や私たちの生活に対するダメージ、そんな中での精神的なストレスや困苦というものはあって欲しくないが、しかし、「あるのだ」ということが語られている。しかし一方聖書は、私たちに対して「しかし、勇敢でありなさい。」と言う。ここに第一のポイントがある。

(1)世にあっては患難がある。しかし、勇敢でありなさい。

 この「世にあっては患難がある。しかし、勇敢でありなさい。」とはどういうことか?私たちはイエス様を信じているから患難にあわない、コロナウィルスにも罹ることはないと勇敢に思えということではなく、「あなたがたは、世にあっては患難があります。」と言っているのだから、クリスチャンでも患難にあう。しかし仮令あっても、「しかし、勇敢でありなさい。」と言うのです。

 この「勇敢でありなさい。」は、抄訳聖書では「元気でいなさい。勇気を出しなさい。堅く信じ、確信を持ち、臆せずにいなさい。」となっており、原語のギリシャ語では、「サルソー」という言葉で、「しっかりしなさい。勇気を出しなさい。自信をもって喜んでいなさい。」ということです。 だから、まとめるなら、「恐れないで、大丈夫だから、心配しないで、確信をもって、信仰を保ちなさい。」ということである。

 ここで、この患難と重なる、イエス様の再臨に伴う終わりの時代の最終的な患難について語られたイエス様の言葉を見てみたい。

マタイ24:1~13:「…。『お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。』そこで、イエスは彼らに答えて言われた。…。また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。(ルカ21:11では、「疫病」が加わっている。)しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。…。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。』」