主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【聖書個所】

Ⅱペテロ3:10~11:

【タイトル】

「終わりの時代の敬虔な生き方(5)―今日一日を喜ぼう―」

【序論】

 今日も「聖い生き方をする敬虔な人」というテーマでみことばを取り次ぐが、この個所には、終末の時代に生きるクリスチャン、特に今私たちが直面しているコロナウィルスによるさまざまな問題(感染への、感染させてしまうのではないかという恐れや不安、死への恐れ、そして、いつまでこのように状態が続くのだろうか、そこから来る経済的な問題など)があるが、それらの中でどんな風に生きて行ったらよいのだろうかということに対する解答が明確に語られている。

 「天の万象、地と地のいろいろなわざ」、つまり、この世のすべての事物は、主の再臨とそれに続くこの世の終わりが来ると、すべてが焼き尽くされる。だから「あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。」と言われているように、「聖い生き方をする敬虔な人であること」がその答えである。ではそれは具体的にはどういうことなのだろうか。今日のもう一つの主題聖句、マタイ24:42~44から分かち合って行きたい。

マタイ24:42~44:「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。」

【本論】

 ここで語られていることは、主の再臨はちょうど泥棒がいつ来るか分からないように、いつになるかは分からない。だから、「いつ来てもよいように目をさましていなさい。用心していなさい。準備していなさい。」と言うのが、ここのメッセ―ジです。

 ホザナ吉川チャペルの鄭尊宇師が韓国の派遣教会に訪問した時の話。鄭先生が事前通知もなく訪問すると、顔見知りの兄姉がやって来て、「鄭先生、いつ韓国に来たんですか?前もって分かっていたら、鄭先生の好きな料理を沢山作ってお迎えしたのに!」と言われたそう。そう、私たちは前もって何が起こるか分かっていたら、その準備をして備えることが出来るのです。ここでは主の再臨のことについて言っているが、主の再臨にしても、今回私たちが直面しているこのコロナウィルスの問題に対しても、もし「いつ起きる」ということが予め分かっていたら、起きることを防げなくても、十分な準備をして迎えることが出来、パンデミックになることだけは防げたかもしれないのです。だから、この終わりの時代に私たちに求められている敬虔な生き方と言うのは、いつその日が来ても良いように生きることである。言い換えるなら、いつ終わりの日が来ても大丈夫という生き方を、今日することなのです。では具体的にどういう生き方があるのか、3つのポイントで。

(1)明日のことは心配しないで、今日を生きるということ。

マタイ6:29~34:「しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなた