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これまでのメッセージ

主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

 ハレルヤ!今日もまた、皆さんと御一緒に礼拝出来ることを感謝します。コロナウィルスの状況は依然私たちの願っているような方向には仲々進んで行かず、まだ厳しい状況の中にあるが、必ず収束の時が来ることを信じ、祈って行きましょう。

 

【聖書個所】

​ネヘミヤ4:1~6

 

​【タイトル】

​ネヘミヤ記(7)「再建工事妨害に対する心構え①」

【序論】

 私たちは人生のいろいろな局面において、しばしば思い通りに事が進んで行かないことがある。それをここでは妨害と言っているが、私たちの手に負えない原因、例えば自然災害や今回のようなコロナウィルスによる問題、また、明らかに人災的なことなど、防ぎえない試練や困難と言うものがある。そういう場合、私たちはどうしたらよいだろうか。今日はこの個所から、ネヘミヤたちがそれらの妨害に対してどのように対処したのか、そこから学んで行きたいと思う。

【本論】

V1~Ⅴ3:「サヌバラテは私たちが城壁を修復していることを聞くと、怒り、また非常に憤慨して、ユダヤ人たちをあざけった。彼はその同胞と、サマリヤの有力者たちの前で言った。『この哀れなユダヤ人たちは、いったい何をしているのか。あれを修復して、いけにえをささげようとするのか。一日で仕上げようとするのか。焼けてしまった石をちりあくたの山から生き返らせようとするのか。』彼のそばにいたアモン人トビヤもまた、『彼らの建て直している城壁なら、一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。』と言った。」

 この4章は時間的には2章からつながっている個所だと言われている。それは、2章の終わりの個所で、このサヌバラテを始めとして、この後出て来るアモン人トビヤやアラビヤ人たちが、ユダヤ人たちが城壁の再建工事をすることを快く思わないことが語られているからです。

ネヘミヤ2:19:「ところが、ホロン人サヌバラテと、アモン人で役人のトビヤ、および、アラブ人ゲシェムは、これを聞いて、私たちをあざけり、私たちをさげすんで言った。『おまえたちのしているこのことは何だ。おまえたちは王に反逆しようとしているのか。』」

 どうして彼らは反対したのか。それはネヘミヤがここに来る前まで、彼らはこの地でさまざまな利権を獲得していたが、ネヘミヤたちの城壁再建により、彼らの利権が脅かされるので、彼らは快く思わなかったのです。ところが、再建工事はペルシャの王の知るところであり、彼らは公然と反対出来ず、何とか工事が進んで行かないようにと、ネヘミヤたちの意気を挫くような非難や蔑みの言葉をぶつけることしか出来なかったのです。それらは私たちの場合にもよくあることで、人は正しく何かを行ない得ないと、妬みや偏見、意地悪い心をもって非難したり、蔑んだりするものです。そのような時、私たちはどうしたらよいのだろうか?!それは、祈りです。

V4~V5:「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎を赦すことなく、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らは建て直す者たちを侮辱したからです。」

 私たちは非難や意地悪い言葉を浴びせられる時、相手に対して同じような反応、つまり報復をしてしまいがちです。或いは黙して我慢してしまいがちです。しかし、それでは何も解決しません。神様は私たちに対して、御自分の子供としてどんなことでも訴えて良いと願っているのです。何故なら、私たちは神の子供だからです。このネヘミヤの祈りをもう一度見てみよう。

V4~V5:「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。彼らのそしりを彼らの頭に返し、彼らが捕囚の地でかすめ奪われるようにしてください。彼らの咎を赦すことなく、彼らの罪を御前からぬぐい去らないでください。彼らは建て直す者たちを侮辱したからです。」

 ちょうど、子供が喧嘩をして泣かされた後、お父さんやお母さんの所に行って、その鬱憤を返すかのように訴える祈りです。ダビデもある時、こんな祈りをしました。

詩篇109:1~5:「私の賛美する神よ。黙っていないでください。彼らは邪悪な口と、欺きの口を、私に向けて開き、偽りの舌をもって、私に語ったからです。彼らはまた、憎しみのことばで私を取り囲み、ゆえもなく私と戦いました。彼らは、私の愛への報いとして私をなじります。私は祈るばかりです。彼らは、善にかえて悪を、私の愛にかえて憎しみを、私に報いました。」

 これは「呪いの詩篇」と言われている詩篇です。この時の状況がどういう状況だったのか分からないが、この時彼は直接呪う者たちに報いを返すことはせず、代わりに神に訴えたのです。「どうか、悪者を彼に遣わしてください。なじる者が彼の右に立つようにしてください。彼がさばかれるとき、彼は罪ある者とされ、その祈りが罪となりますように。」(V6~Ⅴ7)と、自分が受けた受けた呪いを彼らに返して下さいと祈ったのである。それは、不義や不正に対して報いをするのは人ではなく、神だけがそれをすることが出来ると知っていたからです。

 ローマ書にはこうあります。「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』」(ローマ12:19

 

 この「神の怒りに任せなさい。」とは、「神の怒りに場所を開けなさい。」という言う意味です。ですから、もし私たちが報復するなら、本来それをすべき神様の場所を私たちが取ってしまうということになります。だからダビデは、またネヘミヤもそれをしないで、神に委ねたのです。そして、「こうして、私たちは城壁を建て直し、城壁はみな、その高さの半分まで継ぎ合わされた。民に働く気があったからである。」(V6)とあるように、ネヘミヤも民もそのような妨害に惑わされず、やるべきことに集中して行ったのです。

【結論】

 私たちも主にある民として、ネヘミヤのように城壁の再建=教会形成の使命が与えられている。今はコロナウィルスのためにその働きが妨げられているように思うかもしれないが、だからと言って、それが出来ないわけではない。神は、このように言います。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)、また、「ただ一つ。キリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、また離れているにしても、私はあなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにしてしっかりと立ち、心を一つにして福音の信仰のために、ともに奮闘しており、また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。」(ピリピ1:27~30)と。

 

 私たちは幸いにして、一つ場所に集まらなくても、霊に在って一つになることが出来ます。電話やネットを通して近況を分かち合ったり、祈りを分かち合ったりすることが出来ます。互いの重荷を負い合うことが出来ます。むしろこういう時だからこそ、じっくりとそれが出来るでしょう。だからこれからも、何かあれば、先ず神様に祈り、そして互いに重荷を分け合って、私たちの城壁再建工事=教会の形成、キリストのからだの建て上げ、御国の建設のために励まし合って行こう。私たちにも「働く気」はあるからです。

Ⅰペテロ5:5c、7:「みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(ペテロはここで互いの間の謙遜を教え)「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

―祈り―

 

 

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