主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ヨハネ14:6:「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」

【タイトル】

「道なるイエス様に仕える道」

【導入】

 今、こういう状況のために休んでいるが、毎月、吉川でも行っているように杉戸でも地域牧師会を開いている。そこには近隣から5つの教会の牧師先生が、ある教会はご夫婦で参加して下さっている。その中の一つの教会に、日本キリスト教団和戸教会という教会がある。東武伊勢崎線の東武動物公園駅から一つ目の「和戸駅」の近くにある教会です。この教会は、埼玉県で一番古い教会で、今年の10月26日で創立142周年を迎える。一口に142周年と言っても、その間にはいろんなことがあっただろうと思う。残念ながら、牧師会に参加されていた三羽善次先生御夫妻はこの3月末で和戸教会を退任されたため、その間に和戸教会の詳しい歴史について聞く機会がなかったが、想像するに、日清日露の戦争や、大正12年の関東大震災、昭和初期の大不況、それに続く第2次世界大戦と、その戦争の渦中での踏み絵と言っても良い天皇崇拝の試練等、いろいろな困難の中を、教会員の方も、三羽先生が正しくは何代目に当たるかも聞いていなかったが、歴代の多くの牧師先生方が通って来ただろう。そして、今の和戸教会がある。それを考える時、何が一体教会を支えて来たのだろうか?何が教会員の方々を、ここまで守り支えて来たのだろうか?―牧師先生方も牧会するにあたり、多くの困難があったと思うが、何がその奉仕を続けさせる動機、力、源泉、目的になっていたのだろうか?と思う。

 そこで少し、この和戸教会の誕生のことも含め、日本の教会の歩み、教会史を見てみると、日本のプロテスタント教会の多くは明治時代の初期に生まれているが、その中に一つの鍵、一つの答えを見ることが出来ると思う。それは、「献身」、「ささげる」、「仕える」という信仰者の姿です。和戸教会もそうだが、明治時代に生まれた日本の教会の多くは、比較的富裕階級や知識階級の人々によって建てられた。そう言った人々が、初めは海外からやって来た宣教師の語る福音に触れて、そして信仰を持って行った。新島譲、新渡戸稲造、内村鑑三、植村正久、海老名弾正、池破茂の曽(そう)祖父の金森通倫(みちとも)もそうである。和戸教会の誕生もそうだった。明治5年、当時戸数100軒(人口600名)足らずの和戸村から、その村で養蚕業を営んでいた富裕農家で名主の小島久右衛門(くえもん)が、商売の関係で横浜に行った。そこで彼は病気になり、当時横浜で医療伝道していたジェームズ・ヘボンの下で福音を聞き、そして彼は郷里の和戸に戻り、自分の家を開放して最初の教会を始めた。

 共通して言えることは、皆、それぞれに財を持ち、教育も知識もあった。そういう中で、どうして彼らは信仰を持ったのか?―それは、富裕農家、中産階級として財を持っていた小島久右衛門や金森通倫等は、財を投げ打っても、イエス・キリストに信じるに足るものがあったから。また、武士階級出身の新島襄や新渡戸稲造なども、武士は主君のためなら命でさえも投げ出すものだということが分かっていた上で、イエス・キリストに仕えるという信仰を選び取って行ったのである。彼らは皆、イエス様のためならば、財を投げ打っても良い、いのちをささげても構わないという、イエス様に対する「ささげる信仰」、「仕える信仰」があったのです。

【本題】

 ここから今日のみことばに入るが、イエス様は弟子たちに「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」と言った。このみことばは、イエス様以外に天国に行く道はない。だからイエス様を信じなさいということで、よく伝道する時に用いられるが、勿論、そうである。しかし、ここにはそれ以上の、冒頭で語って来たように、イエス様はどんな場合にも、私たちがどんな犠牲を払っても付いて行く、また、イエス様はそれをするに相応しい、それに値するお方だというイエス様に対する信仰の重要性が語られているのである。

 それはどういうことか?!―イエス様は、「わたしは道であり」と言われた。そのイエス様が語られた「道」とはどういう道でしょう?!―ここでの「道」は(ギ)「ホドス」という言葉の道で、意味は、「自然の道」、「通り道」、「旅人の通る道」という意味です。「通り道」は分かりますね。文字通り、通り道です。では、「自然の道」とはどんな道でしょう。何もしなくても自然と出来上がって作られる道という意味の道だろうか?いや、そうではなく、自然の道とは、自然の中、例えば、草むら、山の中、雪の降った後など、そこには道が出来る。何故?人が通るからである。人は通った後を通る。その方が歩きやすい。そうこうしているうちに、それが道になる。「旅人の通る道」もその通り。山の中の獣道もその通り。神学生時代、大川従道先生は、この道は「何度も踏まれた道だ。」と言った。