主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ネヘミヤ記4:7~23:

【タイトル】

「ネヘミヤ記(8)再建工事妨害に対する心構え②―恐れるな。神が戦われる。―」

【導入】

 今日は、4月26日に続き、再建工事妨害に対する心構え(2)として、ネヘミヤたちが受けた城壁再建工事に対する妨害に対し、どのような対応をして、工事の完成に向かって行ったのかについて学ぶ。それは、私たち信仰者にとって、個人々の信仰生活に於けるさまざまな試練や困難に対し、どのように対処して行ったら良いかという対処の仕方、心構えを学ぶことであり、また教会全体にとっても、教会にある3つの働き、礼拝、伝道、教えや交わりと通して弟子を作る、或いは自らが弟子になって行くという大切な働きを妨げる問題が生じることがあるが、例えば、今回のコロナの問題もその一つかもしれない。こういう問題が生じた時、それらの働きを中断することなく、どのように対処して行ったら良いのか、どのように実行していったらよいのか、という教会の形成に関する肝を学んで行くことでもある。

【序論】

 前回は、ネヘミヤたちが城壁の再建工事をしているということを聞き、エルサレムや周辺にいたホロン人のサヌバラテやアモン人のトビヤ、またアラブ人ゲシェム、その他アラム人など、ネヘミヤたちがエルサレムに戻って来る前からそこにいた人たちが、その工事を快く思わず、何とか止めさせようと、非難や蔑み、また嘲りの言葉をもって工事を妨害しようとした。しかし、ネヘミヤたちは神に祈り、それらの言葉の挑発に乗ることもなく、神に祈り、淡々と工事を進めて行ったということ。そこには「民に働き気があったからである。」(Ⅴ6)ということを学んだ。

【本論】

 今日は、V7にあるように、サヌバラテたちは、「エルサレムの城壁の修復がはかどり、割れ目もふさがり始めたことを聞いたとき、非常に怒り、彼らはみな共にエルサレムに攻め入り、混乱を起こそうと陰謀を企てた。」とある。彼らは、言葉だけの挑発行為では妨害することが出来ないと分かり、実際にエルサレムに入り、何らかのかたちで実力行使に出て、混乱を起こそうと考えたのです。

 これを、私たちの信仰生活、教会生活、教会の全体の働きに関して置き換えて考えてみるならば、私たちの神に対する信仰と、教会が主に在って健全に形成されて行くことを妨げようとする、私たちの敵であるサタンの妨害行為と言うふうに考えることが出来ると思う。そういう時、私たちはどうしたらよいのだろうか?―この時のネヘミヤたちがとった対処方法、とった行動を見てみよう。彼らは何をしたのか?

※彼らは先ず、やはり「祈った」のです。

(1)祈ること

V9:「しかし私たちは、私たちの神に祈り、…。」

 前回の学びでもそうだったが、私たちの信仰生活、教会生活、また教会全体としても、何かが起こった時、何かがあった時、先ず私たちがすることは、「祈ること」です。

 次のみことばもみてみよう。

Ⅰペテロ5:7:「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」

※「いっさい神にゆだねなさい」とは、まさに神に祈ることです。―祈る時、私たちは普通どうするのでしょう。手を組んだり、手を開いて、或いは手を天に差し上げて、そして祈りますよね。それはまさに神に委ねる姿勢です。自分の手に何かを掴んで、それで何かをしようとするのではなく、手の中には何も持たず、空っぽにして、そして神様に委ねることです。任せることです。「主よ。お願いします。主よ、してください。主にすべてを委ねます。」と、自分の手には何も握らず、神の御手に委ねる、任せることです。これが「祈ること」です。

※では、何故、そうするのでしょう?―「神があなたがたのことを心配してくださるからです。」―「心配してくださる」というのは、神様が私たちのことを思って、私たちがよくするように、「どうしたらいいだろう。どうしなくてはいけないのだろうか」と「思い煩う」という意味の「心配する」(心を乱す)ということでは勿論なく、この天地万物を造られた全能なる神様が私たちのことを気にかけてくれていて、「いつも関心をもって、見ていてくださる」ということ。だから、私たちは神様に祈ることが出来るのです。もろ手を上げて委ねることが出来るのです。

 次に、エレミヤたちがしたことは、

V9:「…、彼らに備えて日夜見張りを置いた。」

(2)見張りをおいた。

 先ほどの、Ⅰペテロ5:7の後のV8も見てみよう。

Ⅰペテロ5:8:「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」

 ここにも、「身を慎み、目をさましていなさい。」とある。これは見張りを置くということです。何故、身を慎み、目を覚ましているのか、何故、見張りを置くのか?―それは、私たちの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っているからです。私たちの働きには、敵であるサタンの妨害があるということです。

◎では、彼らは具体的にどういう風に見張りを置いたのか?―それは、Ⅴ13~Ⅴ23に記されている。簡単にまとめると、民を半分に分け、昼と夜の2交代制にして、敵がいつどこから攻撃して来てもよいように、槍や盾、弓や鎧で身を固めて見張りをし、その間、他の半分は工事を進めるという風にした。そして、こう言った。

V14b:「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

 だから、彼らにとっての戦いというのは、武器を手に持って、出て行って敵と戦うということではなく、しっかり見張りをして、身を慎んで(恐れないで、冷静に)、目を覚ましていながら、そして工事を進めるということでした。何故なら、敵との戦いは、神様が戦って下さるという戦いだったからです。

V19~Ⅴ20:「私はおもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。『この工事は大きく、また広がっている。私たちは城壁の上で互いに遠く離れ離れになっている。どこででも、あなたがたが角笛の鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。』」

※私たちの場合もそうです。私たちの戦いは、私たちの働きを妨げる目に見える人や物ではない。確かに、現実的にはそのように見えるかもしれない。例えば、今回のコロナウィルスの場合も。もしコロナの問題が起こらなければ、私たちは普通に集まって礼拝をしたり、また、今休んでいるさまざまな教会の働きをするでしょう。その時には、密接、密集、密閉など関係なく、また2mというソーシャルディスタンスなんていうものも考えることなく行うことが出来たでしょう。しかし、この問題が起きたので、社会は、また教会でさえもお互いに交わることを避け、距離をとらなければならなくなりました。また、コロナに感染して、不幸にも重症化して、もうもたないかもしれないという状況になっても、ニュースでよく見るように、家族でありながら会うことも出来ない、距離をとらなければならないということになってしまいました。まさにネヘミヤたちが、城壁再建工事をするに当たり、城壁が大きくて、工事範囲が余りにも広いので、「私たちは城壁の上で互いに遠く離れ離れになっている。」という状態になっているのと似ている。彼らは、敵がどこから侵入して来るか分からないから、城壁の上でお互いに遠く離れて、離れ離れにならざるを得なかった。私たちも今、コロナのために、敵であるコロナにやられないようにと、お互いの距離を保っている。とても良く似た状況です。

◎しかし、そんな状況の中にいるネヘミヤたちに対して、主は何と言われただろうか?―

V14b:「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」そして、

Ⅴ20:「どこででも、あなたがたが角笛の鳴るのを聞いたら、私たちのところに集まって来なさい。私たちの神が私たちのために戦ってくださるのだ。』」

 コロナや、目に見えるさまざまな問題や試練、また攻撃して来るサタンを恐れずに、「大いなる主」=神様を恐れ、そして戦え。」と言ったのです。何故なら、それは主の戦いだからだと言う。

 だから私たちも、十分注意をして目を見張って行きましょう。だからと言って悪戯に恐れるのではなく、マタイ10:28:「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」と言われる神様を恐れて、信じて行きましょう。それが、「角笛が鳴ったら、私たちのところへ集まれ」と言うことです。

 先ほどの、Ⅰペテロ5:8の次では、ペテロはこう言っている。

Ⅰペテロ5:9:「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。」と。また;

ヤコブ4:7:「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」と。

 悪魔は、自分は神に勝つことが出来ないと分かっているので、私たちが神に従って堅く信仰に立っていれば、悪魔は逃げ去って行きます。

【結論】

 私たちの信仰生活や教会生活、教会の働きには、初めに言ったように、さまざまな試練や問題が生じる。私たちの信仰を盗み、殺し、滅ぼそうとする、また、教会の礼拝や宣教、そして交わりや成長を妨げようとすることも起こる。そういう時に私たちがすること、出来ることは、①祈ること。何故なら、神様が心配してくださるからです。そして、②しっかりと見張って、恐れずに、神の側に立つことです。神に従うことです。そうすれば、問題は解決する。何故なら、神様が戦ってくださるからです。

―祈り―

これまでのメッセージ

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