主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師


【聖書個所】

ヨハネ14:6

【タイトル】

「真理なるイエス様に仕える道」

【前置】

 このみことばは、前回も言ったが、ただ「イエス様を信じれば天国に行けますよ。」というふうに、人を救いに導くときだけに語られるみことばではなく、「わたしを通してでなければ」、ある聖書では「わたしを離れては」とあるが、イエス様が弟子たちに、「わたしを通してでなければ(わたしを離れては)、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」

とあるように、父なる神様との関係の大切さ、イエス様との関係の大切さ、言い換えるなら、このところの何ヵ所で、「知っています。」(Ⅴ4)、「知っていたなら」、「知っていたはずです。」、「知っており」(Ⅴ7)、「知らなかったのですか。」(Ⅴ9)とあるように、イエス様と私たち、父なる神様と私たちとの関係の中で、私たちが本当にイエス様を知るということ、また父なる神様を本当に知るということの大切さを語っている言葉なのです。

 そういう中で、イエス様は「わたしが真理であり」と言われました。ですから今日は、このイエス様が言われた「わたしが真理であり」というところから、真理であるイエス様、真理である神様を知ることの重要性について、御一緒にみことばから考えて行きましょう。

【本論】

 イエス様は、「わたしが真理です」と言われた。英語では“I am the truth”となっていて、定冠詞が付いている。つまり、他にはない唯一の真理ということです。

◎真理とは何か?―講談社の国語辞典では、①まことの道理、正しい道理、②正しい推論、正しい論理、③永遠に変わることのない、誰もが認めなければならない知識、認識、価値判断 となっている。まとめて言うなら、「永遠に変わることのない、いつでも、どこでも、誰もが「そうだ。間違いない」と言うことの出来る道理、事柄」ということが出来ると思う。

 昨日のライフラインに登場した群馬県高崎市のキリスト教会の牧師で画家の関口正人さんは、高校2年の時に教会に行って救われた。救われる前までは、中学2年の時に受けたいじめ以来、自分は生きていても仕方がないゴミのような存在と思っていたが、教会に行き、牧師が開いた聖書の言葉「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ43:4)というみことばから、「あっ、わたしはそうなのだ。」と言う風に、目から鱗が落ちるように分かり、それまで4年間、笑いのなかった自分に笑い顔が戻って来て、そしてやがてイエス様を信じて救われたと言う。あの番組を見ていて、家内が、「まさしく真理のみことばだね。」と言った。

※そうです。真理は、真理ではない偽りの覆いで目が塞がれていた、思いが縛られていた、そのような目を、思いを、まことの道理、真理に目覚めさせてくれるのである。関口正人さんの場合、まさにイザヤ43:4のみことばが、真理のみことばとして彼に迫り、「ああ、私は神の目には高価で尊いのだ。」と分かった。そのように、真理は、誰にとっても、いつでもどこでも、変わることのない、永遠のまことの道理、誰も否定することが出来ない、誰も覆すことが出来ないものなのです。しかし、私たちは皆、何らかの意味で、イエス様を信じてはいても、真理ではない何かに覆われ、何かに縛られ、何かの奴隷になっている。そして、そのような状態から私たちを解放してくださるのがイエス様です。

 イエス様はこう言われた。