2021年2月28日(日) 主日礼拝メッセージ:金子辰己雄師

【聖書個所】

ネヘミヤ9:1~8

【タイトル】

「信仰の刷新」


【本論】

Ⅴ1:「その月の二十四日に、イスラエル人は断食をし、荒布を着け、土をかぶって集まった。」


 「その月」とは、8章に記されていた仮庵の祭りがあった第7の月のこと。この月は彼らにとって新年の始まりの月でもあったので、彼らはバビロンから帰還後、神殿と城壁が再建された後、新しい年を、彼らは「断食をし、荒布を着け、土をかぶって集まった。」というようにして始めたのである。ここに、誰でもが新しい年を始めようと思うなら、過去のいろいろな失敗や過ちを消して新しくやり直したいと思うなら、つまり、人生の再出発、私たちで言うなら信仰の刷新をしたいと思うような時に、行なうべき重要なポイントがある。


(1)断食をし、荒布を着け、土をかぶること。

 その典型的な例がヨナ書に記されている。


ヨナ3:6~9:「このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。『獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。』」


 彼らはヨナの宣教によりこのように悔い改めたので、彼らは次のように神の裁きを免れた。


Ⅴ10:「神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。」


※もし私たちがもう一度人生をやり直したい、人生の再出発をしたいと思うのであれば、このように断食をし、荒布を身にまとい、そして灰の中に座ることである。しかし、それは実際にそのようなことをするということではなく、今までの罪の生き方から離れ、悔い改めること、思いを変えて方向転換すること。神中心に生きることです。


 昨日、依存症当事者のための回復プログラムの学びをしたが、依存症というのは結局、問題の解決、例えば不安や悲しみ、心の痛みなどを解消しようとする時、それを神に求めないで、依存対象となってしまった物や人、行為などに解決の処方を求めてしまったということなのである。私たちは、そういう方たちがそのようなものにではなく、神に向かってもらうようにと、願ってこの働きをしている。そのように、人は神に向かうよりもこの世に向かいやすい。イスラエルの民もそうだった。なので、その裁きであったバビロン捕囚から戻った彼らは、もうそういうことがないようにと悔い改めたのである。それは私たちの場合も同じです。だから聖書は私たちに、この世にではなく、人にではなく、神に向かうようにと呼びかけているのである。


ローマ12:1~2:「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」


 次に、人生の再出発、信仰の刷新をするのに覚えておかなければならないことは、


(2)罪を認めて告白すること


Ⅴ2:「そして、すべての外国人との縁を絶ったイスラエルの子孫は立ち上がって、自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。」


 ここの「自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。」というのは、罪の赦しを受けるための告白ではなく、既に「断食をし、荒布を着け、土をかぶって」悔い改めた結果、新しくされた者として、その悔い改めに相応しい行いをしたということなのである。「すべての外国人との縁を絶ったイスラエルの子孫は立ち上がって」、そのような罪を犯したことを正直に告白したということである。


 エズラ9章に記されていたように、バビロン捕囚から帰った人々は、彼らがバビロン捕囚に遭っているうちに、外国から移り住んでいた外国人たちと雑婚していた。エズラはそれを知り、神の前に跪いて罪の赦しを求め、そして民に対して、その結婚の解消のためにその女性たちを家から出して縁を断つように命じた。彼らは、その命令に従ってそれを行なったのである。このことはそれを言っている。なので、それを行なった人々は立ち上がり、「自分たちはそのような罪を犯した。」と、彼らが犯した過去の罪を告白したのである。


※このように、私たちは悔い改めて罪赦された者として、その悔い改めに相応しい実、つまり行ないをする必要がある。それが、信仰の刷新、再出発のためには必要である。何故なら、私たちは罪赦されていても、罪を犯す者だからである。だからそれに対して責任逃れをすることなく、正直でなければならない。隠し事や裏表があってはならないのである。「ヨハネの手紙第一」はそのことを言っている。その中の1章で、私たちのクリスチャンとしての神との交わり、信仰生活の中における清い交わり、罪のない真実の交わりの大切さについて語っている。


Ⅰヨハネ1:5~6:「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません。」


Ⅰヨハネ1:8:「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」 

 また、


Ⅰヨハネ1:10:「もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。」しかし、


Ⅰヨハネ1:9:「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」


 だから、いつも罪を告白して、暗いところのない者としての清い信仰生活を送ろう!


(3)真の礼拝をささげること


Ⅴ3~Ⅴ8:「彼らはその所に立ったままで、昼の四分の一は、彼らの神、【主】の律法の書を朗読し、次の四分の一は、告白をして、彼らの神、【主】を礼拝した。ヨシュア、バニ、カデミエル、シェバヌヤ、ブニ、シェレベヤ、バニ、ケナニは、レビ人の台の上に立ち上がり、彼らの神、【主】に対し大声で叫んだ。それからまた、レビ人のヨシュア、カデミエル、バニ、ハシャブネヤ、シェレベヤ、ホディヤ、シェバヌヤ、ペタヘヤは言った。『立ち上がって、とこしえからとこしえまでいますあなたがたの神、【主】をほめたたえよ。すべての祝福と賛美を越えるあなたの栄光の御名はほむべきかな。』『ただ、あなただけが【主】です。あなたは天と、天の天と、その万象、地とその上のすべてのもの、海とその中のすべてのものを造り、そのすべてを生かしておられます。そして、天の軍勢はあなたを伏し拝んでおります。あなたこそ神である【主】です。あなたはアブラムを選んでカルデヤ人のウルから連れ出し、彼にアブラハムという名を与えられました。あなたは、彼の心が御前に真実であるのを見て、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、エブス人、ギルガシ人の地を、彼と彼の子孫に与えるとの契約を彼と結び、あなたの約束を果たされました。あなたは正しい方だからです。』」


 ここに出て来る人物は、8章のエズラと一緒に律法を読み、解き明かした人物と重なる。ここでも彼らは立ち上がって、主を賛美したのである。そして、真の礼拝は、霊とまこと=真理によって礼拝するものであると、ヨハネ4:23~24にあるが、そこには、2つの要素がある。


神に関する真理:つまり、神とはどのようなお方であるのかを知ること。彼らは、Ⅴ6~Ⅴ8の中で、神はどのような方であるかを言い表して、神をほめたたえた。礼拝した。

・神は天地万物の造り主であること(Ⅴ6)

・神は自分たちの先祖であるアブラハムを選ばれたこと、そして、そのアブラハムと契約を結ばれた神であること、(Ⅴ7~Ⅴ8)そして、

私たちに対する真理:つまり、自分たちはその子孫であること。そのように神に選ばれた者であること。(Ⅴ7~Ⅴ8)


※このように、信仰の刷新、人生の再出発をするために大切なことは、①「神とはどのようなお方であるのか」ということを知ることと、②その神との関係の中で、「自分はどのような者であるのか」ということを知ることである。


【結論】

 まとめる。私たちの人生にはいろいろな失敗があったり、過ちがある。失敗のない人生、過ちのない人生などない。しかし、私たちはそこに留まらなくてもよい。私たちは前に向かって進むことが出来るのである。再出発、刷新することが出来るのである。そのために必要なのは、


①その失敗、過ち、罪を認めて、悔い改めること。

②その罪を告白して、責められることのない者として立つこと。

③神を礼拝すること。神はどのような方であるかを知り、また自分はどのような者であるのかも知って、神を礼拝すること。


ローマ12:1~2:「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」


―祈り―

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